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今年亡くなった著名人まとめ

昨年(2012年)~今年(2015年)に亡くなった有名人・著名人の記録。タレントや芸能人、スポーツ選手、ビジネス界など、各界で亡くなった有名人の方の職業や死因、年齢などを記録しています。合掌。

更新日: 2015年01月28日

takikawaさん

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2015年1月

人生の哀歓をにじませるユーモア野球小説で知られた直木賞作家。
1月26日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去。83歳。
三重県生まれ。大分第一高(現大分上野丘高)卒。住友銀行など30年にわたるサラリーマン生活を経て、1982年、50歳でデビュー作「球は転々宇宙間」を発表。翌83年には同作で吉川英治文学新人賞を受賞し、遅れてきた大型新人として注目された。少年時代の草野球体験を原点にした野球小説で、終戦後の「焼け跡」を知る世代の共感を誘ったほか、恋愛小説、歴史ミステリー、映画に関するエッセーなども手がけ、95年、5度目の候補となった「白球残映」で直木賞を受賞。

サウジアラビアの国王。
1月23日未明に死去。バランス感覚に優れた現実主義者であったが、改革者にはなれなかった。
1924年、リヤドに生まれ。0年代、アラブの団結を優先し度々、米国を批判した。90年の湾岸危機で米国がサウジ国内への米軍駐留を求めた時も反対したとされる。2005年、第6代国王に即位した。
アブドラ国王は約30人の妻(離婚した妻も含む)との間に15人の息子と20人の娘があると考えられている。

「阿片戦争」「秘本三国志」「小説十八史略」などの中国歴史小説で知られる直木賞作家。
1月21日、老衰のため死去。90歳。
61年、推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受けて文壇デビュー。その後歴史小説に転じ、67年に「阿片戦争」3部作を完成させた。
69年「青玉獅子香炉」で直木賞、70年には本紙連載小説「孔雀の道」と「玉嶺よふたたび」で日本推理作家協会賞を受賞。90年に日本国籍を取得。93年のNHK大河ドラマ「琉球の風」では原作を手掛けた。

「攻殻機動隊」の主題歌を歌ったロシア人シンガー・ソングライターの。
1月17日、神奈川県内の病院で死去。44歳。
ロシア・ノボシビルスク出身。1991年に来日し、94年に日本でメジャーデビュー。ロシアの愛唱歌「ポーリュシカ・ポーレ」がドラマのテーマ曲に使われて注目され、その後、テレビアニメ「攻殻機動隊」の主題歌を歌った。

近鉄のエースとして活躍した元プロ野球選手。
1月21日、すい臓がんのため死去。64歳。
高知・伊野商高から社会人の鐘淵化学を経て72年ドラフト3位で近鉄に入団。2年目の74年には35試合に登板して2セーブをマークすると先発投手として活躍。内角を鋭くえぐるシュートを武器に79、80年には15勝を挙げてリーグ2連覇に貢献し、広島との日本シリーズでは2年とも第1戦の先発を任された。83年にヤクルトに移籍し、84年に現役引退。通算成績は320試合で81勝75敗8セーブ。

柔道の男子95キロ超級で1984年ロサンゼルス、88年ソウルと五輪2連覇を達成した全日本柔道連盟強化委員長。
1月20日午前2時56分、肝内胆管がんのため大阪府東大阪市の病院で死去。54歳。
89年に現役を引退。2004年アテネ五輪では日本代表男子の監督を務め、メダルラッシュに貢献した。現在は母校、国士舘大学の体育学部教授。12年から全柔連強化委員長に就いていた。

中日、阪神で活躍した元野球選手(本名は陳大豊=ちん・たいほう)。
1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去。51歳。
台湾から84年に来日。中日の主砲だった94年には本塁打、打点の2冠を獲得した。あこがれの王貞治氏と同じ1本足打法の長距離砲として通算277本塁打。引退後の09年に白血病の診断を受け、闘病生活が続いていた。

俳優、声優。
1月15日、虚血性心不全のため死去、85歳。
アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男や「忍たま乱太郎」の山田伝蔵の声、チャールズ・ブロンソンの吹き替えを担当。俳優として多くのテレビドラマにも出演した。

