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うそ?本当?異次元すぎるエピソードがたくさんの荒川修作、そんな伝説をまとめました。

[1936~2010]美術家。愛知の生まれ。第二次大戦後の前衛美術を牽引した一人で、図形や記号などを取り入れた絵画様式を確立。のち、建築など立体作品に移行。平成7年(1995)、妻で詩人のマドリン=ギンズとともに、岐阜県養老町に体験型の作品「養老天命反転地」を制作。紫綬褒章受章。
引用・参考サイト
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/239323/m0u/

※異次元エピソード・名言

岡本太郎に弟分として可愛がられていた荒川修作。
「面白いヤツがいる」と太郎は荒川を三島由紀夫に紹介しに行った。
三島が自己紹介代わりに渡した自著を荒川は「下らない」と窓から投げ捨て、大喧嘩に。
岡本太郎は喧嘩をなだめるのに相当苦労したらしい。
荒川と三島はその後、親密な関係を築いた。

荒川修作:茂木ってやつに言ってやったんだよ。「お前、脳がいくつあるか知ってるのか?」そしたらヤツ困っちゃってさ。「何十年も脳の勉強をしてて、そんなことも分からないのかよ」って言ったら「そういうことを訊かれたことがありません」だって。(笑いながら)「お前はバカだ、脳が足りない」

脳科学者:茂木健一郎さんへの言葉

茂木さんが荒川修作さんを芸大の授業にゲストとして呼んで下さったことがありました。その時も開口一番「おまえたち・・・、この建物を爆破しろ!!」とイキナリ投げかけられました。

荒川修作さん亡くなったのだね。いろんな逸話を聞いたけれど、50円硬貨を駅員に渡して「はい、1万円」と言って、延々ねばった挙げ句、駅員が上司に「これ50円ですよね?」と不安気に確認した話が忘れられない。

各界で活躍する先人が母校の子供達に一日授業をするNHKの『ようこそ先輩』。 放送終了後、荒川修作の母校は隣だったと判明。 責任追及の電話をしてきた新聞社に「そんなことを非難してどうなる!私は自分の名前もよく忘れる、お前らはもっと伝えるべきことを記事にしろ!」と怒鳴り返した。

NYでボブ・ディランと暮らしていた荒川修作。ディランは荒川が自分のことをあまりにも認めてくれないので、「俺、結構有名なミュージシャンなんだ」と自分の全レコードを差し出した。荒川は「音楽なんでクソだ!」と全部投げ捨てた。

「人と人が愛するとか言うな。そんなものほっとけば出来る。私、空気と結婚するんです、とかそれぐらい言えよ。このあたりと結婚するんです、このあたりか? いえ、このあたりです、触らせませんよ、とか言えよ。触ってやるから」

東京芸術大学美術解剖学の授業でゲストに来た荒川修作の言葉

以前、某ホールの完成記念講演で「こんなひどい建物は今すぐ壊したほうがいい」と言い続けて場を震撼させたというのは結構有名です笑

全然関係ないけど、荒川修作の東大での講演に参加したとき、質問した学生に「お前ビルから飛び降りて死ね」って言ってた。「生きてたら褒めてやる」とも言ってた。

「ビルゲイツに手紙送ったんだけど、アイツは返事をよこさないんだ!」
「いいかお前達、おれはこれから銀行を爆破して銀行強盗するからな!本当だぞ!」
「こんな四角い建物にいてどうするんだ!腐っちまうぞ!」

講演でのひとこま

「ぼくの医者はひどいやつでね。ぜんぜん話にならん。最後に、おまえ、医者やめろと言ってやった」―――彼の顔が険しくなった。私たちは医者の名前を聞いて顔を見合わせた。「その人なら医者をやめて医師免許証も返還したという話ですよ。今では別の仕事で有名です。あなたのいうことをきいたのですね」。

宮崎駿が荒川修作に傾倒し、一緒に都市を作って現実に子供たちを楽しませるというプロジェクトが福岡で進行していた。宮崎駿が引退宣言をしたのはその時期。鈴木プロデューサーが天命反転住宅のオフィスに来て「荒川を駿に会わせないで下さい、ジブリはまだ映画を作らなければいけない」と伝えた。

お土産に日本の焼き海苔を持参したところ、いきなり
目の前で海苔を荒川さんとマドリン・ギンズさんが
食べ始めたときは驚いた。ムシャムシャと数分で食べ
尽くした。

荒川修作が『養老天命反転地』についての構想をプレゼンする場面に立ち会ったそうです。その迫力たるや、規定の時間をはるかに超えても誰も口を挟むことを許さないほどの凄まじさだったと。

