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元リーダー石元太一が語った「関東連合」の実態―どんな集団だったのか

市川海老蔵暴行事件でお馴染みの千歳台ブラックエンペラー元総長の石元太一さん。関東連合とはどんな活動をしていた集団だったのか、石元さんの思い出話をまとめました。

更新日: 2014年02月19日

yamadayamaさん

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関東連合とは

関東連合といってもカミナリ族の頃から入れてしまうと、歴史も長いですし、すごい人数ですから。薬物厳禁、女人禁制、強制短髪などの根本的なところを残しつつ、自分達の時には暴走族というより、愚連隊に近いスタイルでした。

今の関東連合は本当の関東連合ではない、そう言われてもそれは当然です。自分達にもその自負がありましたから。時代と共に変えてかなければ、関東連合というものは、もっと早く無くなっていたと思いますからね。

どんな集団だった?

関東連は18歳で引退ですよ。途中で辞めるときは、ヤキがありましたね。

自分達は決まりも厳しかったですし、暴走族やギャングやチーマーみたいな人間しか相手してませんでしたね。

元関東連合の松嶋重(松嶋クロス)さんによると「髪型は坊主かニグロパンチ、ニグロの奴は3週間に一度パンチをかけなきゃいけないとか。スラックスはノータック、革靴は白か黒とか。暴走族以外と遊んじゃいけないとか、高校に行っちゃいけないとか、彼女作るのは禁止」といった様々な規則があったという。

関東連って、あまり単車に乗りませんからね。先輩達も後輩達も、綺麗な単車に乗っているイメージがありませんでしたね(笑)

どんな活動をしていた?

地元で練馬や下町に行った人間を探して、相手グループのたまり場などを聞いて、毎日車やバイクで襲撃に行ったりしました。今みたいにネットが普及してたり、ブログをやっていてくれれば楽だったのですが、当時は手探りで探してましたからね。真冬でバイクの時は、毎日先にこっちが凍え死ぬかと思いました(笑)

モグリなんかが走っているのを先輩に見られると、ヤキをいれられたりしましたよ。

六本木や、高級ホテルに泊まっている外人を襲撃してこいとか、潰した暴走族のケツ持ちから金を取ってこいとかはいろいろありましたね。ノーとは言えない世界でしたから、ホント現役時代は毎日が大変でした。

暴力団とも揉めていた

暴走族の頃から暴力団とトラブルを起こしていました。関東連合、怒羅権といっても、OBの中には暴力団の人間もいますからね。愚連隊として揉めているというよりは、仲間に何かあった場合、昔からの仲間が集まって力を合わせて暴力団とのトラブルを対処しているというのが正解かもしれませんね。

二十代前半の頃、ヤクザに囲まれていきなり頭をかち割られた事や、ペンナイフで刺された事なんかありましたねぇ(苦笑)

自分は童顔なので、よくヤクザにからまれましたよ(笑)
歌舞伎町で何回ケンカしたかわかりませんね。だいたいからまれてケンカになったのですが、飲み屋の中とか、ひどい時は当時の彼女と歩いている時に、彼女に空き缶を当てられたりとか(笑)

体育会系の学生とも頻繁にケンカを

日大の空手部や、国士舘の柔道部とケンカになって囲まれたことは何度もありますよ(笑)
千歳烏山って寮が近いせいか、彼らみたいの多いですから。しかも、そこら辺のヤクザやヤンキーよりも断然強いですからね(笑)

でも、決まってケンカが終わると仲良くなったりして、お互い顔を腫らしながら今度一緒に飲みに行こうなんて(笑)
彼らはやっぱりスポーツマンですよ、爽やかです(笑)

日大空手部の人間とケンカになった時、お酒を飲んでいたので相手を倒した後、急アルかなんかでぶっ倒れましたね(笑)

ケンカは負けなし

現役時代はないですよ。負ける事より、その後のOBからのヤキの方が怖かったですからね(笑)
そりゃ必死です(笑)

「石元さんて現役時代喧嘩負けたことはあるんですか?」という質問への返答

現役時代の心理

現役の頃は常に、自分がいつ逆の立場になるのだろうと考えていましたし、死を身近に感じていたのは事実です。日に日に死や捕まる事への怖さも薄れていき、まともな思考回路ではなかったなと、今振り返るとそう思います。

仲間の為ならやられることも、捕まることも恐れないという気持ちで過ごしていましたからね。

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