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今年亡くなった著名人まとめ

昨年(2012年)~今年(2014年)に亡くなった有名人・著名人の記録。タレントや芸能人、スポーツ選手、ビジネス界など、各界で亡くなった有名人の方の職業や死因、年齢などを記録しています。合掌。

更新日: 2014年06月26日

takikawaさん

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6月

ロックバンド「すかんち」のキーボードを担当するなど、名キーボーディストとして知られた作・編曲家。
死去したことが26日、判明。53歳。
小川さんの公式サイトで「4月末より入院、闘病しておりました小川文明ですが、6月25日未明より容態が急変し、午後永眠いたしました」と報告された。
林田健司、筋肉少女帯、少年隊、光GENJI、SMAP、モーニング娘。、松浦亜弥らのレコーディングやステージをサポート。著書に「文明的鍵盤奏法のすすめ」「究極のキーボード練習帳」「鍵盤上達100の裏ワザ」などがある。

フリーアナウンサー。
6月21日午前2時35分、食道がんのため都内の病院で死去。62歳。
1975年、静岡放送入社。82年、TBS嘱託になり、同局「朝のホットライン」の司会者を務めた。85年のフリー転身後も「おはよう!CNN」「プロ野球ニュース」など、多くの番組で活躍した。

タレントのダンカンさんの妻、初美(はつみ)さん。
6月22日午後8時34分、死去。47歳。
事務所によると、初美さんは数年前から乳がんを患っていた。自宅で闘病していたが、22日に容体が急変したという。

前内閣法制局長官。
6月23日に死去。63歳。
外務省出身で、国際法局長や駐仏大使を歴任。国際法局長時代には、安倍首相が第1次内閣で立ち上げた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に関わった。
首相が集団的自衛権の行使容認に向け、昨夏、外務省出身者から異例の起用をした。しかし、その後に体調を崩し、今年1月に検査入院。腹腔(ふくくう)部に腫瘍(しゅよう)が見つかり抗がん剤治療を受け、2月の退院後も通院治療しながら国会答弁をしていた。

演出家。
6月21日死去、83歳。
映画会社・新東宝の助監督をへて、1963年にNHK入局。「事件」「あ・うん」「夢千代日記」などのドラマを手がけた。定年退職後は民放ドラマや舞台「父の詫(わ)び状」なども演出、00年の映画「長崎ぶらぶら節」では監督を務めた。95年、紫綬褒章。

元防衛庁長官。
6月21日、肺炎のため死去、88歳。
東京都青梅市長を経て1976年の衆院選に旧東京11区から出馬し初当選、自民党所属で8期務めた。90年に第2次海部内閣で防衛庁長官に就任。在日米軍の整理縮小などに取り組んだ。

俳優。
6月4日、腎不全のため死去。70歳。
東京都出身。昭和42年、NHKミュージカル「ある愛の奇跡の物語」でデビューし、舞台「どん底」「美しきものの伝説」、ドラマ「天下御免」「国盗り物語」「夢千代日記」などに出演。52年に映画「竹山ひとり旅」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。
幼少期を仙台で過ごし、東日本大震災では、宮城県石巻市で撮影した映画の出演料を被災地に寄付するなど支援に力を注いだ。
2014年1~3月放送のドラマ「ダークシステム」「チーム・バチスタ4」、6月下旬から放送のNHK連続ドラマに出演。5月28日に都内で行った音楽ライブが公に姿を見せた最後だった。

スポーツライター.
6月2日、急性骨髄性白血病のため死去、68歳。
フリーのスポーツライターとして「夕刊フジ」「Number」「週刊ポスト」などに寄稿した。

人気番組「DASH村」で農業指導した農家。
6月6日、福島県伊達市内の病院で死去、84歳。
日本テレビ系のバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、アイドルグループTOKIOが同県浪江町で農作業などをする人気企画「DASH村」に出演。メンバーに農作業の指導をしていた。

