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【悲惨な戦争の現実】アウシュヴィッツ強制収容所の写真【グロなし】

アウシュヴィッツ強制収容所の写真です。ショッキングな写真がありますが、現実に起こった事から目を背けず、過去に起きた事を知っておきましょう。

更新日: 2013年09月02日

nobuyuki5さん

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向けられている銃が1つではない事が分かります。殺される寸前までわが子を守ろうとしている母親は、この後に銃殺されます。

あなたが兵士の立場だったら、どうしますか?

命令とあれば、母子を撃ち殺すか?

自分が殺される側だったかもしれない。もう少し早く生まれていれば、自分が銃を向けられて、この場に立つ人であったかもしれません。

「歴史は繰り返す」

アウシュヴィッツ強制収容所

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(独: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)は、第二次世界大戦中に、ヒトラー率いるナチ政権が国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所である。

アウシュヴィッツの絶滅計画

ヒトラーはユダヤ人を絶滅させようと考えていた。アウシュビッツ強制収容所は、そのために建てられた施設である。この4号棟では、この収容所の建設を決定した過程などが説明されている。
 このような収容所を建設する土地を選ぶ条件として、次のような条件があった。

 1.ヨーロッパの中央に位置し、交通の便がよいこと
 2.周囲の住民から施設を隔離できること
 3.増設していけるくらいの広大な土地があること

これだけ多くの人が亡くなったという証です。1日に数千人もの人が虐殺されていました。

毎日数千人がガス室に送られ、あるいは銃によって殺され、焼かれ、灰となって消えた

ポーランド南部の小さな町、オシフィエンチム。
ドイツ第三帝国時代、ナチスがアウシュビッツと名付けたこの土地に収容所が建設されたのは1940年のことである。

当初それはナチスに反抗するポーランド人の虐殺を目的としていた。が、時が経つにつれ収容所は拡張され、1-2年のうちにヨーロッパ中から集められた大量のユダヤ人を殺すための一大殺戮施設へと変貌していった。

そこでは毎日数千人がガス室に送られ、あるいは銃によって殺され、焼かれ、灰となって消えたといわれる。
やがて1945年、ドイツ敗戦によりナチスは崩壊。
収容所は開放され、元所長ヘスは絞首刑となった。

後ろから銃をつきつけられた、罪無き人。後ろで見ている兵士たちも、硬い表情をしています。

ユダヤ人絶滅システムとは,一般住民に反ユダヤ人プロパガンダを行い,ユダヤ人密告を奨励し,密告者に報酬を与え,貨車に過密なほどユダヤ人を押し込み,列車移送を軍需輸送の一環に組み込む。

そして,移送者の不動産から所持品まで全財産を収奪した。囚人は,奴隷労働として死ぬまで利用するか,ガス殺し,死体を焼却して,証拠隠滅を図る。このようなユダヤ人虐殺の重要な部分は,口頭でのみ命令され,文書化することを許さない。

労働できる25%を残して、残りの75%は、そのまま「シャワー室」と呼ばれるガス室に直行して、虐殺されました。

生きるか死ぬかが簡単に決まってしまいました。ユダヤ人は、「選別」の意味を全く理解していませんでした。労働者になれないものは、すぐに「ガス室」という事実を。

人に生死を委ねる状態になる前に何とかしなければいけないのです。

労働可能なユダヤ人囚人は,衣食住の物資も切り詰めて,過酷な条件で,奴隷労働者として,死ぬまで働かせた。

なんだか、今の企業の社会みたいだね。

ここで一度に数百人の人が詰め込まれ、外から鍵をかけられ、そして一瞬にして虐殺されました。

ここに自分が立つ事を想像してほしい。どんな絶望的な気持ちになるだろうか。

覚えておきたいのは、「歴史は繰り返す」という事実です。

アウシュビッツ強制収容所のトイレです。単に穴が開いただけの場所に用を足していました。

労働力にならない子供たちは、大半がガス室に送られて亡くなりました。

「私はマイダネクで今まで見たことのないおぞましい光景を見た。ヒトラーの悪名高き絶滅収容所である。ここで50万人以上の男女、子供が殺された。これは強制収容所などではない。殺人工場だ。

ソ連軍が入った時、収容所は生ける屍になった収容者が1000人程度が残されているだけだった。生きてここを出られた者はほとんどいなかったのである。連日のように何千人もの人が送り込まれてきて残忍に殺されていったのだ。ここのガス室には人々が限界まで詰め込まれたため、死亡したあとも死体は直立したままであった。

収容所は、兵士にとっては、死ぬリスクが低くて、楽な場所だったと言われています。

ドイツの兵士からすれば、強制収容所の暮らしは、前線に出る事もなく安全で快適なものでした。女性兵士と性的関係を持っていた看守が多かったとされています。

顔が安心している様子が伝わってきます。

天井が低くて、ベッドとはとても言えないような場所に詰め込まれていました。

兵士たちにとっては、収容所の生活というのは、前線に出るよりは「恵まれた」生活でした。

出典ameblo.jp

ここで降りた人は、男性、女性と子供に分別されて、労働力にならない男性以外は、ほぼ全てガス室で殺害されました。

生き残ったのは、終戦前にガス室に送られる前の僅かな人だけでした。

多くの人が全ての財産と衣服を剥ぎ取られた上で、殺害されました。

もう、何も食べていない様子が伝わってきます。

これほど痩せるという事は、ほとんど何も食べられていなかったという事を示しています。

電流が流れていたという事で、脱走はほとんど不可能でした。

ルドルフ・フェルディナント・ヘスが膨大な囚人を撃ち殺したとして、自身も戦後に特別にこの書境内を使って処刑されました。(副総統をしていたヘスとは別人です。)

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nobuyuki5さん

少しずつコンテンツの修正・加筆しています。

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