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三菱財閥グループについて知っておきたいこと【創始者:岩崎彌太郎】【坂本龍馬との関係】【成蹊大学】

日本の中枢を支配する三菱グループは、特に防衛、原発などの業界を寡占しています。また、日本の一等地である東京駅周辺の3分の1を保有しています。そして、安倍首相も成城大学(三菱グループ)出身です。

更新日: 2015年12月25日

nobuyuki5さん

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三菱財閥の出発点は、海援隊

坂本龍馬が暗殺されると、海援隊の経営は立ち行かなくなり、土佐藩の商務組織だった土佐商会が、海援隊の運営を引き継ぎ、後の「九十九商会」へと繋がっていくのでした。つまり、三菱財閥の出発点とされている「九十九商会」の元を辿ると海援隊で、坂本龍馬がいなかったら、三菱財閥は存在しなかったのです。

三菱財閥の基礎を築いた「岩崎彌太郎」

土佐藩出身の岩崎彌太郎が海運事業を興したことに始まります。以降、四代の岩崎家の社長が三菱グループの基礎を築きました。第二次世界大戦終結後の 1946(昭和21)年に三菱本社は解体され、各社はそれぞれに独立した企業となり、今日ある姿へと発展しました。

「国家を利用」して大金持ちになった岩崎彌太郎

最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立し全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知した弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。

この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であるが、いわば弥太郎は最初から、政商として暗躍した。

丸の内の3分の1以上のビルが三菱財閥の保有となっています。

出生1835年1月9日
土佐国安芸郡井ノ口村
死亡1885年2月7日(満50歳没)
岩崎家茅町本邸

亀山社中が海援隊として土佐藩付けとなってからは、経理を任されるようになりました。明治維新の後に土佐藩の船を2隻ほど譲り受けて「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を始めて、商人の才能を発揮します。

由紀さおりが年をとってこれだけ有名でいられるのも、三菱財閥のパワーがあってこそですね。

三菱財閥の由紀さおりさんとAKB48前田敦子に囲まれてご満悦の様子です。

日本の中枢で活躍する岩崎家

曾孫には鎮西清高(地球科学者、京都大学名誉教授)の妻・由利子やその兄で鎮西と同じく地球科学者の岩崎泰頴(熊本大学名誉教授)、泰頴・由利子兄妹の又従兄で東山農事(小岩井農牧の親会社)の社長を務めた岩崎寛弥(岩崎弥太郎家の4代目当主)、寛弥の従姉で元良誠三(工学者、東京大学名誉教授)の妻・由美子や由美子の妹で槙原稔(元三菱商事社長)の妻・喜久子らがいる。

民主党所属の衆議院議員・木内孝胤は弥太郎の玄孫にあたる。

日露戦争で持ち上げられた坂本龍馬

龍馬ブームが起きるのは日露戦争時である。開戦直前の明治37年(1901年)2月6日、皇后・美子の夢枕に龍馬が立ち、「私が海軍軍人を守護いたします」と語り、皇后はこの人物を知らなかったが、宮内大臣田中光顕(土佐勤王党出身で陸援隊幹部だった)が、龍馬の写真を見せたところ、皇后は間違いなくこの人物だと語った。事。

戦争がある度に大儲けして巨大化した三菱財閥

第1次、第2次の両大戦など日本に大きな動乱・戦争のあるたびに政府の軍事輸送や軍艦の製造などを担い、莫大な利益をあげてきた。また、政府とのつながりを利用し鉱工業など他業種へも積極的に参入、あっというまに政商から日本有数の財閥コンツェルンへと発展を遂げてゆく。

第1次世界大戦の頃には、三菱は5つの部門をもち、そのほか日本郵船、明治生命、東京海上、東明火災、東京倉庫、三菱製紙、麒麟麦酒などを擁するまでになっていた

「三菱財閥」が創設した「成蹊大学」に安倍首相も

成蹊大学

三菱財閥4代目総師・岩崎小弥太と今村銀行(後に第一銀行と合併、第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)頭取・今村繁三の協力を得て創設した私塾「成蹊園」が母体となっており、その後成蹊実務学校、旧制成蹊高等学校を経て1949年(昭和24年)に新制大学となる。

戦後は小弥太の死や財閥解体を経て繋がりは弱まったものの、現在でも理事長以下、理事に三菱グループ各社の役員が名を連ねており、三菱グループが大学の経営に深く関わっている。