絵本「おしいれのぼうけん」などで知られる児童文学作家で評論家。
6月8日、心不全のため死去、86歳。
愛媛県出身。児童文学の創作と評論で活躍。昭和35年、「現代児童文学論」で日本児童文学者協会新人賞。平成6年に巌谷小波文芸賞。主な作品に「おしいれのぼうけん」「大きい1年生と小さな2年生」など。日本児童文学者協会会長も務めた。

写真家、ジャーナリスト。
6月1日、急性骨髄性白血病で死去、55歳。
静岡県富士市生まれ。20年以上にわたって刑務所を取材した。小型バイクによるベトナム縦断撮影旅行や10代の少女のルポなどでも知られる。著書に「ニッポンの刑務所」など。

詩人、日本芸術院会員。本名は福田正次郎。
6月1日、肺炎のため死去、92歳。
東大卒。高校の国語教師を経て、昭和25年に第1詩集「ETUDES」を刊行。その後、萩原朔太郎の研究に取り組み、精力的に評論を発表した。40年刊行の第2詩集「音楽」が室生犀星詩人賞と読売文学賞を受賞。自由詩を成り立たせている言葉の奥底にある「音」を探る試みが評価された。
その後も「幽明過客抄」で現代詩人賞、「鎮魂歌」で藤村記念歴程賞。平成6年から日本芸術院会員。玉川大教授も務めた。

5月

プロ野球巨人の原辰徳監督の父で、東海大系列校野球部総監督を務めた。
5月29日、心不全のため、神奈川県内の病院で死去。79歳。
福岡・三池工高野球部監督として昭和40年の夏の甲子園大会で当時無名だった同校を初出場初優勝に導き注目を集めると、翌年から神奈川・東海大相模高野球部監督に就任。春・夏合わせ計8度の甲子園大会で優勝1度、準優勝1度の成績を残した。
東海大を含め数多くのプロ野球選手を育てたが、特に長男である原辰徳監督との「親子鷹」は話題となった。巨人の菅野智之投手は孫にあたる。

雑誌「中央公論」の元編集長で戦後論壇を先導した評論家。
5月30日午後、心不全のため東京都内の病院で死去。84歳。
東大法学部を卒業し、1955年に中央公論社に入社。「中央公論」編集者だった60年代、国際政治学者の高坂正堯まさたかを論壇デビューさせたほか、政治学者の萩原延寿のぶとし、永井陽之助、劇作家の山崎正和さんらの論文を積極掲載し、左翼全盛の論壇に現実主義的路線を打ち立てた。66年にはイタリアで塩野七生さんと出会い、「ルネサンスの女たち」の執筆を勧めて作家デビューへ導いた。

京都大名誉教授・古生物学、元野尻湖発掘調査団長。
5月23日、敗血症ショックで死去、88歳。
1962年に市民参加で始まった野尻湖(長野県)の発掘調査団の団長を務めるなど、全国各地でナウマンゾウの発掘を指導し、「ゾウ博士」として広く知られていた。大型脊椎(せきつい)動物化石の専門家として、96年に三重県鳥羽市で見つかった恐竜化石の発掘調査団の顧問も務めた。92年から7年間、徳島県立博物館長を務めた。

日本相撲協会の前理事長で、元大関魁傑(かいけつ)、元放駒(はなれごま)親方。
5月18日、死去。66歳。
幕内在位45場所で優勝2度、殊勲賞2度、敢闘賞7度、技能賞1度。79年に引退後は放駒部屋をおこし、横綱大乃国(現・芝田山親方)らを育てた。
2010年8月に理事長に就任した。在任中の11年2月に発覚した力士らによる八百長問題では、同年の春場所の中止と技量審査の夏場所の無料公開に踏み切った。年寄名跡(親方株)を協会で一括管理する方針など、協会運営の大幅な見直しを進め、新制度下での協会の公益法人化へ道筋をつけた。

俳人。
5月19日、老衰で死去、100歳。
東京生まれ。飯田蛇笏(だこつ)に師事した。1961年に石原八束らと「秋」創刊に参加し、後に主宰。65年に現代俳句協会賞受賞。昨年、俳句で最も権威があると言われる蛇笏賞を最高齢の99歳で受賞した。代表句に「炎天の一片の紙人間〈ひと〉の上に」がある。

