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舛添要一 「生活保護の姉 北九州市の扶養要請を断わった非情」

2012/6/2 週刊文春2007/9/13号2007/9/20号の内容追加 2012/5/30 週刊文春2007/10/4号の内容追加。構成変更。

更新日: 2014年01月08日

雨男さん

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次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚から、舛添要一参院議員の姉の生活保護受給の話が復活。

舛添議員の元妻、片山さつき議員が河本騒動に大きく関わってることから余計に話のネタになってるよう。

舛添要一姉、生活保護のソース

舛添要一「消せない過去」 最終回 生活保護の姉 北九州市の扶養要請を断わった非情

元ソース。週刊文春2007年10月4日号

舛添要一氏プロフィール

2007年当時の役職は自民党福田内閣で厚生労働大臣

2007年7月29日の第21回参院選では、再選を目指し自民党公認で比例代表区より立候補、与党への逆風の中で票を減らしたが、467,735票を獲得して自民党トップで当選した。選挙前後を通じて、党参院執行部の1人でありながら安倍内閣の政権運営を厳しく批判してきたが、2007年8月27日の安倍改造内閣において年金問題を始めとする多くの問題を抱える厚生労働大臣に任命され、安倍首相が辞任した後2007年9月26日に発足した福田康夫内閣、さらに2008年9月24日に発足した麻生内閣においても続投した

福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノの長男として生まれた。4人の姉がいる。

2度目の妻は官僚時代の片山さつき(当時朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3ヶ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て89年に離婚した

週刊誌記事の内容

姉の生活保護についての記事の内容

・舛添要一氏が母親の介護を始めるのは平成八年(1996年)から

・4人の姉のうち4番目の姉が生活保護を長年受けていた

・平成四年(1992年)、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添氏の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。

・当時の舛添氏はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。

・北九州市は生活保護率が全国一だったこともあり、当時は生活保護の適正化に一生懸命だった。

母の介護・長姉との確執について

・4人の姉のうち長姉とは母の介護を巡って絶縁状態

・「他の妹は要一のほうについた」(長姉談)

・舛添氏が母親の介護をしていたのは平成12年(2000年)に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度

・母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる三番目の姉が行なっていた(近所の老人談)

・舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、母親の死も知らされなかった

・舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、「全部嘘」(長姉夫婦談)。舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」

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このまとめへのコメント4

  • nazeさん|2012.06.02

    「4番目の姉は、長姉と折り合いが悪く、家出してしまい、現在では舛添家と縁が切られてしまっています。」と舛添氏の『母に襁褓をあてるとき』にありました。家出して行方知らずの親族の扶養、どうなんでしょうか。「努力義務」はあるんでしょうが、生活保護不正受給問題とは違うと思います。本を読むと長姉夫婦のほうが酷いです。警察沙汰にもなっています。

  • azipさん|2012.05.27

    モラルは他人に求めるものではない。自分のモラルは自身が決めるべきこと。
    その上で発生する社会問題を解決する機能が法である。

  • kpimp2さん|2012.05.27

    価値観はともかく、「モラル」は社会共通でなければ何も機能しない。法律すらね。

  • azipさん|2012.05.27

    親族の扶養は「努力義務」です。断っても違法ではありません。 舛添氏が拒否した理由がわかりませんが、自治体職員に向かって感情的になって断った、というのが事実とすれば、例えば姉とのトラブルか、腹に据えかねる事情があるのでしょう。 日本もモラルや価値観の相違を認め合える自由な世の中になってほしい。

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