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今年亡くなった著名人まとめ

昨年(2012年)~今年(2014年)に亡くなった有名人・著名人の記録。タレントや芸能人、スポーツ選手、ビジネス界など、各界で亡くなった有名人の方の職業や死因、年齢などを記録しています。合掌。

更新日: 2014年08月26日

takikawaさん

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8月

映画監督。
8月26日、肺炎のため死去、76歳。
1962年に日活に入社し、ロマンポルノで監督デビュー。「嗚呼(ああ)!!花の応援団」のシリーズや「博多っ子純情」などを手がけた。

「ガンジー」(1982年)でアカデミー監督賞を受けた英映画監督で俳優。
8月24日、死去。90歳。亡くなった場所や死因は不明。
1923年、英ケンブリッジ生まれ。俳優として「大脱走」(63年)や「ジュラシック・パーク」(93年)などに出演。監督としても「ガンジー」のほか、南アフリカの黒人解放運動の指導者を主人公にした「遠い夜明け」(87年)、喜劇王チャプリンの生涯を描いた「チャーリー」(92年)などを手掛けた。

そごう(現そごう・西武)の社長、会長を務めた経営者。
7月28日、心不全のため東京都内で亡くなっていたことが判明。102歳。
1936年、中央大卒。日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を経て58年にそごうに移り、副社長に就任した。62年の社長就任後、大阪、神戸、東京に3店しかなかった同社を積極的な多店舗展開で成長させた。駅前など一等地に地域最大規模の売り場面積の店舗を設け、千葉そごうを持ち株会社として各店舗を別会社化し、相互に株式を持たせる独特な戦略をとった。94年の会長就任後も社内で大きな影響力を維持した。

歌手。
8月17日、低酸素血症のため死去、87歳。
1948年にハワイアン歌手としてデビュー。「和田弘とマヒナスターズ」などのボーカルとして活躍し、ソロでも「面影」「人妻椿」などがヒットした。

昆布や煮豆など総菜食品大手のフジッコ創業者。
8月12日、急性呼吸不全のため死去。84歳。
1951年、兵庫師範学校(現神戸大発達科学部)を卒業し、姫路市の公立学校に勤めた。その後、会社勤務を経て、60年に富士昆布(現フジッコ)を設立、翌年に社長に就任した。
フジッコは90年に大阪証券取引所2部、97年に東京証券取引所1部に上場。山岸氏は2004年に会長、13年に名誉会長に就任した。

常磐津節の第一人者で人間国宝(重要無形文化財保持者)、本名は明田昭。
83歳。京都市出身。
常磐津節は三味線音楽の語り物である浄瑠璃の一つ。1948年に本格的に修業を始め、52年に一巴太夫を名乗った。95年に人間国宝に認定された。

アメリカのオスカー俳優・コメディアン。
8月11日、カルフォルニア州サンフランシスコ近郊の自宅で亡くなっているのが見つかった。63歳。自殺。
シカゴ生まれ。1984年の映画「ハドソン河のモスコー」で注目され、スタンダップ・コメディアンとしても全米ツアーを敢行。
その後、「グッドモーニング, ベトナム」「フィッシャー・キング」「ミセス・ダウト」でゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)受賞、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」ではアカデミー助演男優賞を受賞した。

大相撲の元小結双津竜で、引退後は時津風親方として後進を指導した。
8月12日に死亡したことが判明。64歳。肺がんなどのため東京都内の病院に入院していた。
北海道室蘭市出身の山本さんは、1963年に初土俵を踏み、72年春場所で新入幕。82年の引退後は親方となり、2002年に時津風部屋を継承した。
07年に部屋の力士が暴行を受けて死亡する事件があり、師匠の山本さんもこれに加わったと判断され、相撲協会を解雇された。翌年2月には傷害致死容疑で逮捕され、11年に同罪で懲役5年の実刑判決が確定した。

