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生前評価されなかった芸術家

ゴッホなど生前評価されなかった芸術家を集めました。やはり悲惨な生涯を送っているケースが多いようです。

更新日: 2012年12月14日

mocolifeさん

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生前に売れた絵はたった一枚-フィンセント・ファン・ゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、オランダの後期印象派の画家。彼の作品は感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、20世紀の美術に大きな影響を及ぼした。

フランスのパリやアルルに居を構え、印象派や浮世絵の影響を受けた作品を描いた。後期印象派の代表的画家として現在でこそ高く評価されているが、生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だった。人に贈った絵が、鶏小屋の穴を塞ぐのに使われていたこともあった(『医師フェリックス・レイの肖像』)。

ゴッホの死後、1891年2月、ブリュッセルのXX展で遺作の油絵8点と素描7点が展示された。1911年、ベルナールが自分宛のゴッホの書簡集を出版し、1914年、ヨーが3巻の『ゴッホ書簡集』を出版した。この頃には、ゴッホは、フォーヴィスム、ドイツ表現主義の画家たちから、現代美術史の先駆者とみなされるに至った。

これが生前唯一売れた『赤い葡萄畑』。
400フランなり。

貧困の中タヒチに移住し大作を作り続けた奇才-ポール・ゴーギャン

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン(ゴギャン)(1848年6月7日 - 1903年5月8日)は、フランスのポスト印象派の最も重要かつ独創的な画家の一人。

ポール・セザンヌに「支那の切り絵」と批評されるなど、同時代の画家たちからの受けは悪かったが、没後西洋と西洋絵画に深い問いを投げかけたゴーギャンの孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得していった。

ゴーギャンは上述のゴッホと一時期共同生活をしていたこともよく知られていますね。

1888年には南仏アルルでゴッホと共同生活を試みる。

が、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完全に破綻した。一般的にゴッホが自ら耳を切ったとされるこの事件だが、近年になり異説が唱えられ、耳を切ったのは実は剣を振りかざしたゴーギャンであったとも言われる(ゴッホ美術館専門家などは反論している)。

死後、友人が未完の草稿を発表したことで20世紀を代表する小説家に-フランツ・カフカ

フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)は、出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。

生前は『変身』など数冊の著書がごく限られた範囲で知られるのみだったが、死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。

独特すぎる作風に時代が追いつくのに時間のかかった詩人-エミリー・ディキンソン

エミリー・エリザベス・ディキンソン(Emily Elizabeth Dickinson、1830年12月10日 - 1886年5月15日)はアメリカの詩人。生前は無名であったが、1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けている。

エミリーの詩は、他の詩人の作品とは異なっていて、しばしば一目で見分けがつく。バラードと賛美歌の韻律を作る才能、草稿に見られるダッシュの多用と型にはまらない大文字の使用、風変わりな語彙と比喩的描写などにより、独特の叙情詩を作っている。

1886年の死去までに、わずかに7つの詩が世に出され、そのうち5つはSpringfield Republican紙上に掲載された。死後の1890年代に出版された3つの詩集で、エミリーはパワフルな奇人であることが証明されたが、詩人として評価されるのは20世紀を待たなければならなかった。

海外で高い評価を得たことで有名になった謎の浮世絵師-東洲斎写楽

東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)とは、江戸時代中期の浮世絵師。

寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。


ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家と激賞したことがきっかけで(“Sharaku” 1910年)、大正時代頃から日本でもその評価が高まった。

生前に受け取った原稿料は5円-宮沢賢治

宮沢 賢治(みやざわ けんじ、本名:宮澤 賢治、1896年(明治29年)8月27日 - 1933年(昭和8年)9月21日)は、日本の詩人、童話作家。

生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪渡り』で得た5円だけであったといわれる。 しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に草野心平の尽力により多数の作品が刊行された。

極めて高い評価を得たものの若くしてなくなった女流作家-樋口一葉

樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。東京生れ。本名は夏子、戸籍名は奈津。

中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、24歳6ヶ月で肺結核により死去。『一葉日記』も高い評価を受けている。

誰にも見せることなく半世紀作品を書き続けたアウトサイダーアートの代表的作家-ヘンリー・ダーガー

ヘンリー・ダーガー(Henry Darger, 1892年4月12日 - 1973年4月13日)は『非現実の王国で』の作者である。

誰に見せることもなく半世紀以上書き続けたが、死後にそれが発見されアウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。

いわゆる「アウトサイダー・アート」の作家をまとめた物も作りました。

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