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あまり知られていない【波乱万丈なタモリの人生】

いいともが終了して動向がきになるタモリは、複雑に入り組んだ挫折と転機の多い人生を歩んでいる。そんな波乱万丈な人生だからこそ達観しているのかもしれない。いいともが終わり夜タモリが始まりブラタモリの復活。まだまだ目がはなせません。

更新日: 2014年12月16日

takashi22さん

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複雑すぎるてよくわからない家系図

タモリの家系図

ある夫婦がいて

妻の実弟と夫の姪っ子を養子にしたら

二人が結婚して生まれた子供が

タモリとお姉さん

サングラスをする理由

小学校3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。

いまではサングラスがチャームポイントになってますね。

大学時代

吉永小百合に会いたくて早稲田に入った

一浪してまで…。でも浪人期間中にラジオを聴きまくって今の芸に繋がるんですね。

トランペットに自信のあったタモリは早稲田大学のモダンジャズ研究会なるジャズバンドのサークルに入るが、他の部員はタモリよりも数倍もテクニックが秀でていて、タモリは大きな壁にぶつかる事になった。
先輩に「マイルスのペットは泣いてるが、お前のペットは笑っている」と鋭く指摘され、タモリは挫折した。

それからは、司会の方に路線変更をする事になったのです。
挫折も必然の出来事だったんですね。

しかしながらタモリのトランペットは相当な腕前。
こちらはクレイジーキャッツと共演した時のタモリの演奏!

大学中退の理由

同級生三人で、二年生になる時の五月の連休に旅行に行こうということになり、そのお金をタモリが立て替えた。しかし二人からお金が返ってこなかった。タモリが立て替えたそのお金は学費だった。それで、「学費未納のため抹籍」という処分になりました。

タモリ「今の自分があるのはあいつらのおかげです(笑)。あいつらとはいまだに付き合ってますけどね。」

素敵やん。

福岡時代のタモリの仕事

大学中退してから
フルーツパーラーの店長
ボウリング場の支配人
うどん屋経営
保険会社
喫茶店

早稲田大学を中退した事もあって、デビューが遅かっただけに色んな仕事をされていますね。

デビュー前も地元では有名だった

地元の九州の一部の地域では、タモリは有名だったらしいのです。
素人時代の武田鉄矢が、当時タモリがバイトしてた喫茶店に「変わった店員がいる(それがタモリなのですが)」との噂を聞き、その喫茶店に行ったところ、そこにタモリが接客してたようで、武田鉄也は、タモリにコーヒーを注文したらしいです。
するとタモリは、鉄矢に「お前にコーヒーの味がわかるのか?」のような事をいったそうです。

それから、月日がたち鉄矢は、ある日テレビを見ると、その喫茶店の店員が出てるじゃありませんか!
さすがに鉄矢も、これには度肝を抜かれたみたいです。
ウインナーコーヒーに本当にウインナーを入れて出したりしてたみたいです。

芸能界入りのきっかけ

タモリがデビューするきっかけとなったのは、ジャズの山下洋輔との出会いがきっかけでした。
九州のとある宿で山下たちが宴会でバカ騒ぎをしていた時に、何故か当時素人だった
タモリが、いつのまにか混じっており、山下達に混じり、タモリは踊っていた。
それに気づいた一行の一人は(坂田明が有力な説)、タモリに対して、訳のわからない適当な外国語で、タモリに話し掛け、タモリを試した。
するとタモリは、とても流暢に外国語もどきで、反応し、一行を驚かせたという。

かなり高度な芸を、見せ付けられた山下一行は、タモリに恐れ入ったという。
タモリの十八番『ハナモゲラ』はこの時すでに、完成されていたのでした。
※ 後にタモリは、この晩彼らに混じって馬鹿騒ぎした事について、ふすまを開ける前に
   「この扉の向こうに本当の仲間がいる!」と運命的な物を感じたと、言い残している。

恩人 赤塚不二夫

その後、山下洋輔らによって「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、彼らのカンパによって上京を果たす。

そして赤塚不二夫に気に入られる。

赤塚不二夫は、「この男を博多に帰してはいけない」と引き留め、自らの家に居候させた。
家賃15万の家や服、ベンツなどをタモリに自由に使わせ、赤塚自身は仕事場で寝泊りしていた。

こんないい話があるんですね。本当に恩人です。

1977年に赤塚不二夫、滝大作、高平哲郎らと『面白グループ』を結成する。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体である。坂田明、内藤陳、小松政夫、団しん也、たこ八郎、三上寛、研ナオコ、柄本明、所ジョージ、ブレイク前のアルフィーや、劇団東京ヴォードヴィルショーのメンバーも参加。

一時はビートたけしも参加していた(当時のたけしはタモリの芸風を嫌って、すぐに脱退した)。
すごい面々。

赤塚の告別式では「私もあなたの数多くの作品の一つです」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」で、何も書いていなかったとの噂。

粋な事しますね。

出典unkar.org

すげー好きな写真

坂道協会副会長

タモリが東京に初めて来た際、なんと坂の多い場所なんだと驚いたらしい。坂道については、幼少のころからの趣味(後述も参照)であり、2000年には山野勝と「日本坂道学会」を結成し副会長を自称する。同会副会長として、休日には、好みの坂を歩き周り、坂道の写真を撮る。過去には「TOKYO1週間」誌上に『TOKYO坂道美学デートNAVI入門』を連載し、2004年にはその活動が『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)としてまとめられた。

タモリが坂道を見る鑑賞の点は、
勾配の具合を自分の目で確かめる。
湾曲の行き方(角度・傾斜)はどうなっているか。
周囲に江戸などの歴史、景色、風情を出す物があるかどうか。
坂道の名前の由来など由緒を自ら調べ感じとれるか。

タモリの逸話

幼少時代より大人びており、幼稚園のお遊戯会をみて「あんな子供っぽいことできん」といって入園を拒否。

幼稚園には通っていない。

ある占い師に「あなたは一生音楽に携わる仕事につく」といわれた事がある。

ミュージックステーションをずっとやっているからあたっているかも。

タモリは学生時代も都立大学付近に住んでる。

現在もその近辺に豪邸を立てていますね。

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takashi22さん

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