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実際にタイムスリップした人々 まとめ

実際にタイムトラベルしたと言われる証言まとめ

更新日: 2012年09月21日

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タイムトラベル (Time travel) とは、通常の時間の流れから独立して過去や未来へ移動すること[1]。「時間旅行」ともいう。他に、移動 の様態によって「タイムスリップ」「タイムワープ」「タイムリープ」「タイムトリップ」など多様な表現がなされる。

ベルサイユの出来事

それは1901年フランスのパリ郊外にあるベルサイユ宮殿で起った不思議なお話です。その日のベルサイユ宮殿は大勢の観光客で賑わっており、その中にイギリスから来たセント・ヒューズ女子短期大学の初代学長アンモーバリー女史と副学長のジョーダン女史もいました。その出来事は二人が宮殿の建物から庭園に出たときに起りました。

二人の前に突然古めかしい服装の庭師らしき男と女が4人庭仕事をしているのに出会ったのです。不思議な気持ちがしながらもそのまま歩いていた二人は、自分たちの前にもう一人、今は誰も身につけないような幅の広い帽子と古風なバックルがついた靴をはいた男を見つけたのです。彼は二人に「そっちに行っても何もない」と教えてくれました。周りを見渡したアンモーバリー女史とジョーダン女史はさっきまであんなにたくさんいた観光客の姿が一人もみえないのに気づき、顔を見合わせました。気味が悪くなった二人はそのまま歩いていくと庭園の中の家のテラスで足首までのスカート、大きな白い帽子といった時代離れした服装で庭園のスケッチをしている高貴な女性を見かけたのです。庭園の中では最後まで他の観光客には出会わず、庭園を出たところで大勢の観光客がざわめいているのを見て二人は現実に戻ったような気がしたのです。

この出来事が現在のものとはとても思えなかった二人はイギリスに帰った後図書館に保存されているベルサイユ宮殿の歴史を徹底的に調べたのでした。そして、二人が出会った人々の服装や庭園の配置などが1789年フランス革命の真っ只中のベルサイユ宮殿であることが分ったのです。しかも二人の出会ったテラスでスケッチをしていた女性こそあのルイ16世の王妃であるマリー・アントワネットだったのです。それが公表されるとイギリス内でいろんな論評がなされ、2人の知的な女性のタイムスリップを信じる声とともに二人の記憶力を疑う声もあったようですが、その奇妙な経験はいまだに十分解明されていないのです。

時空を超えて出会った大昔の複葉機

個人パイロットのエドウィン・アルバートは新しいセスナ182型機でアメリカ上空を飛行していた。1960年のことである。そのとき突如としてセスナ機の前に別の小型飛行機が現れた。あまりにも突然であったためよけることができず2機は接触したが、軽い接触であったため幸いお互いの飛行に影響する事はなかった。しかし、後ろを振り返って接触した飛行機を見たアルバートは自分の目を疑った。後ろをに見える機体は大昔にすべて解体されたはずの古いレアード複葉機だったのである。

アルバートはこの事件後レアード型複葉機の記録を調べたが、やはりすべての機体がとっくの昔に解体されていた。しかし、オハイオ州の小屋に一機だけ保管されていることを知った彼はそれを見に行くことにした。その小屋に入ると確かに複葉機が保管されていたが、それを調べた彼はその胴体に自分のセスナ機の破片が食い込んでいるのを見つけて驚いた。そして、複葉機の操縦席の飛行日記を見ると、「今日、見たこともない奇妙な金属製の飛行機と接触し九死に一生を得た。あの飛行機はどこから来たのだろうか」という記事を見つけた。アメリカ連邦捜査局(FBI)にその飛行記録を調べてもらったところ、今から30年前の1932年頃に書かれた飛行記録であることが分かった。

