1. まとめトップ

今年亡くなった著名人まとめ

昨年(2012年)~今年(2014年)に亡くなった有名人・著名人の記録。タレントや芸能人、スポーツ選手、ビジネス界など、各界で亡くなった有名人の方の職業や死因、年齢などを記録しています。合掌。

更新日: 2014年12月15日

takikawaさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
738 お気に入り 8186304 view
お気に入り追加

12月

広範な教養に基づく詩的な文体で知られ、桐朋学園大学長などの要職を歴任した音楽評論家で文化功労者。
12月10日午後9時12分、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内の自宅で死去。92歳。
1922年東京生まれ。東大で美学を専攻。24歳の時、音楽評論家の野村光一さんの推薦で毎日新聞の音楽評論を手がけるように。文学で「評論」のジャンルを確立した小林秀雄らの精神を継ぎ、吉田秀和さんとともにクラシック音楽評論の第一人者となった。

映画特技監督。
12月5日、肝不全で死去、72歳。
映画「ゴジラvsキングギドラ」などの平成ゴジラシリーズ6作や、テレビ「超星神グランセイザー」などの特撮を手がけた。

ミュージシャン。
12月9日、胃がんで死去、65歳。
東京都出身。70年に故・日高富明さん、大野真澄さんとフォークグループ「ガロ」を結成した。「学生街の喫茶店」が大ヒットし、同曲で73年の紅白歌合戦にも出場した。マークの愛称で親しまれた。解散後、一時音楽活動から離れていたが、07年ごろからソロ活動を活発化させていた。

「必殺仕掛人」を手掛けた元プロデューサーで、朝日放送顧問、元専務。
8月13日死去していたことが12月に判明。82歳。
55年に朝日放送に入社。72年にプロデューサーとして時代劇「必殺仕掛人」を手掛け、故藤田まことさんが殺し屋の主人公、中村主水役を務めるなどして人気を集めた「必殺」シリーズの制作に92年まで携わった。

プロ野球ソフトバンク前監督の秋山幸二氏の妻。
12月9日に死去。
秋山前監督は今季、チームを3年ぶりの日本一に導いた。球団からは続投を要請されていたが、今季限りで退任していた。

1984年ロサンゼルス五輪射撃ラピッドファイアピストル金メダリスト。
12月4日、脳梗塞で死去、78歳。
宮崎・高原中卒業後、書店員を経て、自衛隊入隊。62年、自衛隊体育学校1期生となり、68年メキシコ五輪から5大会連続で日本代表。幻に終わったモスクワ五輪後に引退。草刈り中に鎌で右手人さし指のけんを切る大けがを負ったが、ロス五輪前に現役復帰。日本五輪史上最年長の48歳で金メダルを獲得した。

11月

映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどで知られる俳優。
11月28日、肝がんのため死去。81歳。
仙台市生まれ。早稲田大第二法学部を中退後、58年に新東宝の「白線秘密地帯」で俳優デビュー。
72年に深作欣二監督の「人斬り与太」シリーズがヒット。73年には、やくざの抗争を実録風に描いた同監督の「仁義なき戦い」に主演し、強烈な存在感で一躍トップスターに。75年に始まった「トラック野郎」シリーズでは、男気あふれるトラック運転手役で人気を集め、全10作が作られた。

元プロ野球阪急選手。11月20日、肺がんで死去。74歳。
愛媛県大洲市出身。1959年に入団し、主に外野手として12年間で通算64本塁打、159打点。2000年から約3年間、オリックスの球団本部長を務めた。

レトルトカレー「ボンカレー」の発案者として知られる、大塚ホールディングス(HD)会長。
11月28日、死去。77歳。
大塚製薬をはじめとする国内外約150社に及ぶ大塚グループの総帥。実質的な創業者である故大塚正士氏の長男で、1976年に38歳で大塚製薬社長に就任した。
69年に全国発売された日本初のレトルト食品「ボンカレー」の発案者でもあり、その後も、自らのアイデアで「ポカリスエット」(80年)、「カロリーメイト」(83年)などの機能性飲料・食品を他社に先駆けて売り出し、ヒットを連発。

