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【被曝】被曝者の治療が凄まじい!体の内部を破壊する放射能の恐ろしさ!!【原発】

日本史上で最も最悪の臨界事故、『東海村JCO臨界事故』。茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。

更新日: 2014年02月28日

straightさん

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■日本史上最も最悪な臨界事故

歴史に埋れさせてはいけない臨界事故!
原発問題が取り沙汰されている現在、人間への被曝はどれ程の残酷なものなのか理解してください。
そして、より多くの人に知ってもらい原発事故は決して起きてはならないということを訴えかけましょう。

▼東海村JCO臨界事故(バケツ臨界事故)

東海村JCO臨界事故は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。

1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。

国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。

◼事故原因

本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料の製造工程における、JCOのずさんな作業工程管理にあった。

JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。

その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に青い光が出た」と語った。

▼労働者の被曝

・直接作業をしていた3人ー大内久さん、推定16~20シーベルト以上の被ばく、1999年12月21日なくなられました。
・篠原理人さん、推定6~10シーベルの被ばく、2000年4月27日に亡くなられました。
・横川豊さん、推定1~4.5シーベルトの被ばく、一時白血球がゼロになり危険でしたが、その後退院されました。
シーベルトは被ばく線量の単位、致死量は6~7 シーベルトといわれます。
大内さん、篠原さんの死因は放射線被ばくによる多臓器の機能不全です。以上の3人の方は、1999年10月6日、急性放射線症で労災に認定されました。

救急隊員3人 事故の内容を知らされずに出動し、13 ミリシーベルト被ばくしました。
臨界終息のための作業をした人たちや東海事業所の従業員・政府関係機関の職員など最大で120ミリシーベルトに達してします。その他に50ミリシーベルトを超えてしまった人は6人もいます。(放射線を扱う作業に従事する人は年間50ミリシーベルトを限度にしています。この数字は胸につけた線量計によるものです。)

▼被曝治療83日間の記録

〜東海村臨界事故〜

▼至近距離での被曝の症状

強い放射線を浴びても、細胞はほとんど死なない。
ただ、細胞分裂ができなくなるので、再生できなくなり、一定期間後(今ある細胞が寿命を迎えて死んだ時)に症状が表れ始める。

具体的に言うと、腸の粘膜細胞が全部剥がれるので、栄養吸収できなくなってとんでもない下痢になる
皮膚が全部垢になって剥がれおちて、下の生肉がむき出しになる(大火傷と同じ症状)
血球を作る骨髄細胞が消滅して、免疫がなくなる(エイズと同じ症状)・・・などなど。

脳や神経の細胞はずっと生き続けるため、意識・感覚はそのまま死ぬまで生き地獄が続く。

▼破壊された染色体

染色体はいわば生命の設計図である。人は毎日大量の細胞を失い、同時にそれを作り上げながら生きている。

たとえば人の表皮細胞は、毎日約4000万個ずつ失われ、ほぼ同じ数だけ作り上げれられる。そのための設計図が染色体なのだ。

染色体が破壊されたということは、今後二度と新しい細胞が作られないということだった。

▼引き延ばされた死

事態は、この染色体の不吉な予言のとおりに進行した。

たとえば大内の腕は、入院したときは少し腫れているように見えるだけだった。

しかし一ケ月ほどたつと、皮膚は剥がれ落ち表面は赤黒く変色した。

その腕は明らかに、広島・長崎の被曝者と同じ腕だった。

大量の中性子に染色体をズタズタにされることで、大内の体は、いわばじわじわと死に蝕まれていったのだった。

大内は事故から83日後の、12月21日に他界した。享年35歳。

あるいは、一瞬で済むはずだった死が、その苦痛が、83日間に「引き延ばされた死」と呼べるのかもしれない。

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このまとめへのコメント1

  • korean_heartsさん|2013.06.30

    汚染源が54基もWW日本人ざまあWWW韓国のCANDU炉の重水は日本海に垂れ流しWW日本沈没

1

straightさん

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