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任天堂の社長「岩田聡」の天才っぷりがわかる逸話

任天堂の岩田聡社長(第四代)。任天堂を急成長させ現在の地位を築いた人物ですが、驚くべき逸話を持っていました。

更新日: 2015年07月13日

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任天堂の歴史を覆した天才プログラマー

任天堂株式会社代表取締役社長(第4代)。

17歳の時に、自分で作ったゲームを日本のHP社の代理店に送りつけ、その技術の高さに「札幌にとんでもない高校生がいる」と驚かれた

この頃から天才プログラマーと呼ばれていました。

東京工業大学卒業後、大学時代のアルバイト先だったソフトウエア開発会社、HAL研究所に入社

その後、HAL研究所は事実上倒産。その再建支援に乗り出した任天堂が、条件として掲示したのは「岩田聡を社長にすること」

当時任天堂の社長だった山内溥氏が、岩田聡の力を見込んで条件を出したそうです。

山内氏の目論見通り、岩田氏は高い経営手腕を発揮。HAL研究所は15億円の負債をわずか6年で完済し、見事に再建を果たした

山内氏は岩田氏を任天堂の取締役経営企画室長として招き、その2年後に社長の座を譲り渡す

任天堂は、100年以上ずっと山内家の同族経営体制が続いており、全く血縁関係のない入社2年目の人物を社長に指名するというのは正に異例の事態でした。

その天才っぷりがわかる一言

「今あるプログラムを使うと完成まで2年かかります。ですが私が一から作れば1年で出来ます」

任天堂の「マザー2」の制作が行き詰まっていたときにヘルプとして呼ばれ、この言葉通りに完成させてみせた。

「昔の国際電話は上空36,000km離れた衛星を利用していたから,返事が届くまで信号が2往復するのに0.4秒のタイムラグができる」

糸井重里氏によるサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の取材で、海外の電話が遅れて聞こえる理由は?と聞かれた時のコメント。もちろん即答だったとのこと。

あのゲームもこの男が作った

全てのゴルフゲームの原型を作った(あのショットするときのバーとかグリーンの傾きとか)

「バルーンファイト」の慣性プログラムなどは、岩田氏が手がけた

この慣性プログラムは、後に"スーパーマリオブラザーズ"の水中ステージに活かされています。

社長になってから任天堂の業績を伸ばしまくった

ゲームに関心が薄い大人や女性層を開拓するため、携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売

ご存知の通り大ヒットとなり、ソニーのPSPを抑える販売台数となりました。

「間口が広くて奥が深い」ソフトの新ジャンルを開拓し、ミリオンセラーを続々と世に出し、グローバルにも普及させた

「脳を鍛える大人のDSトレーニング」、「おいでよ どうぶつの森」、「ニンテンドッグス」といった誰にでも扱えるゲームを開発。今では任天堂の定番ソフトになっていますね。

社長就任の2002年から2008年までの7年間で、任天堂の売上を約3倍に上げた

営業利益は1,191億円から4,872億円へと約4倍にと急拡大させた。

今でも変わらないゲーム愛

「私の名刺には社長と書かれていますが、頭の中はゲーム開発者です。しかし、心はゲーマーです」

「私は、子供時代に遊んで面白かったゲームの最新作を、自分の子供に『これはお父さんが遊んだゲームなんだよ』と言ってもらえるように長く(ビジネスを)続けたい」

朝起きたらまずテレビも見ずに、「Wii U ゲームパッド」を手にとり「Miiverse」をのぞいて、ユーザーの楽しみ方を研究している

Miiverse(ミーバース:Wii U用ソーシャルネットワークサービス)。

「社員に『ありえない』というところまで考えていいんだと伝えたい。そして今後も、任天堂がそういう会社でいられたらカッコいいなと思いますね」

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このまとめへのコメント4

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  • 犬犬ご犬犬わさん|2013.04.01

    社員乙 作り話ww 乙でした(`・ω・´)

  • ななし~ずさん|2013.02.02

    こういう人がいるんだ・・。

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マイナス8度さん

寒い地域に住んでます。今年もやってきましたね。冬。

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