戦前から戦後にかけて日本の囲碁界に君臨し、「昭和の碁聖」とも称された棋士。
11月30日午前1時11分、老衰で死去。100歳。
中国・福建省生まれ。父親の手ほどきで囲碁を始め、天才少年と呼ばれた。1928年に14歳で来日し、翌年に飛付三段でデビュー。33年に木谷実五段(当時)と発表した「新布石法」は、碁盤の中央で戦いを展開する戦術で、当時の囲碁界に旋風を巻き起こした。
84年に引退した後も、著作物を通じて序盤から中盤の新しい打ち方を提案するなど、囲碁界に影響を与え続けた。

テレビのバラエティー番組などでも活躍していたオペラ歌手で。
11月23日に都内の病院で呼吸不全のため亡くなっていた。57歳。17日に体調不良で入院し、21日に容体が急変したという。
昭和音楽短期大学声楽科卒。79年、藤原歌劇団に入団し、「修道女アンジェリカ」でオペラ歌手デビュー。85年、「マック・ザ・ナイフ」でミュージカルにも進出した。87年、宮本亜門氏の演出デビュー作となるミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で、タイトルロールのマーマン役を演じ、注目を集めた。

歌手、ジョニー大倉で知られる。
11月19日、肺炎のため死去、62歳。
1972年、歌手の矢沢永吉さんらとロックバンド「キャロル」を結成。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などがヒットした。俳優としても活躍、映画「遠雷」「戦場のメリークリスマス」などに出演した。

作曲家。
11月21日に逝去。81歳。
1933年8月21日東京都生まれ。NHK「おかあさんといっしょ」の音楽を現在まで約40年にわたって担当していたほか、テレビや舞台など幅広い分野で手腕を発揮した。代表作には童謡「おもちゃのチャチャチャ」や、「サザエさん」「昆虫物語 みなしごハッチ」「マッハGoGoGo」といったテレビアニメの劇伴など。

任俠(にんきょう)映画の「健さん」として一時代を築き、「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」「鉄道員(ぽっぽや)」などで寡黙で一本気な「日本の男」を演じ続けた俳優で、文化勲章受章者。本名小田剛一さん。
11月10日、悪性リンパ腫のため、東京都内の病院で死去。83歳。最後の主演作「あなたへ」(2012年)まで生涯に205本の映画に出演した。

福岡県生まれ。東映の第2期ニューフェースとしてデビューし、1956年、映画「電光空手打ち」「流星空手打ち」の連作で主演。

渡世の仁義に命をかけて悪に切り込むヒーロー像は、若者の熱い支持を得た。

10月

格闘家。
10月28日未明、肺炎の為死亡したことが判明。44歳。
サブミッション・アーツ・レスリングに入門し格闘家としての人生をスタート。FMWでプロレスデビューし、W☆INGでは格闘三兄弟の一角として活躍。
1991年からリングスに参戦、92年東京ベイNKホール(当時)で行われた長井満也戦で脚光を浴びた。
1995年、VALE TUDO JAPAN OPEN 1995の準決勝でヒクソン・グレイシーと対戦。敗れはしたものの大いに名を馳せた。

「ふぞろいの林檎(りんご)たち」など、数々の名作ドラマを手がけたテレビプロデューサー、演出家。
10月5日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。82歳。
1932年生まれ。旧満州(中国東北部)で幼時を過ごし、鹿児島県の旧制中学で学んだ。57年に東京放送(TBS)入社。ドラマ「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などの制作に携わった。92年に定年退職して制作会社カズモを設立、社長に。ドラマ「蔵」(NHK)、「長崎ぶらぶら節」(テレビ朝日)などを世に送り出した。テレビのあり方について積極的な発言を続けた。著書に「テレビの時間」など。

9月

出典gforum.jp

声優でナレーター。
9月30日午前10時15分、病気のため東京都内の病院で死去、80歳。
「未来少年コナン」のレプカ、「風の谷のナウシカ」のクロトワをはじめ、癖のある脇役などで多くのアニメ作品に出演。「ワンピース」や「名探偵コナン」でも声優を務めた。フランク・シナトラの吹き替えも担当した。