広島周辺で撃墜された米軍爆撃機の元機長。
1月11日、米西部ユタ州の自宅で死去。90歳。死因は不明。
1924年、米サウスカロライナ州生まれ。45年7月、広島県呉市沖の上空で日本の戦艦を爆撃中、搭乗していたB24爆撃機が撃墜された。自身は東京へ移送されたが、同乗していた同僚6人が広島市の憲兵隊司令部などに留置され、原爆の犠牲になった。99年、同僚の慰霊のため広島を訪問した。

ピアニスト、東京芸大名誉教授。
1月16日午前4時30分ごろ死去、93歳。
ドイツ留学後、母校の東京芸大で教授などを務める一方、全日本ピアノ指導者協会副会長、顧問として音楽教育の向上に貢献した。夫でバリトン歌手の故中山悌一氏との共演でも知られた。05年瑞宝小綬章。

京都能楽界の重鎮として活躍した能楽師で、人間国宝。
1月13日、敗血症のため死去。84歳。
昭和5年、観世流・能楽シテ方の片山家に長男として生まれ、5歳で初舞台を踏む。昭和60年には九世・片山九郎右衛門を襲名、幽玄な女物を演じる能を得意とし、優美な舞やこまやかな表現で存在感を発揮。
京都能楽界の重鎮として平成13年には人間国宝に認定されたほか、能楽協会の理事長を務めるなど長年にわたって能楽界に貢献し、平成21年には文化功労者に選ばれた。

石井光三オフィス会長。
1月6日、胆管がんのため死去、83歳。
1983年に芸能プロダクション「石井光三オフィス」を設立。コント赤信号のマネジャーとして知られ、「オレたちひょうきん族」などのバラエティー番組にも出演した。

ユニー特別顧問、創業者。
1月1日、急性心筋梗塞で死去。89歳。
大手流通業、ユニー(ユニーグループ・ホールディングス)の前身の西川屋を1949年に設立し、ユニーの社長、会長を務めた。

ヒチコック映画出演で知られる俳優。
1月7日、ロサンゼルスの自宅で死去。84歳。
1930年1月、オーストラリア・シドニー生まれ。画家志望から俳優に転向し、オーストラリアで活躍後、米ハリウッドに渡った。59年のSF映画「タイム・マシン」で人気を博し、ヒチコック監督の代表作「鳥」(63年)主演に抜てきされた。「ホテル」(67年)、「砦のガンベルト」(67年)などにも出演。

ドラえもんなどの脚本家。
1月4日、上縦隔腫瘍で死去。57歳。
テレビアニメ「ドラえもん」「宇宙船サジタリウス」や、映画「のび太の結婚前夜」「ぼくの生まれた日」などの脚本を手がけた。

ドイツの社会学者。
1月1日、心筋梗塞のため死去、70歳。
現代社会が抱えるリスクを警告した著書「危険社会」(1986年)で知られ、ドイツを代表する社会学者。
ポーランド北部生まれ。ミュンスター大教授などを経てミュンヘン大教授。東京電力福島第1原子力発電所事故を受け、脱原発を提言したドイツ政府の諮問機関「倫理委員会」のメンバーも務めた。

12月

「序の舞」「鬼龍院花子の生涯」など運命にあらがい高い志を持った女性の一生を描き、多くのベストセラー作品を生んだ作家。
2014年12月30日、老衰で死去。88歳。

元ひめゆり平和祈念資料館副館長。
2014年12月31日、卵巣がんのため死去、86歳。
沖縄戦にひめゆり学徒隊として動員された。戦争の悲惨さを訴える語り部として活動し、同資料館の開設にも関わった。

青森県大間町の「大間まぐろ」を全国ブランドに押し上げた立役者の一人、大間漁業協同組合組合長。
12月27日、食道がんで死去。73歳。
浜端さんは同町出身。中学2年生でマグロを釣り上げ、卒業後すぐにマグロ一本釣り漁師になった。1999年から2002年、06年から現在まで組合長を務めた。
町が舞台のNHK連続テレビ小説「私の青空」(00年)撮影時には、自身がモデルの漁師役・伊東四朗さんに実技指導した。ドラマで町は一気に全国に知られた。特許庁に「大間まぐろ」の地域団体商標登録を申請し、07年に実現するなどブランド化にも尽力した。