成蹊学園初代理事長・岩崎小弥太以来、三菱金曜会のトップが成蹊学園理事長を勤めており、現理事長には東京三菱銀行元取締役会長の岸暁に代わり、三菱重工業取締役会長の佃和夫が就任している。

安倍首相は、成蹊大学法学部卒業

生年月日1954年9月21日(58歳)
出生地東京都
出身校成蹊大学法学部卒業
前職神戸製鋼所従業員
実父秘書

安倍さんの実兄も三菱商事の執行役員

安倍晋三首相の実兄である安倍寛信氏が4月1日付で三菱商事の執行役員に就任することが決まった。下馬評に上っていなかった人物の抜擢だけに社内はびっくり。「弟の七光り」と話題になっている。

沢山の政治家を輩出する三菱

数を数えられないほどの政略結婚

岩崎家は大名家・公家・政財界の名門家系などと姻戚関係を結んできた。高島家・近藤家・増岡家・数原家との間の親族・姻戚関係については三菱グループと三菱鉛筆の混同を生む原因の1つになっていると思われる。

岩崎彦弥太の三女・美智子は日本カーボンや東洋麻糸紡績(トスコの前身)、眞崎大和鉛筆(三菱鉛筆の前身)等の社長を務めた近藤賢二の孫にあたる高島孝之と結婚した。その姪・美砂子(高島孝之の兄・信之の次女)は鉄鋼ビルディング取締役・増岡隆一(元増岡組社長・増岡重昂の長男)と結婚したが、増岡隆一の従姉・真理子(政治家・増岡博之の次女)が三菱鉛筆社長・数原英一郎に嫁いでいる。

木内孝胤(日本未来の党)成蹊中学・高校卒業

木内家は岩崎家、渋沢家、福澤家及び関屋家と姻戚関係で結ばれていたことになる。孝胤からみると、良胤は祖父、重四郎と関屋貞三郎は曾祖父、そして岩崎弥太郎は高祖父にあたる。

みんなの党の衆議院議員 浅尾慶一郎とは、父親がお互いに外交官であるため、幼い頃より知り合いである。

小沢一郎氏(生活の党)の地元となる小岩井農場

1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。

自民党から排出された歴代総理大臣は、ほとんど親戚関係という事実。国民が知ってたか、知らないか。

丸の内と三菱グループ

「東京丸の内」にある100棟のうち30棟以上を三菱が保有

三菱地所は、旧三菱財閥が開発した東京・丸の内に30棟以上のビルを所有しており、このため丸の内仲通りは「三菱村」の通称がある。

丸の内から生まれる莫大な利益

10年3月期は、三菱地所が心血を注いでつくり上げた丸の内という街の“資産価値”が明らかになった期でもあった。この期から開示が義務づけられた、保有する賃貸用不動産の含み益は、なんと2兆0559億円で、同業他社の倍以上に達した。

原発、防衛で儲ける三菱

防衛庁予算の1/3を引き受ける日本最大の軍事企業グループ

1999年に防衛庁によって公表された平成11年度における防衛装備品の調達契約上位20社を見ると、調達契約額1位は三菱重工で約2,796億円、2位が川崎重工で約1,321億円、3位が三菱電機で1,120億円となっている。

三菱重工と三菱電機の契約額を合計すると約3,917億円となり、これは防衛庁の年間調達額の約31%を占める。三菱グループによる上位独占はこの年に限ったことではなく、三菱重工は防衛庁の創設以来、ほぼ一貫して調達契約1位の座を保っている。

原発の三菱

三菱重工が制作しているホームページを開いてみると、三菱重工の主要製品として、原水炉や核燃料サイクル装置などが写真入りで紹介されている。三菱がつくった原子力発電プラントは現在までに23基。現在日本で稼働している原発の数は52基であることから、日本の原発の約半数は三菱重工製ということになる。
ちなみに残りの半数は、日立・東芝によって手がけられている。日本の原発建設は三菱・日立・東芝のわずか三社によってそのほとんどが担われている。

政府から三菱への「優遇措置」

自民党の三菱重工への「優遇措置」とは、他の企業の兵器を購入せず三菱重工の兵器を購入し、また値引きを要求せず、三菱側の「言い値」で防衛省が兵器を購入した事を指す。

また、原子力発電所建設については、原子力発電の技術的に危険な面に「うるさい事を言わず」、その建設費への補助金等も三菱側の「言い値」で自民党政府が支払いを行った、と言う事である。

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nobuyuki5さん

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