画家で多摩美術大学教授。
9月29日、転移性肝がんのため死去、64歳。
長野県生まれ。ポップアートなどアメリカ美術の影響を受けた抽象絵画を制作した。平成7年に東京国立近代美術館で個展を開催。24年度の毎日芸術賞を受賞した。

社民党元党首で女性初の衆院議長を務めた元国会議員。本名は多賀子。
9月20日、肺炎のため兵庫県内の病院で死去で死去。85歳。
同志社大大学院修了で衆院連続12回当選。旧社会党が衆院選で惨敗した1986年に石橋政嗣氏の後を継ぎ、主要政党初の女性トップとなる第10代委員長に就任し、89年参院選で「マドンナ旋風」を巻き起こして勝利した。自民党中心の与党を参院過半数割れに追い込み、「山が動いた」の名文句を残した。

「ドカベン」の愛称で親しまれ、プロ野球の南海、ダイエー(現ソフトバンク)で捕手として活躍した元プロ野球選手。
9月26日、心筋梗塞のため死去。52歳。
香川さんは大阪・浪商高(現大体大浪商高)で、後に中日などで活躍したエースの牛島和彦さんとバッテリーを組み、春夏合わせて3度の甲子園に出場した。3年生だった1979年春の選抜は、決勝で箕島(和歌山)に敗れて準優勝、4強入りした同年夏は3試合連続本塁打を放った。同年秋のプロ野球のドラフト(新人選択)会議で、南海から2位指名を受けて入団した。プロ1年目の80年から1軍に出場し、83年にベストナインに選ばれた。89年に現役を引退。

7人組ヒップホップグループ、ET-KINGのボーカル。本名は森脇隆宏さん。
9月25日午前、死去。35歳。自殺。
ET-KINGは99年結成で、06年7月にデビュー。大阪を拠点に活動しており、「愛しい人へ」などのヒット曲がある。結成15周年の今年4月29日をもって「充電期間」として活動を休止していた。
TENNさんは、12年8月にSPEEDの上原多香子さんと結婚した。

女優・宮沢りえさんの母。
9月23日死去。65歳。
光子さんが代表取締役を務めるエム・ツー企画によると、光子さんは肝腫瘍のため自宅で療養中だった。光子さんは、りえさんの少女時代から芸能活動を支え、「りえママ」の愛称でも知られた。

元関脇、元常盤山親方、本名加藤高明さん。
9月16日死去、75歳。
埼玉県秩父市出身。豪快な塩まきと、大きな体を生かした寄り、つりで土俵をわかせた。引退後は日本相撲協会の監事を務めた。

戦前・戦中に「李香蘭」の名で人気を集め、戦後も女優、歌手として活躍し、参院議員も務めた。
9月7日午前10時42分、心不全のため死去。94歳。
旧満州(現中国東北部)で育ち、1938年に満州映画協会から「李香蘭」の芸名でデビュー。日本でも長谷川一夫さんと共演した「支那の夜」などが爆発的な人気を呼んだ。
74年、自民党から参議院全国区に出馬して当選。92年まで3期務め、環境政務次官などを歴任した。
著書に「『李香蘭』を生きて」「李香蘭・私の半生」(共著)など。時代の流れの中で2つの祖国を生きた半生を描いた作品は、テレビドラマやミュージカルの舞台でも取り上げられた。

チューリップのギタリスト。
7月7日、脳出血のため居住地のインドで死去したことが9月にわかった。64歳。
福岡市出身。財津和夫さんらとバンド、チューリップとして1972年にデビューし、「心の旅」「虹とスニーカーの頃」などをヒットさせたほか、「博多っ子純情」の作詞を手がけた。チューリップのメンバーとしては2013年7月の福岡公演が最後のステージとなった。

1964年東京五輪の開会式で最終聖火ランナーを務めたj人物。
9月10日午前3時1分、脳出血のため東京都内の病院で死去。69歳。
広島に原爆が投下された45年8月6日に広島県三次市に生まれた。早稲田大競走部時代、東京五輪の最終ランナーに選ばれ、聖火台に点火する大役を務めた。卒業後はテレビ局でスポーツ報道などに携わった。

1 2 3 4 5 ... 18 19




このまとめへのコメント1

  • この投稿は現在表示することができません。

1

まとめ生活目指してます。

このまとめに参加する



  • 2014年をまとめてみた