ローマ・カトリック教会大司教として当時のローマ法王、故ヨハネ・パウロ2世の側近を務めた上智大学元学長。
12月26日、東京都練馬区の聖職者向け高齢者施設「ロヨラハウス」で脳梗塞のため死去した。86歳。
1928年、イタリア西部サルデーニャ島に生まれ、45年にイエズス会に入会。52年に来日し、中学教師などをした後、上智大で教壇に立ち、75年から81年まで第7代大学長。81年に故ヨハネ・パウロ2世が来日した際は通訳を務めた。

声優。
12月24日、死去。
NHKEテレ「つくってあそぼ」の「ゴロリ」の声や、映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」のブルース・ウィリスの吹き替えなどを務めた。

ニッカウヰスキーの元社長で相談役の竹鶴威。
12月17日、老衰のため自宅で死去。90歳。
NHKが放映中のドラマ「マッサン」の主人公のモデルである同社創業者、竹鶴政孝氏の養子。
北大工学部を卒業後、昭和24年にニッカに入社。製造部長、取締役、常務などを経て、昭和60年に社長。その後、会長兼社長などを経て平成15年から相談役。
竹鶴政孝氏を継いで、ニッカの2代目マスターブレンダーとして、品質にこだわり、世界で評価されるウイスキー作りの基礎を築いた。

「オールナイトニッポン」などを手掛けたニッポン放送ディレクター。
12月上旬にくも膜下出血で倒れ、病院に搬送。意識が戻らないまま、11日に亡くなったという。43歳。
角銅さんは、04年に「ナインティナインのオールナイトニッポン」を担当したのを契機に「福山雅治のオールナイトニッポン」「テリー伊藤のってけラジオ」「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」など多くの人気番組に携わった。リスナーや出演者からは「カタヤマ」や「姫」などの愛称で親しまれていた。

英ロック歌手。
12月22日、米コロラド州で肺がんのため死去、70歳。
1944年、英中部シェフィールド生まれ。68年にビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のゴスペル風カバーで脚光を浴びた。ジェニファー・ウォーンズさんとデュエットした米映画「愛と青春の旅だち」(82年)の主題歌が大ヒットして83年にグラミー賞を受賞。

広範な教養に基づく詩的な文体で知られ、桐朋学園大学長などの要職を歴任した音楽評論家で文化功労者。
12月10日午後9時12分、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内の自宅で死去。92歳。
1922年東京生まれ。東大で美学を専攻。24歳の時、音楽評論家の野村光一さんの推薦で毎日新聞の音楽評論を手がけるように。文学で「評論」のジャンルを確立した小林秀雄らの精神を継ぎ、吉田秀和さんとともにクラシック音楽評論の第一人者となった。

映画特技監督。
12月5日、肝不全で死去、72歳。
映画「ゴジラvsキングギドラ」などの平成ゴジラシリーズ6作や、テレビ「超星神グランセイザー」などの特撮を手がけた。

ミュージシャン。
12月9日、胃がんで死去、65歳。
東京都出身。70年に故・日高富明さん、大野真澄さんとフォークグループ「ガロ」を結成した。「学生街の喫茶店」が大ヒットし、同曲で73年の紅白歌合戦にも出場した。マークの愛称で親しまれた。解散後、一時音楽活動から離れていたが、07年ごろからソロ活動を活発化させていた。

「必殺仕掛人」を手掛けた元プロデューサーで、朝日放送顧問、元専務。
8月13日死去していたことが12月に判明。82歳。
55年に朝日放送に入社。72年にプロデューサーとして時代劇「必殺仕掛人」を手掛け、故藤田まことさんが殺し屋の主人公、中村主水役を務めるなどして人気を集めた「必殺」シリーズの制作に92年まで携わった。

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