大相撲の元関脇金剛、前二所ノ関親方。
8月13日に死去、65歳。
現在の北海道深川市生まれ。中学卒業後、二所ノ関部屋に入門。前頭筆頭だった1975年名古屋場所で、13勝2敗で優勝した。76年秋場所直前に現役を引退し、27歳で部屋を継承した。2008年から2期4年、協会理事を務め、名古屋場所部長や広報部長を歴任。

元巨人の選手。
8月9日午前4時30分、食道がんのため神奈川県内の病院で死去。60歳。
1954年(昭29)8月7日生まれ。京都・西京商から72年ドラフト1位で巨人に入団した。本格派の投手として入団したが、78年から野手に転向。パンチのある打撃で同年のイースタン・リーグでは首位打者、打点王の2冠に輝いた。79年4月11日阪神戦(甲子園)で球団史上初のプロ初打席初本塁打を記録した。通算390試合に出場し、打率2割1分1厘、3本塁打、19打点の成績を残した。

漫画家、漫画演芸家、本名朝倉康夫さん。
8月5日、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、72歳。
観客のリクエストに応じて即興で漫画や似顔絵を描く芸で人気を博し、舞台やテレビなどで活躍した。昨年から東京演芸協会副会長を務めていた。

理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の副センター長。
8月5日、自ら命を絶った。
笹井氏は神経の発生系やES細胞の研究で知られる。98年には36歳の若さで京大再生医科学研究所の教授に就いていた。iPS細胞を用いた世界初の臨床研究を計画している高橋政代理研プロジェクトリーダーとも連携。12年に眼の組織のもととなる「眼杯」を、ヒトES細胞から立体構造として作製することに成功している。

演歌歌手。
8月2日、心不全で死去、73歳。
1967年に宮路オサムさんらと演歌グループ「殿さまキングス」を結成。73年発表の「なみだの操」が大ヒットし、翌年のNHK紅白歌合戦にも出場した。89年には杏しのぶさんと「オヨネーズ」を結成し、デビュー曲「麦畑」がヒットした。

7月

声優、舞台俳優、本名中村秀男さん。
7月30日死去、79歳。
「あしたのジョー」の主人公のライバル力石徹や「宇宙戦艦ヤマト」の島大介の声で知られる。ほかにも「アタックNo.1」の本郷俊介コーチ、「ど根性ガエル」の南よし雄先生など、有名アニメのキャラクターの声を担当したほか、洋画の吹き替えなどで幅広く活躍。

タレント、本名廣部吉行。
7月31日、肝不全で死去、58歳。
元タレントの島田紳助さんと交流が深く、「紳助の人間マンダラ」(関西テレビ)や「クイズ!紳助くん」(朝日放送)などに出演した。

電気設備資材メーカー「未来工業」(本社・輪之内町、名証2部上場)創業者。
7月30日、多臓器不全で死去、82歳。
岐阜県の電気設備資材メーカー未来工業の創業者の一人。年間約140日の休日やグループ企業を含む全社員の海外旅行などユニークな経営で知られた。

劇作家・演出家。
7月31日死去、46歳。
兵庫県芦屋市出身。1992年に劇団「桃園会」を旗揚げ。98年に「うちやまつり」で岸田国士戯曲賞、2005年に「屋上庭園/動員挿話」で読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。関西を拠点に活躍し、日常性を重視しながら広大な想像力で描きだす世界が高い評価を得た。阪神大震災や東日本大震災もテーマにした。ここ5年はがんと闘いながら創作を続けた。

広島に原爆を投下した米軍爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空士。原爆投下時の12人の乗務員のうち、最後の生存者だった。
7月28日、米ジョージア州ストーンマウンテンで死去。老衰。93歳。
米ペンシルベニア州出身。第2次世界大戦ではヨーロッパや北アフリカで爆撃機に搭乗した後、広島、長崎で原爆を投下した第509混成部隊に加わった。愛称は「ダッチ」。

アメリカ映画「ダイ・ハード」などに出演し、日系アメリカ人俳優の草分け的存在。
7月28日、ロサンゼルスで就寝中に死去。81歳。
ハワイ生まれ。ニューヨーク大学で演劇を学び、スター発掘番組をきっかけに芸能界入りした。「クリムゾン・キモノ」(59年)で映画デビュー。60年にはゴールデン・グローブ賞有望若手男優賞に選ばれた。歌手としても活動し、57年と58年にNHK紅白歌合戦に出場した。