アルバートとその複葉機がどのようにして時空の壁を超えて出会ったのかはいまだに分かっていない。

時を超えて生まれ変わった少女

1963年の西ドイツ。12歳の少女ヘレーネ・マルカルドは交通事故に会い意識不明の重体となった。数日後奇跡的に意識をとりもどしたヘレーネは『ここはどこ?」「私はなぜここにいるの?」と、習ったこともないイタリア語でを話し出した。そしてイタリア語で「私の名は、ロゼッタ・カステラーニ。イタリアのノヴェンタ生まれです。私にはブルーノとフランチャの二人の子供がいます。」と、話した。その話を聞き興味を持った新聞記者が調べてみると、その女性は確かにいたが1917年30才で病死していた。

タイムトラベラー サン・ジェルマン伯爵

フランスの貴族サン・ジェルマン伯爵の歴史は有名な作曲家ジャン・フィリップ・ラモーの1710年の手記の中に初めて登場する。その手記によるとその時のサン・ジェルマンは50歳くらいに見えたそうだ。それから50年ほど経って、サン・ジェルマン伯爵はフランス国王ルイ15世の愛人マダム・ポンパドールの主催するパーティにベルサイユ宮殿に現れる。しかも全く同じような若さで。


それだけでは終わらない。彼の記録は1785年のフリーメイソンの会合、1821年のステファニー・フェリシテ女史の手記にも残されている。いずれも50歳くらいの年齢であったという。

彼は歴史の話が好きで昔の古い世界の話をまるで見てきたかのように生々しく話していたと言う。まもなく、汽車や蒸気船の時代が来る事も予言した。また、莫大な富を得ていたが、それらをどのようにして手に入れたかは誰も知らない。ルイ15世が所有していたダイアモンドの傷を完全に消してしまったこともある。これらの話はでたらめや伝説ではなく、貴族や教養のある人々の記録に残っている歴史的事実なのである。これらの事実は彼がタイムトラベラーだとするとすべて説明がつくのである。

第1次大戦にタイム・トラベル?

1980年のことです。デイヴィッドさんはフランス北部にあるソム地方をドライブしていました。真夜中になったころ、彼は休憩のため車を止め、外に出ました。そのとき彼は突如として戦場のど真ん中にいるような気分に圧倒されました。視覚的には何も見えなかったのですが、叫び声や銃撃の音、そして破裂弾が爆発する音などが聞こえてきたのです。つんと鼻をつくガスの匂いもしたといいます。恐怖に襲われた彼は車に戻り、ドアをバタンと閉めました。心臓は高鳴っていました。デイヴィッドさんは気持ちが静まるまで車内でじっと座っていました。もう一度ドアを開けたところ、騒音はやんでいました。

 ソム地方は第一次世界大戦の戦いが数多くおこなわれた場所で、さまざまな国からやってきた多数の兵士たちが戦場で命を落としました。彼らの冥福を祈って、この地方にはいくつかの軍隊墓地や記念碑が建てられています。

ハイウエイで・・・

1992年のことです。当時、私はフロリダの学校に通っていました。学校から自宅までは車で約一時間かかります。ある朝、講義がキャンセルされたので、私は帰宅することにしました。自宅に至るためには有料道路を通らなければなりません。その途中には二箇所の料金所があります。キャンパスを発ったときは南フロリダらしい陽光がさんさんと注いでいました。道路の使用料金は自分の隣にある入れ物に用意してありました(私はドライブするとき、事前にお金を用意しておくことにしています。料金を払う段になってからお財布の中を探し回りたくありませんから)。私はラジオを聴きながら車を走らせていました。ちょっとボーッとした状態でした。同じ道を何度も走っていたら誰でもそんな精神状態になるものですよね。

 最初の料金所を通過し、すべては普段通りでした。次に私は出口の表示を目にしました。気が動転した私は車の時計と腕時計の両方に目をやりました。二つの時計とも、私が10分前にキャンパスを発ったことを示していました。私はどういうわけか30分かかる道程を10分で走破してしまったのです!二番目の料金所のために用意してあった小銭はまだ入れ物に残っていました。出口を出たあと、私は車を停めました。私は混乱した状態にありました。ハイウェイ・パトロールが料金を踏み倒した私を追いかけてきても不思議ではない、という気持ちでした!

