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【伝説】高倉健が何故ヤバいのかを「あなたへ」まとめ【エピソード】

高倉健主演映画「あなたへ」2012年8月25日公開。

更新日: 2013年01月13日

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御年81歳の高倉健さん、2012年8月25日公開の主演映画「あなたへ」を控え、そのヤバさをまとめてみました。
※撮影でのエピソードがヤバい
※慕う人とのエピソードがヤバい
※サプライズがヤバい
※いろいろヤバい

※撮影でのエピソードがヤバい

新作映画の撮影中、いつも持ち歩いていた台本に、1枚の写真を貼り付けている。
震災の残骸の中、唇をかみしめて歩く少年。新聞から切り抜いた。
「宝物です」。
被災地を思う高倉さんは「人生は切ない。
切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」と語る。

『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。
その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。
あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。

真冬の福井へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。
厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしない。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。
このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。
やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた

軍隊が訓練中に八甲田山で遭難してしまう映画「八甲田山」
吹雪の中で立ち往生してしまうシーン
現場に行くのに役者は歩いて行かないといけない
当然足跡がつく
立ち往生しているのに足跡がついているのはおかしいと、雪山で4時間、足跡が消えるのを待った

高倉さんは撮影の前に必ず現場を自分の目で確かめにいらっしゃいます。僕の撮影の時は必ずですから、すべての現場でそうされてるのではないかと思います。
その時は撮影前日で、強い雨が降っていました。これだけ強い雨だから、もしかしたらチェックに来られないのではないかとも思っていました。冬が近づいていてかなりの寒さでした。僕らスタッフ全員、緊張しながら高倉さんを待っていました。
約束の時刻ピッタリに車が止まり、ドアを開ける高倉さんが見えました。僕らが待っている現場まで4~50mはあったでしょうか。高倉さんは傘も差さずに、そのまま走って向かって来るのが見えました。一刻も早く現場をこの目で見たい、少しでも早くスタッフを確認したいとの思いだったのでしょう。運転手や代理店の人たちが傘を持って後ろから高倉さんを追いかけています。
一瞬のうちにずぶ濡れになった高倉さんを見て、僕たちスタッフは、全員、差していた傘をその場に投げ捨てていました。

ブラック・レイン」(89年、リドリー・スコット監督)
に出た故・松田優作の言葉
「優作が『高倉健さんって、ありがたいよね』
としみじみ言うんですよ。
『健さんが道をつけてくれたから、日本人の俳優という
だけで尊敬される』って。

共演したマイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃した。その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた

高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。

『夜叉』の撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮していた。

「第1回の『八甲田山』の時は東映を出たばかりでした。賞に縁のなかった自分が、それから立て続けに賞をいただいた。褒めてもらって、しかもギャラがどんどん上がる。何か違うんじゃないかと思ってね」
 ――でもギャラも大事。
 「もちろんです(笑い)。でも、時々ね、ギャラより大事なものが出てくる。痛切に感じたのが中国で撮った前作『単騎、千里を走る。』でした。撮影が終わった時に、百何十人のスタッフがみんな泣くんです。僕に抱きついてきてね」

武田さんにとっては初めての映画出演でしたが、
今年4月にあった「幸福の黄色いハンカチ 
デジタルリマスター」の公開記念試写会にて撮影当時を
振り返り、
「僕は素人俳優だから、監督にいつも怒られていましてね。
健さんが『お前、大変だったな』
となぐさめてくれるんですよ。
それで『オレばっかりいじめるんですよ』
と愚痴をこぼしたら、
『伸びないやつはしごかねえよ』と言ってくれて……。
宿まで泣きながら帰りましたよ」。
と話した。

武田鉄矢が話していた、映画のデビュー作・幸福の黄色いハンカチのエピソード。
ラストの黄色いハンカチがたくさん干しているシーンで、鉄矢は泣く芝居をしないといけなかったけど、そのシーンに一週間撮影をかけていて、毎日ハンカチを見ているうちにハンカチが安全第一の旗に見えて涙が全く出なくて、泣く演技をするのに苦労したんだって。
そしたら、そのシーンが終わったら撮影も終わって1ヶ月振りに東京に帰ることになっているのだけど、「よーい」ってカチンコが上がった瞬間、健さんが小さい声で、
「長い間世話になったな。東京に帰っても体元気づけて、しっかり生活するんだぞ。楽しかったぜ。」
って言ってくれ、鉄矢大号泣。
涙ぼろぼろ、おいおい泣いたって。健さん…なんて温かい人なの。

俳優・高倉健(80)が6年ぶりに主演する映画「あなたへ」(来秋公開)の撮影が4日、岐阜県高山市で行われ、高倉は27年ぶりの共演となるビートたけし(64)と息の合ったところを披露した。
2人は合間を縫って取材に応じ、たけしがJR高山駅に2日深夜に着いた時、高倉が1人で駅まで出迎えたことが明かされると、たけしは「顔を伏せた人が近づいてきて、地元のヤクザかと思ったら健さんでした」などとサプライズ歓迎を受けたことを爆笑エピソードを交えて明らかにした。

『居酒屋兆治』。ロケは函館の市場のシーンから始まった。
ドキドキしながら前日の夜、函館のホテルに入ると、部屋に健さんからの花が届いていた。何か健さんの声が聞こえるようで、しみじみうれしかったことを今も覚えている。

志村さんが映画撮影のために北海道へ行く前日、高倉さんは関係者から志村さんの携帯番号を聞き出し、メッセージを入れたようです。
『高倉です。明日よろしくお願いします。寒いですので気をつけて下さい』
志村さんは本人からの録音を聞いて感激したようです