88年には、アクション映画「ダイ・ハード」でテロリストに脅されながらも屈せず、撃ち殺されるタカギ社長役を演じた。北野武監督の「BROTHER」(01年)にも出演した。

小説「炎熱商人」などで知られる直木賞作家。
7月14日午後2時20分、肺炎のため死去。82歳。
東京都出身。早稲田大学卒業後、旅行代理店勤務時代に「あざやかなひとびと」で文学界新人賞。その後、日本航空に入社し、自らの長期にわたる海外駐在体験をもとにしたエッセー「新西洋事情」で昭和51年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
他の作品に、堀ちえみさん主演でドラマ化され大ヒットした「スチュワーデス物語」や「革命商人」「新東洋事情」など。産経新聞正論メンバーとしても健筆をふるった。

アントニオ猪木さんのものまねで人気を集めた芸人(本名春花直樹)。
7月3日、肝硬変のため都内の病院で死去。47歳。
1985年、片岡鶴太郎さんの弟子として芸能界に入った。ガウンをまとって「元気ですか」などと叫ぶアントニオ猪木さんのものまねが人気になり、2000年には電話会社のCMに「インターネッ党」の代表役で出演。得意のものまねを披露した。
05年に腎不全で入院。集中治療室に入るなど、数カ月の長期療養を余儀なくされた。その後は大好きな酒を控え、週末に企業のパーティーや結婚式などのイベントに出演していた。

6月

ロックバンド「すかんち」のキーボードを担当するなど、名キーボーディストとして知られた作・編曲家。
死去したことが26日、判明。53歳。
小川さんの公式サイトで「4月末より入院、闘病しておりました小川文明ですが、6月25日未明より容態が急変し、午後永眠いたしました」と報告された。
林田健司、筋肉少女帯、少年隊、光GENJI、SMAP、モーニング娘。、松浦亜弥らのレコーディングやステージをサポート。著書に「文明的鍵盤奏法のすすめ」「究極のキーボード練習帳」「鍵盤上達100の裏ワザ」などがある。

フリーアナウンサー。
6月21日午前2時35分、食道がんのため都内の病院で死去。62歳。
1975年、静岡放送入社。82年、TBS嘱託になり、同局「朝のホットライン」の司会者を務めた。85年のフリー転身後も「おはよう!CNN」「プロ野球ニュース」など、多くの番組で活躍した。

タレントのダンカンさんの妻、初美(はつみ)さん。
6月22日午後8時34分、死去。47歳。
事務所によると、初美さんは数年前から乳がんを患っていた。自宅で闘病していたが、22日に容体が急変したという。

前内閣法制局長官。
6月23日に死去。63歳。
外務省出身で、国際法局長や駐仏大使を歴任。国際法局長時代には、安倍首相が第1次内閣で立ち上げた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に関わった。
首相が集団的自衛権の行使容認に向け、昨夏、外務省出身者から異例の起用をした。しかし、その後に体調を崩し、今年1月に検査入院。腹腔(ふくくう)部に腫瘍(しゅよう)が見つかり抗がん剤治療を受け、2月の退院後も通院治療しながら国会答弁をしていた。

演出家。
6月21日死去、83歳。
映画会社・新東宝の助監督をへて、1963年にNHK入局。「事件」「あ・うん」「夢千代日記」などのドラマを手がけた。定年退職後は民放ドラマや舞台「父の詫(わ)び状」なども演出、00年の映画「長崎ぶらぶら節」では監督を務めた。95年、紫綬褒章。

元防衛庁長官。
6月21日、肺炎のため死去、88歳。
東京都青梅市長を経て1976年の衆院選に旧東京11区から出馬し初当選、自民党所属で8期務めた。90年に第2次海部内閣で防衛庁長官に就任。在日米軍の整理縮小などに取り組んだ。

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