 気が静まった私は、二番目の料金所の遮断棒をぶち壊して、そのことに気づかないまま、ここまで走ってくることはありえない、という結論に到達しました。この謎をどうやって説明したらいいのでしょう?私には説明できません。ラジオは途切れることなく鳴っていたし、すべては正常に思えました。ただ一つ説明できないのは、30分の道のりを10分で走り通し、なんらかの方法で料金所を飛び越してしまったことです!

消えた1時間

アメリカの男性の体験談


以前、私は妻と一緒に病院の実験室に勤めていました。ふたりとも土曜日は出勤日だったのですが、2年にわたり、私は土曜日に同じ行動を繰り返しました。午後12時50分になったら、仕事の手を休めて自宅に向かい、息子ふたりを車に乗せて、カブスカウトの集まりに連れて行ったのです。

 この集まりはいつも午後1時に始まりました。息子たちを降ろしたあと、自宅に向かい、1時間の昼休みをとりました。そのあと、再びカブスカウトの集会所に車を走らせ、2時に息子たちを車に乗せ、家まで送り届けて、2時10分までに職場に戻るというスケジュールでした。

 息子たちをカブスカウトの集会所で降ろしたあとは、1時5分~8分までに帰宅するのが常でした。もうお気づきと思いますが、職場と集会所と自宅はお互いに至近距離内にあります。最長でも5キロぐらいしか離れていませんでした。自宅と職場の間の距離は更に短く、せいぜい100メートルぐらいのものでした。

 ある土曜日、私は息子たちを集会所まで送り届けたあと、自宅に向かいました。いつものとおり、我が家で1時間かけて、のんびりとランチを食べるつもりでした。

 家に着いた私は驚愕しました。玄関の時計が2時を指していたからです。1時2~3分には集会所を発ったので、遅くとも1時8分には到着しているはずだったのです。娘と一緒に留守番をしていたベビーシッターは、なぜ私が昼食をとるために帰ってこなかったのか尋ねました。彼女は私の土曜日のスケジュールにすっかり慣れっこになっていたのです。

 家にある時計をすべて確認しましたが、どれも2時を指していました。そのとき私は胃がむかむかするのを感じました。なぜなら、このできごとがちっとも意味を成さなかったからです。私はありえないことを受け入れざるを得ない立場になりました。私は仕方なく車に戻り、集会所に向かい、息子たちを車に乗せ、自宅に送り届けたあと、職場に戻りました。

 私は失われた1時間について説明することができません。あの日、運転の途中で車を停めることはなかったし、遠回りもしませんでした。その後、少なくとも1年にわたり同じ行動を繰り返しましたが、幸いなことに、時間を失ったのはこれが最初で最後でした。

 この日、私はエイリアンのUFOに乗ったのでしょうか?そんなことはないでしょう。とにかく論理的な説明ができないのです。このできごとについて考えるたびに、ひどくいらいらした気持ちになります。

エリア51での時間消滅

私のお話は1997年にさかのぼります。今から私がお話することはあなたにショックと畏怖の念を与えるかもしれないので、心の準備を整えてください。これは本当に起こった話ですが、それだけでなく、この話に含まれている情報に注意していただきたいのです。

 1997年に、私は妻とふたりの息子と一緒に、ネバダ州にあるレイチェルという名の小さな町に住んでいました。この町はエリア51の北16キロのところに位置しています。エリア51は極秘の軍事基地で、ここでアメリカ政府はあらゆる種類の実験をおこなっています。エリア51ではF117ステルス機や、SR72および75航空機といった極秘の航空機が製造されています。それと、翼なしで空中に浮かぶ珍しい航空機もここで作られています。セクター4はグルーム湖の東、10キロのところに位置しています。グルーム湖はエリア51の一部をなします。

