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誰かに話したくなるビートたけし(北野武)の破天荒すぎる伝説集

世界のキタノこそビートたけしさんの伝説、逸話、武勇伝、エピソードをまとめてみました。

更新日: 2015年04月24日

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つまみ枝豆さんが語ったエピソード。今から20年以上前のこと。枝豆さんが師匠の運転手をしていたある日、車を運転中突然好きな車の話になり、枝豆さんは好きな車を「ベンツ」と答えた。
するとその翌日、師匠を迎えに行ったら、師匠はクシャクシャの紙袋を持って現れ、「これ持ってけ」とその袋を枝豆さんに渡した。
中を見ると、なんと現金800万円がっ!
驚きつつも、一応そのお金をありがたく頂戴した枝豆さん。その翌日、師匠から「ベンツ買ったか?」と聞かれた(さらにその次の日も)。
枝豆さんは一週間悩み、結局そのお金を「やっぱり自分で稼いだお金で買います」と言って師匠に返したそう。
それを受けて、師匠が言った言葉。

「おまえならそうするだろうと思っていたよ。がんばれよ」。

浅草で店の人だけでなく、お客やその辺を歩く酔っ払いやお姉ちゃんにもお金をバラまくので、弟子が
「さすがにこれ、お金使い過ぎじゃないですか」と言ったところ
「オレはよ、浅草に育ててもらったから浅草に返してんだよ」と言った。

売れない頃のビートたけしは、ポール牧に公私共に世話になり、仕事の紹介をしてもらったり、御飯をごちそうしてもらったりしていた。
その後、たけしが売れはじめて立場が逆転。
古い芸人タイプのポール牧はテレビで活躍できる場がなかった。
それを感じたたけしは
「こんばんは、ポール牧です」「ばかやろう!オマエはポール牧か!」
「なんだその格好は?ポール牧の衣装か!?」
などとさかんにポール牧の名前をテレビで口にし、認知度を一気に高めた。
その効果があってポール牧にもテレビ出演の仕事が来るようになった。
たけしなりの恩返しだった。
ある時番組で共演し、その後の飲み会でたけしがお代を払おうとすると
「たけちゃん、それはまだ10年早いよ」と言って、
ポール牧は自分で二人分払ってたけしをタクシーに乗せた。
そのタクシーの中でたけしが作ったのが名曲「浅草キッド」だという。

たけしは若手芸人に対して基本的に「さん」付け。
あのほんこんもさん付けで呼ぶ。
今田はたけしに呼び捨てで呼んでもらえるようになるまで10年かかった。

たけし軍団の誰かが引っ越しするとき
「引っ越し祝いは何がいい?」
とたけしに聞かれて
「洗濯機が欲しいです!」と言ったら、後日引っ越し先にタライと洗濯板が届いた
「これはたけしさんにやられたなw」と思いつつタライの裏を見たら百万円入った封筒が入っていて
「コレでいい洗濯機買え!」と手紙が入っていたそうな

たけしがオールナイトニッポンで人気が出だした頃。
アサヒジャーナルのインタビューで、筑紫哲也に呼ばれて帰って来た時、芸人がそんな場に呼ばれた事に水道橋博士が興奮してたけしに感想を聞くと「芸人だったら相手のレベルにチューニングを合わせてやって、喋られるようじゃなきゃしょーがねーよ w」と事も無げに言ったので、こんな凄いひとに付いてて本当に良かったと思ったそうな。

「アリtoキリギリス」がまだ全く世に出ていない時。たまたま、同じ店にいたビートたけしが、彼らのお会計まで払って店を出た。全く無名だったアリキリは、当然ビートたけしと仕事で絡むことなんてなく、ひと言お礼を伝えたいと、店を出たばかりのビートたけしを追いかけた。発車しかけていたロールスロイスをとめ、「お会計していただきありがとうございました!」と頭を下げる2人に、パワーウィンドウを開けてビートたけしが放ったひと言が、「売れたら使ってね」だった。

ある朝の生放送のワイドショーで、浅草にある老舗定食屋が紹介された。その店には、浅草で修行をした多くの芸人さんたちが店を訪れた際に書いたサインがたくさん飾られていて、レポーターも「こんな方が来ているんですね~」と、何人かの大御所芸人のサインを紹介。ところが、ぎっしり並ぶサインの中で、一番見やすい場所が、ちょうど色紙1枚分ポッカリ空いていた。レポーターが主人に「どうしてここが空いているんですか?」と聞くと、「ここは、たけちゃんのサインを飾りたくてとってあるんだ」とのこと。浅草出身芸人の代表格でもある、ビートたけしのサインをいつか飾りたいと、ご主人はずっとその場所を空けているのだとか。それから数時間後。生放送が無事に終わり、昼過ぎから、いつも通りの営業をしていた定食屋のドアがガラっと空き、ふらりと入ってきたのがなんとビートたけし。驚く主人にひとこと、「どこにサインを書けばいいの?」と声をかけた。

年に2回たけしに『浅草キッドの2人が食事をおごる会』があると玉袋は言う。それは、コントのように浅草キッドが社長の設定で招待されたたけしが車でやってくるところから始まるのだ。「来るんだ、殿が。6千万円のロールスロイスに乗って」と玉袋はたけしがやってくる様子を表現した。彼らが「どうなのたけちゃん、最近やってんの?」と酒をすすめると「はいっ、頑張ってますっ」と腰を低くしてたけしも酒を受けてくれるのだ。そして別れ際に「はい、これ車代」と浅草キッドが1万円札を入れた袋をたけしに渡すのである。「たけしさんが6千万円のロールスロイスに乗ってかえっていく」と玉袋はビートたけしが去っていく様子を話した。殿はその車代のポチ袋をずっと取っててくれて神棚に飾ってくれてるんだよ」と玉袋がしみじみと語ったのだ。ビートたけしは「弟子がくれた車代だから」と使わずに毎回それを神棚に飾っているというのである。

フライデー事件
1986年12月8日、ビートたけし(以下“たけし”、当時39歳)と親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し、写真週刊誌『フライデー』の契約記者は、彼女が通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が彼女の手を掴んで引っ張るなどの乱暴な行為に及んだ。
これに怒ったたけしは、週刊誌の発行元である講談社に電話をかけ、強引な取材に抗議したうえ「今から行ってやろうか」と通告し、翌12月9日の深夜3時過ぎ、たけし及び彼の弟子集団たけし軍団メンバー11人は、タクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗し東京都文京区音羽にある講談社本館の同誌編集部に押し掛け、その結果、暴行傷害事件へ発展した。田中康夫による裁判傍聴記においては、当初は軍団メンバーには手を出さないように言っておいたものの、当時の編集次長による空手が得意である旨の発言をはじめとした編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至ったと記されている。

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yuchanxyuchanさん

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