養老天命反転地オープンの日、地元のおばあさんが足を折った。メディアは「荒川修作はまた下らんものを作った!」と一斉に非難した。荒川が見舞いに行くとおばあさんは「いいんですよ、あそこにいたら童心に返っちゃって・・・飛び石から飛べる気がしたの、和服を着てることも忘れて」と笑った。

『死なない子供、荒川修作』の監督の娘さんは三鷹天命反転住宅で生まれる。そこで過ごしているうちに人間としての生命力が増したというのだろうか、1歳で初めて走ったときあり得ないくらいの速さで走り、足裏には立派な土踏まずができていたという。このエピソードがいちばんおもしろかった。

作品のエピソードまで異次元

荒川さんは開口一番「オレはなぁ、世界中で嫌われてるんだぞ!!」と前置きなしでイキナリ怒っていました。「なんで嫌われるかわかるか?キリスト教やユダヤ教の連中に向かってなぁ、オレは新しい生命を作るんだって言ってるからだぞ。世界中で相手にされなくなってるんだぞ!」と凄い剣幕で言っていました。

「一番なりたいのは噴火口だ、はやく。本当だよ。今度、俺に会ったら、噴火口になってるから、見ててみろよ。もうこんな顔してないぞ」

@nabetanne @naokisatoasyl 荒川さん、最も緊張した撮影のひとつです....NYのアトリエ入っていきなり「撮影なんていいから俺の話を聴け」と言われてびびりました。(写真上から3つめ)usuyama.com/works/portrait/

写真家:宇壽山貴久子(USUYAMA KIKUKO )さんへの言葉

僕は「いいか。デザイナーで一番は誰か知ってるか。池田大作だ。オマエ、あれを超えられるのか」と迫られました。@ikunishi 異次元すぎる荒川修作のエピソード・名言まとめ - NAVER まとめ matome.naver.jp/odai/213436910…

アートディレクター:佐藤 直樹(さとう なおき)さんへの言葉

『このトイレットペーパーを使う人たちは、死なないということを真剣に考えるんだ』

「この本の内容を、もっと生活の中に取り入れることはできないか」と発案された「トイレットブック」

最初打ち合わせに同席した時、なぜか荒川さんがずーっと怒っていらっしゃって…。最初は僕も荒川さんのことをよく存じ上げていなかったので、「なんでこんなに怒ってるんだろう」と思っていたのですが、実際は怒っているのではなく、荒川さんが名古屋市の方々へ考えを伝えてようとしている時のとてつもなく真剣な姿なんですね。あれは本当に凄い迫力でした。

荒川修作とはじめて会ったときに、バスの中で荒川さんが「俺は武蔵境の駅の上にビーチをつくる!そこで70歳のおじいちゃんや80歳のおばあちゃんが、水着で日焼けしてるんだ。そしたらどうなると思う?...子供たちはみんな、俺も早く年取りたい!って思うんだよ」という話をしていた。

またあるときは、荒川さんがファッションをやっている@yuurat に向かって、「ファッションか?それはいい!俺は障害者のための服をつくりたい。腕がない人がその服を見たら、俺も腕がなくなりたい!って思うような、そういう服をつくるんだよ」という話をしていた。

わたしが荒川修作さんから聞いた話で面白かったのは「チョコレートが大好きなパトロンと一緒に住んでた時、一晩中チョコのかけらを寝ているパトロンの口に入れ続けたことある」ってやつ。

荒川氏の話は“変わっている”をはるかに通り越していた。
挨拶も前置きもない。河本氏に紹介された後,いきなり「みんな,意識とか免疫とかいうものは身体の内にあると思っているだろ。あれは実は外にあるんだ。気が付かないか?」から始まって,「リハビリ,リハビリと言うけど,病室からトイレに行く廊下にジャングルジムを置いてみろよ。するとどうなる? 患者は食事しているときから次の排泄のことを考えなくちゃいけなくなるだろ」まで,私のような凡人にとっては理解の枠を超えた話のオンパレードだった。
そして,しまいに「私は死なないことにしてるんだ」と言われたときには,本当に久しぶりに目が点になった。

緊張に固まる僕を前にして、荒川さんはキョロキョロと室内を見回している。「落ち着きの無い人だなぁ」と思った瞬間、彼はギロリと僕の目を見つめ、一言。

「アメリカ人はなぁ、貯金が少ないんだよ!お前より少ない!!」

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