 それでは私の話を始めます。当時、私はレイチェルの町で「接近遭遇Tシャツ」という名の小さなTシャツ店を経営していました。町の人口は98人なので、かなり小さいです。1997年3月のある朝、私はいつも通り店を開けました。その日は快晴で、気温は30度を越えていました。妻はときどき店にやってきて、客の対応をしてくれます。11時47分ごろ、妻が店にやってきて、一緒に昼食を食べないかと誘いました。私は同意し、店を一時的に閉めることにしました。扉に鍵をかけたあと、私たちは自家用車(1983年製のホンダアコード)に乗り込み、レイチェルの町のガソリン・スタンドに車を走らせました。ガソリン・スタンドはすぐ近くにあり、距離にして精々100メートルでした。私たちはガソリン・スタンドにある軽食堂に入り、冷凍庫からハンバーガーを取り出し、電子レンジで温めました。その後、私たちはランチを食べて約20分をガソリン・スタンドで過ごしました。

 私たちがガソリン・スタンドを出たのは12時15分ごろでした。そのとき私は退屈していたので、12時半になるまで店に戻りたくありませんでした。そこで町中を車で流すことにしました。町には数件の民家と数件の可動住宅があるだけです。私たちは裏道を走り、停止の標識があるところで停まりました。原因不明の理由により、私はこの標識のところで必要以上の時間を過ごしてしまったのです。そのときの空気は重苦しく、変な感じがしました。私はそこで2分ほど停車したあと、Tシャツの店に戻りました。

 ホンダを停めたあと、妻と私は車から出ました。車の脇に立った私は「何かがおかしい」と感じました。しかし、何がおかしいのか具体的に説明できませんでした。一、二分後、私はハタと気づきました。妻に、何か変わったことに気づかないかと尋ねたら、彼女はあたりを見回し、変な表情を見せました。彼女の答えはこうでした。「あなた、日が沈んでいるわよ。一体何が起こったの?」腕時計に目をやったら、そのときの時刻は午後7時半でした!

 私たちは7時間をなくしてしまったのです。そのとき、上司のドンがトラックでやってきました。ドンは私に、今までどこに行っていたのか、そして彼の息子はどこかと尋ねました。上司の息子と私の息子は、私の可動住宅でビデオゲームに興じていたのです。可動住宅の窓をコンコンと叩いたら、私の息子が扉のところにやってきました。私は息子に、今が何時ごろだと思うかと尋ねました。そうしたら彼は「1時ごろじゃない」と答えました。私が7時半だと言ったら、息子は「冗談キツー」と言いましたが、外に出てきて、太陽が沈んでいることに気づき、驚愕しました。私が上司に事の次第を説明したら、彼は笑い出しました。「頭がおかしくなったと思っているんだろう」と言ったら、彼は「お前はまだいいほうだよ。俺なんか3日をなくしたんだぞ」と答えました。

 その後、この問題について調査した結果、レイチェルの町で時間をなくすことは日常茶飯事であることを知りました。この町は高速道路375線上に位置しています。この高速道路は一名「地球外生物高速道路」として知られています。時間移動の体験をしたいのだったら、タイミングがいい限り、この町でできるかもしれません。エリア51ではエイリアンの宇宙船が分解され、模倣されているという、もっぱらの噂です。

キャンプ場の一夜

あれは僕が大学に進学する前の夏のことでした。僕はケンタッキーにあるダニエル・ブーン国立森林地帯でおこなわれたキャンプにリーダーとして参加しました。キャンプの参加者はリーダーを除いて全員、腕時計の着用を禁じられています。しかも偶然、キャンプのリーダーたちは二人を除いて全員がデジタル時計をはめていました。キャンプは7日間続きましたが、最終日までにデジタル時計の電池がすべて切れてしまったのです。キャンプをたたんだ後は早朝に出発するバスに乗らなければなりません。目覚まし時計がないので、うかうかしていたら寝過ごしてバスに乗り遅れてしまうかもしれません。

 僕は最年長だったので徹夜することを買って出ました。朝の5時になったらみんなを起こし、ハイキングをしてバス停まで行くことにしたのです。別のリーダーであるマットが僕につきあって徹夜してくれることになりました。僕たちは他の三人のリーダーと一緒にキャンプ場から800メートルほど離れたところにある谷の大岩の上で一夜を明かすことにしました。その大岩は谷を流れる川の真ん中に突き出ていました。川の流れが土地を侵食し、深い峡谷ができたのです。谷の深さは9メートルほどあり、キャンプ場は谷の上にありました。

