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松本人志も押す!残念すぎる知将「黒田官兵衛」

ダウンタウンの松本人志もラジオやテレビで熱を入れて紹介していた戦国時代の知将「黒田官兵衛」。あまりにも頭が良すぎて天下を取れなかったという悲運の人でもあります。そんな「黒田官兵衛」のエピソードをまとめてみました。

更新日: 2012年09月27日

gants111さん

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名前…黒田官兵衛孝高(くろだかんべいよしたか)

豊臣秀吉の参謀として活躍し、秀吉の天下取りを支えた超切れ物の大軍師。
本人も天下取りの野望があったようで、秀吉や家康にバレないように、隠居して名を「官兵衛」から「如水(じょすい)」と改めました。

賢すぎて秀吉に警戒されてしまう…

織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺を襲撃した事件。この事件で信長は自害。

その頃、中国攻めを行っていた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は動揺してしまいますが、黒田官兵衛がチャンスと進言します。

本能寺の変で動揺している秀吉に、天下取りの好機と進言

「秀吉様、ご運が開けましたな。天下をお取なさいませ」といって、中国大返しの段取りをする

官兵衛の段取りで、世に言う「中国大返し」は成功し、明智光秀を討つ

「中国大返し」とは…
毛利との高松城の戦いにあった羽柴秀吉が主君織田信長の死を知り、毛利と講和し、主君の仇を討つため京に向けてわずか数日で戻り、明智光秀を討ち取った軍団大移動のこと。

官兵衛の助言もあり、秀吉は天下を取るが、あまりにうまく行き過ぎて、秀吉に警戒され飛ばされる

秀吉は、官兵衛の能力の高さを評価し「こいつは力を与えると自分も危うい」と思い、忠義を尽くしたにもかかわらず、九州を平定しわずか十二万石を与えられ、豊前に向わせられてしまいます。

隠居していた黒田官兵衛、人生最後の大逆転に出る!

石田三成(西軍)と徳川家康(東軍)の関ヶ原で20万もの大軍が繰り広げられた合戦。

隠居していた官兵衛は天下取りの好機と見て、動き始めます。

それまでに貯え込んだ財産を投げ打ち、浪人を集めてにわか軍勢を作る

関ヶ原の戦いで、手薄になった隙に、九州を治める。その後、中国・近畿と攻め上がり天下をとる算段だった

関が原の戦いが膠着し、長引けば両軍疲労しているはず。その隙をついて天下を取ろうという作戦。

天下取りの野心がバレないように、息子を徳川家康側に送る

しかし天下取りに失敗。原因は中途半端に出来がいい息子…

黒田官兵衛の長男。
九州征伐の功績で中津の大名となり、文禄・慶長の役などでも活躍。

しかし黒田官兵衛にはあまり良く思われてなかったようで…。かわいそう。

息子の大活躍により、関ヶ原の戦いは半日で終わる

息子の長政が、西軍の小早川秀秋や吉川広家を寝返らせて、家康軍を勝利に導くという大手柄をあげたんです。

長政は、官兵衛に家康が自分の手を取り、なんどもお礼を述べたことを告げる

家康から「よくやってくれた」と言われたのを自慢げに話しました。

官兵衛「そのとき、内府(家康)はお前のどちらの手を取った?」
長政「右手でした。」
官兵衛は、「その時、お前の左手はどうしていた?」
長政「・・・」

これは、なぜ左手で家康を殺さなかった?という意味。
息子は親の官兵衛の戦略を理解していなかったようです…残念。

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gants111さん

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