黒澤さんは詳細な絵コンテを描くことで有名ですが、
「乱」の絵コンテに描かれた武者姿はまぎれもなく
高倉健さんだった。
黒澤さんは「いままでに見たことが無い高倉健
を見せてあげますよ」と言ったそうです。
条件が会わなかったようでこの話は成立
しなかったが、後日、「乱」のプロデューサー
になった原正人氏にこの絵コンテの話をしたら、
原さんは、「健さんがその話を聞いたら
喜んだろうになぁ。彼は本当は出たがって
いたんだよ」
と言っていたそうです。

録音師の証言
撮影開始前、高倉健さんに、「シーンによっては、体に小型マイクをつけることがあります。」と説明をしに行ったら、
「問題ないですよ」と言って、自分の服を広げて見せてくれたら、なんと、すでに、8つのマイク用ポケットが縫い付けてあって、それも、どれも音がしっかり拾えるような角度で付けてあって、驚きすぎて倒れそうになりました。
「これこそ、本当のスターだ、プロだ」と思いました。

中国側の多くの配役に素人の民間人を起用し、しかも本名を役名に使うという手法は新鮮に映った。
高倉(彼の役名は高田)のガイドを務める役者の本業はやはり観光ガイド。
あるシーンでは、緊張したガイドの十数回に及ぶNGにも黙って対応し、最後は頬をさすったり肩を揉んだりしてリラックスさせそのシーンを撮り終えた。

撮影時に自宅を休憩所代わりに貸していた木山キミさん(88)は、「(当時)健さんがしているマフラーを私の首に巻いてくれて。『よろしいんですか?』と聞いたら、『いいんです。風邪をひかないでください』って言ってくれて…」と瞳を潤ませながら振り返った。

主演映画「あなたへ」のロケ地となった長崎・平戸市でのエピソードと
撮影中に“茶飲み友達”となった88歳のおばあちゃんを中央に迎えて写真撮影

東映に出演した東宝の池部良は
高倉健が食べているところを見たヤツは
「撮影所広しといえども誰もいないんですよ」と
聞かされます。(池部良著/食い食い虫)

高倉健さんがタバコのLarkのCMをやってた時のことだ。
以前はヘビースモーカーだった健さんだったが
当時は一切吸っておらず
あくまで仕事として割り切って受けたのだ。
…にも関わらず、健さんはCM期間中
いつもワイシャツの胸ポケットに
Larkを入れ、薄らと見えるようにしていた。

独立以後も現在まで映画スターであり続けている一方で、テレビドラマへの出演は数えるほどしかない。その出演理由も「故郷にいる母親にテレビで毎週自分の顔を見て安心して欲しいから」というものである。

※慕う人とのエピソードがヤバい

藤純子の、実父、俊藤浩滋 シュンドウ コウジ は、
東映やくざ映画の、大プロデューサー。
鶴田浩二や、若山富三郎を、育て、
もちろん健さんも、彼に育ててもらった。
大恩人。
しかし、やくざ映画の斜陽と共に、誤解が生じ、
疎遠となってしまう。以下、俊藤の著作より、
“ そんなことを思うていたら、突然、年末に彼が私の家にやってきた。 
「 ご無沙汰しています。」
健ちゃんは玄関に突っ立って、そう言うたきりボロボロ涙を流して、言葉が出ない。
「 まあ、上がれよ。」と言うと、
「 いやあ・・・・・」と、ただ涙ながらに立っている。
「 今日は何も言えませんから、またあらためて来ます。」
それで帰ってしまった。 ”

高倉健の成城の自宅が火事になったとき、著者は横尾忠則と2人で現場に駆けつけたそうだ。
「横尾さんはすぐ、タクシーを拾い、高倉邸にかけつけた。ぼくも素早く同乗した。(中略)野次馬を阻止する非常線も、横尾さんの新種の映画スターのようなルックスとファッションの威力でなんなく突破した。
健サンは、門のあたりにいた。妻の江利チエミの姿はなかった。横尾さんが健サンに近づいていった。すると健サンはくるりと振り返り、『アッ、横尾さん、おいそがしいのに、こんな所にワザワザ来ていただいて恐縮です。さあ、お茶でも……』といいながら、自ら魔法瓶のコーヒーをマグカップに注ぎ、横尾さんに手渡した。」(P232)
高倉健、すごい人である。
そして、自宅が炎上する中、それを眺めながら高倉健と奇抜な服装の横尾忠則がコーヒーを飲んでいたという絵もすごい。

岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席し、長年のファンであることを伝えた。岡村は「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチで会場に笑いが巻き起こる中、高倉は立ち上がって拍手を送った。岡村が病気で療養中の際にも電話や手紙でメッセージを送っている。

芥川賞作家・丸山健二。
健さんの写真集に、「 それが高倉健という男では ないか 」という、
一文を寄せる。
それを読み、元気づけられた健さんが、お礼を述べる。
また、それに感激した丸山は、主演・高倉 健として、
小説 「 鉛のバラ 」を、出筆・発表。

小林稔侍さんから聞いたとの事で秋元康氏が紹介。
健さんがヤクザ映画で売れている頃稔侍さんは駆け出しで健さんの脇役。
稔侍さんの引越しが決まった時に健さんが祝儀(当時のお金で200万円~300万円)を渡そうとしたら(流石に高額すぎたのか?)稔侍さんは固辞したそうです。そしたら引越しの当日健さんは作業着を着て引越しの手伝いに現れたという話

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