 三人のリーダーが眠りにつき、マットと僕は明朝のハイキングに備えて川の水を浄化する作業にとりかかりました。日が落ちてから二時間も経たないころでしょうか、何か光るものが谷を降り、こちらにやってくるのが見えました。僕たちは光の主がキャンプの参加者だろうと推測しました。そこで懐中電灯を持って光のほうに近づいていきました。峡谷にかかる橋に向かって谷を登り始めたら、光は僕たちから離れていきました。マットと僕はタバコを吸いながらその様子を見ていました。僕たちは話し合った末、別のグループが川の下流でキャンプしているのだろうという結論に達しました。

 大岩に戻ってきたところ、再び光が現れ、こちらに向かってやってきたのです。僕はマットと話し合った結果、僕たちのキャンプの参加者が迷子になったのだろうと推測しました。そこで近くに行って、問題の人物に会うことにしました。ところが今度も光は僕たちから遠ざかっていったのです。谷を登って光が現れた場所まで行ったのですが、それでも会えませんでした。僕たちは大岩に戻りました。そのころまでに光はほとんど見えなくなっていました。

 午前0時を少し回ったころ、僕たちは「幻覚を見るのにはまだ早すぎるよな」と冗談を言い合っていました。ところがそのとき、さっきと同じ場所に再び光が現れたのです。そこで僕たちは眠っている三人のリーダーのうち一人を起こして彼の意見を聞いてみることにしました。彼は光が見えると言い、何か重要なことが起こったら起こしてくれと言って再び眠りにつきました。

 マットと僕は大岩の上に仰向けになり、流れ星を探しながらタバコを吸うことにしました。それから数分後、光が見えなくなったとマットが言いました。確かに彼の言うとおりでした。次の瞬間、「起きろ!」という声が谷の上から聞こえてきました。僕たちは混乱して腕時計を見ました。時刻は午前5時半になろうとしていました!マットと僕が眠りに落ちた可能性は絶対にありえません。なぜなら、仰向けになる前につけたタバコがまだ煙をくゆらせていたからです。僕たちは謎の光が5時間を瞬時にして消し去ったのだと考えています。

未来の自分を救った男

1993年の冬にカリフォルニアで起こったできごとです。

 その日の朝は寒く、霧が立ち込めていました。スコットと、彼の父親、そして彼の弟は仕事のために車でブドウ畑に向かっていました。その頃はブドウの樹の剪定をする時期だったのです。スコットはその仕事をひどく嫌っていました。凍えるような寒さの中で、一日中休みなしに働くのがいやだったのです。それに、すばやく、能率的に仕事をする必要もありました。スコットはそんな能力がなかったのです。

 運転中、彼らは道端を這っている男性を前方に認めました。その男は濃い口ひげを生やしており、赤のジャケットと擦り切れたジーンズを身に着けていました。彼らは車を停めて外に出ました。男がひどい痛みに苦しんでいることが、彼の表情から見て取れました。三人は男に話しかけ、両脚の骨が折れていることを知りました。

 一時間以上前、男は車を走らせていたのですが、メンテナンスのために一時停車しました。ドアを開けて外に出かけた正にそのとき、霧の中から大型のトラックが走り出てきて、ドアにぶち当たり、その衝撃で両脚の骨が折れたというのです。トラックは事故を無視して走り去り、霧の中に消えていきました。その後、彼は助けを求めて一時間以上、這い続けていたというのです。

 スコットの父親は彼の体に毛布をかけ、助けを呼びにいくから、この場を動かないようにと告げました。三人が車を走らせていたら、男のものと思われる車が目に留まりました。でも、運転席側のドアは少しも破損していなかったし、ガラスの破片があたりに散らばっていることもありませんでした。車はよい状態だったのです。次に三人は運転席に誰かいることに気づきました。そこで三人は信じられない光景を目にしました。同じ男がそこに座っていたのです! 濃い口ひげ、赤のジャケット、髪型、目……すべて同じだったのです。一体これはどうなっているのでしょう!