映画監督。
5月15日死去、80歳。
東映で菅原文太さん主演「トラック野郎」全10作を監督、藤純子(富司純子)さん主演「緋牡丹博徒」シリーズの脚本も手がけた。ほかに「文学賞殺人事件・大いなる助走」など。著書に「東映ゲリラ戦記」(筑摩書房)など。

戦後デザイン界の重鎮の一人として知られる家具デザイナー。
5月1日、老衰で死去。92歳。
旧満州(現中国東北部)出身。1947年に坂倉準三建築研究所に入社。57年の「藤山愛一郎邸」、58年の「松本幸四郎邸」では建築の設計から家具のデザインまでのすべてを手がけて、注目を集めた。
両邸宅に携わった経験から、次第に家具デザインに魅了され、和と洋を融合した多くの秀逸な作品を制作した。代表作は「低座イス」など。

シベリア抑留者支援・記録センター世話人。
5月11日、細菌性肺炎のため死去、88歳。
元シベリア抑留者で、1949年に帰国。教員を経て、70歳で抑留死亡者のデータベースを作り始め、4万6千人超の名簿をホームページや自費出版で公開した。2006年に吉川英治文化賞。

元Jリーグアジアアンバサダー。
5月9日に死去。52歳。
田部氏は教員を経て99年に横浜FC立ち上げに尽力。フランスリーグのグルノーブル、Jリーグ福岡などのGMを歴任し、13年2月にはJリーグのアジアプロジェクトの一環としてベトナムに派遣されていた。

全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)会長。
5月9日、群馬県の病院で死去。80歳。
17歳でハンセン病を発病し、香川県の大島青松園で半世紀にわたり療養。その後は元患者として療養所入所者の尊厳確立と差別撤廃、社会復帰、療養所の将来のため各地で活動を展開。
国立ハンセン病資料館の事業計画などを協議するため厚生労働省が設置した「ハンセン病資料館等運営企画検討会」や、全国の療養所にある史跡をどう保存していくか話し合う「歴史的建造物の保存等検討会」の委員を務めていた。

「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれた作曲家・編曲家。
5月10日、呼吸不全で死去。90歳。
東京音楽学校(現・東京芸術大)卒。ジャズのトランペッターとして活躍した後、編曲家になる。1972年から吹奏楽によるポップスシリーズ「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」を企画制作し、人気シリーズに育てた。「復興への序曲『夢の明日に』」(2013年度)など、全日本吹奏楽コンクールの課題曲の作・編曲にも携わった。

俳優、本名渡辺美二さん。
5月8日、脳出血で死去、68歳。
明るいキャラクターで、お笑いトリオ「レツゴー三匹」のじゅんとして1970年代を中心に活躍。俳優としてはTBS系ドラマ「半沢直樹」やNHKの連続テレビ小説などに出演した。

水俣病第3次訴訟原告団長。
5月4日、肺炎のため死去、88歳。
原因企業チッソのほかに、国と熊本県に初めて責任を問う水俣病第3次訴訟の原告団長となり政府の解決策受け入れに当たった。水俣病被害者の会全国連絡会幹事長を務めた。

声優。
5月1日、慢性腎不全のため死去、81歳。
矢田さんは、アニメ「ONE PIECE」のゼフ役、『ドラゴンボールZ』のDr.ゲロ、『聖闘士星矢』の老師役など数多くの人気アニメで活躍。洋画「トランスポーター2」や「デイ・アフター・トゥモロー」などで吹替えも担当していた。

4月

男女の愛と性を赤裸々に描いた「失楽園」「愛の流刑地」などのベストセラーで知られる作家。
4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去。80歳。
1933年、北海道生まれ。札幌医科大の講師(整形外科)を務めながら小説を発表。「小説・心臓移植」を69年に発表し、医師の倫理をめぐり話題となったが、学内の反発が強く辞職。上京して専業作家となった。70年には「光と影」で直木賞、80年には「遠き落日」「長崎ロシア遊女館」で吉川英治文学賞を受けた。
激しい不倫愛を描いた97年の「失楽園」、06年の「愛の流刑地」は映画化、テレビドラマ化されて大ヒット。

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