 男が車から出ようとしたとき、三人はヘッドライトが近づいてくるのを見ました。そこでスコットの父親はクラクションを強い音で長々と鳴らしました。男はその音に気をとられ、車から出るのが数秒遅れました。次の瞬間、四輪駆動のトラックが霧の中から走り出てきて、男の車スレスレのところを通り、走り去っていきました。その後、三人は男が大丈夫かどうか確かめるため、彼の元に駆けつけました。

 男は三人に感謝することしきりでした。もし、スコットの父親がクラクションを鳴らさなかったら、彼は車から出て、事故死したかもしれません。彼は丁重に礼を述べたあと、走り去りました。その後、スコットの父親は友人の家に車を走らせ、電話で救急車を呼びました。そして三人は怪我した男がいる場所に戻ったのです。彼はそこにいませんでした! 彼が這ってその場を去らなかったことは確かです。もし、そうしていたら、泥道に跡が残っていたはず。そんな跡はなかったし、あたりには誰もいませんでした! そこにあったのは毛布だけでした。

 男の魂が、未来に起こる事故を防ぐために、何らかの形でスコットの家族に警告したのです。不思議!

ドッペルゲンガー?

私の家の近くにハイベリー・クレセントという名の公園があります。あれは1992年の春(3月か4月)のことでした。私は公園沿いの歩道を歩いていました。そのとき、道路の反対側の歩道を私そっくりの人が歩いてくるのを目撃したのです。その人は私に似ていましたが、私よりも二、三歳年上に見えました。その人は通り過ぎる際、とても変な表情を私に見せました。

 それから二、三年後、私は反対側の歩道を歩いていました。そのとき道の向こう側で、ビックリするほど私に似た人が歩いてきたのです。ただ、その人は私よりも二、三歳年下に見えました。私は昔のできごとを思い出し、自分の服装を見てみました。私のいでたちは二、三年前に見かけた人とまったく同じだったのです。彼は私がとても変な表情を見せたことに気づいたはずです。私は一ヶ月分に相当するほどの寒気を味わいました!

5分前の自分

これは1997年9月に起こったできごとです。当時17歳だった僕はタイムトラベルを体験しました。

 僕は自宅で映画を楽しむために、飲み物とスナック菓子を買いに外出しました。時間は午後9時だったので、あたりは暗くなっていました。

 自宅から店までは徒歩5分です。家を出てすぐ、ふたりの若い男(兄弟のように見えました)が僕に向かって歩いてくるのに気づきました。彼らは僕の8~9メートル先にいました。弟(もしくは背の低いほうの男)がもうひとりの男に向かって、僕を指さしながらこう言いました。「おい、あいつ、さっき見なかった?」と。

 僕は当惑したので、ふたりを見返してやりました。この日、僕は家でずっとビデオゲームをしていたので、一歩も外に出なかったのです。ふたりとも、僕が向かっている店のビニール袋を提げていました。きっと、その店に行って戻ってきたのでしょう。ふたりは僕の住んでいるアパートのビルに入っていきました。その時点では、彼らの言ったことが意味をなさなかったので、意に介しませんでした。

 家を出てから2分ほど経ったとき、明るい光が僕の目に飛び込んできました。光源は見当たらなかったです。その光は4~5秒で消え去りましたが、僕はぐるぐる回るような感覚に襲われ、気持ち悪くなりました。その現象が終わったとき、僕は倒れることもなく、その場に立っていました。気分もよくなったので、僕は再び店に向かって歩き始めました。

 さあ、話はここから核心に入ります。店に着き、自動ドアを通って中に入ろうとしたら、ふたりの男が店から出ようとしていました。彼らは先ほど僕について変なことを言ったやつらでした! ふたりとも店のビニール袋を提げていました。僕たちは再び見つめあいましたが、今回ふたりは何も言いませんでした。

 あなたはこんな風に思うかもしれません。「何もおかしいことはない。ふたりは買い忘れたものがあったので、店に戻ったのだろう」と。でも、ふたりが店に戻ったことはありえなかったのです。先ほど、僕はふたりがアパートのビルに入っていくのを見ました。僕の住んでいるところは広々しています。アパートと店の間に別の道はありません。ふたりが店に戻ったのだったら、その姿をしっかり見たはずなのです。

 僕はふたりがどのようにして店に戻ったのか理解できませんでした。そのときはタイムトラベルのことなど考えにも及ばなかったのです。僕は7~8分を店で過ごしたあと、帰途につきました。

 自宅に帰ったら、母親から「あなた、店まで走って行ってきたの?」と尋ねられました。母の言うことには、僕はわずか18分で戻ってきたというのです。僕は腕時計を見て、店まで行って帰ってくるのに、少なくとも25分かかったことを確認しました。でも母は「そんなはずはない。あなたが外出するとき時計を見て確認したから」と言い張りました。

 自分の寝室に行って目ざまし時計を見たら、腕時計よりも5分30秒遅れていました。その前日、僕は腕時計と目ざまし時計の時間を合わせたので、目ざまし時計が遅れていたわけではありません。

 それ以来、僕は5分前の過去から抜け出せないでいます。

黒ずくめの男

私はイギリス北西部にあるマンチェスターの町に住んでいます。これは私が11歳のときの体験談です。

その日は土曜日で、明るく晴れ上がっていました。私は母と連れ立って街に買い物に出かけました。買い物をすませ、帰りのバスを待っているとき、私は道の向かいにあるマクドナルに行きたくなりました。当時、マクドナルが開店したばかりで、そこに行くことは若い子たちの間でちょっとおしゃれなことだったのです。私はお気に入りのイチゴ・ミルクセーキを飲みたくなったのです。

せがんだ末、母はマクドナルドに行くことを許してくれました。でも、母から「早くしなさい。バスに乗り遅れたら30分も待たなくてはいけないから」と釘を刺されました。私は店に向かい、イチゴ・ミルクセーキを買って、外に出ました。私はコップのふたにストローを差し込むことに気をとられていました。そのとき、私の行く手にどこからともなく人が現れ、もろにぶつかってしまったのです。まるで冷たい鉄に当たったような衝撃を覚えました。

目を上げた私は、驚きのあまり立ちすくんでしまいました。その男性はビクトリア時代の葬儀屋を思わせる、異様な外見だったからです。彼は60代後半から70代前半の老人で、背が高く、やせていました。その日はかなり暑かったのに、彼は黒ずくめの服に身を固めていました。黒のフロックコートをはおり、黒のズボンをはき、黒の手袋をはめ、首には黒のスカーフを巻いていました。そして頭髪はクリームのようなもので後ろにしっかりなでつけてありました。

私は「本当にすみません。あなたの姿が見えなかったんです」と謝ったのですが、その男性は「ばかな小娘が。どこを向いて歩いているのだ」とでも言いたげに、私をじろっとにらみつけました。そのとき、彼の瞳が真っ黒だったことを覚えています。私は再び詫びて、母が待つバス停に急ぎました。その途中で私は振り返ってみました。きっと他の通行人も彼の姿を見ただろうと思ったからです。ところが、その男性は影も形もありませんでした。

母に「私がぶつかった変な男性を見た?」と尋ねたところ、母からは「そんな人など見なかったよ。おまえが道の真ん中で立ち止まったところは見たけど」という答えが返ってきました。

その後、私は母から興味深いことを教えられました。現在ショッピングセンターがあるところに、教会の墓地があったというのです。ショッピングセンターを立てるために、墓を掘り起こし、墓地を移動したのです。当時の子供は興奮して作業を見ていたそうです。

その男性には体があったし、私が話しかけたら反応を示したので、幽霊ではなかったと思うのです。私がショックを受けたのと同じくらい、彼もショックを受けているように見えました。何かの拍子で、過去と現在が交差したのではないかと思っています。

チャップリンの映画でタイムトラベル?

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