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戦後の歴史から消される朝鮮進駐軍と在日本朝鮮人連盟が関わる事件のまとめ

なぜかwikiから突然消されていく朝鮮進駐軍や在日本朝鮮人連盟が関わる事件。記録としてまとめてみました。

更新日: 2014年08月16日

日本再生さん

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朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)とは、日本の保守界隈でしばしば使用される用語である。「第二次世界大戦後、在日朝鮮人によって組織され、日本各地で凶悪犯罪を引き起こした犯罪組織」。

、「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料」にあるだけでも4,000人以上の日本人を殺害した組織。

在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り武装して町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。

通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。

警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」
と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

【拡散希望】「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」より
http://blogs.yahoo.co.jp/aoiqqq3/6356567.html

在日本朝鮮人連盟最高顧問。日本共産党中央委員。本名は金鶴儀。1950年6月15日、金天海は北朝鮮に密航。1951年11月、朝鮮労働党第2回大会で金天海は労働党中央委員・社会部長に就任。1958年、金日成から労働勲章。1970年の朝鮮労働党第5回大会で金天海の名前が中央委員名簿から消え、以後消息不明。アムネスティー・インターナショナルによると、金天海は強制収容所の名簿に載ったと伝えられている。

朝鮮進駐軍の流れ

●戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要 都市に出現し暴れまくった。
●在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。
●戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。
●「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。
●国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
●農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。
●財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。

日本の将来
http://cahotjapan.blog103.fc2.com/blog-entry-672.html

長田区役所襲撃事件(ながたくやくしょしゅうげきじけん)とは、1950年(昭和25年)11月20日から11月27日にかけて、兵庫県神戸市長田区で発生した公安事件。朝鮮人が生活擁護をよこせと役所へ押しかけた。

朝鮮人が生活保護をよこせと暴動を起こす

阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)は、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と日本共産党による民族教育闘争、大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件で、GHQは、戦後唯一の非常事態宣言を布告した事件。

首相官邸デモ事件(しゅしょうかんていデモじけん)とは、1946年(昭和21年)12月20日に東京都麹町区(現・千代田区)で発生した在日朝鮮人による暴動である。アメリカ軍憲兵隊が出動。

「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。

宇部万来町事件(ばんらいちょうじけん)とは、1952年6月5日に山口県宇部市で発生した暴動事件。「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていたことに激昂し留守中の上宇部派出所を襲撃。

宇部事件(うべじけん)は、山口県宇部市で発生した事件。1948年(昭和23年)12月9日、約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集して暴動を起こした事件。

尾花沢派出所襲撃事件(おばなざわはしゅつじょしゅうげきじけん)とは、1947年(昭和22年)10月20日に、山形県北村山郡尾花沢町(現尾花沢市)で発生した事件。ヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、朝鮮人が派出所を襲撃。

坂町事件(さかまちじけん)とは、1946年(昭和21年)9月22日に、新潟県岩船郡保内村(現・村上市)で発生した事件。ヤミ米の取締りの際に警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた事件。

新潟日報社襲撃事件(にいがたにっぽうしゃしゅうげきじけん)とは、1946年(昭和21年)9月29日に新潟県新潟市で発生した暴力事件。在日朝鮮人や在日中国人が新潟県岩船郡保内村(現・村上市)内で起こした坂町事件の記事を掲載したことで朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、「誤報であったという声明を出せ」と脅迫と暴行。

富山駅前派出所襲撃事件(とやまえきまえはしゅつじょしゅうげきじけん)とは、1946年(昭和21年)8月5日に、富山県富山市で発生した事件。

終戦間際、日本の治安の悪いころを見計らって日本に襲来した朝鮮進駐軍は好き放題暴れていた。

長崎警察署襲撃事件(ながさきけいさつしょしゅうげきじけん)とは、1946年(昭和21年)5月13日に長崎県長崎市で発生した、在日朝鮮人・中国人による警察署襲撃事件。

富坂警察署襲撃事件(とみさかけいさつしょしゅうげきじけん)とは、1946年(昭和21年)1月3日に東京都小石川区(現・文京区)で発生した暴動事件である。

直江津駅リンチ殺人事件(なおえつえきリンチさつじんじけん)
1945年(昭和20年)12月29日に新潟県中頸城郡直江津町(現:上越市)の国鉄信越本線直江津駅で発生した殺人事件である。

大阿仁村事件(おおあにむらじけん)
1945年10月22日に起こった事件である。
約40名の朝鮮人が村人に対して来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧。

生田警察署襲撃事件(いくたけいさつしょしゅうげきじけん)
現在の兵庫県神戸市中央区にある生田警察署が襲撃された事件である。在日朝鮮人(当時は法的には朝鮮半島は日本の領土)からなる暴徒によって1945年(昭和20年)12月24日、および翌1946年(昭和21年)1月9日の2回続けて発生した。

益田事件(ますだじけん)とは、1949年1月25日に朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿に関する日本で発生した事件である。

評定河原事件(ひょうじょうがわらじけん)は、1948年(昭和23年)10月11日・10月12日に、日本の宮城県仙台市で発生した事件。

枝川事件(えだがわじけん)とは、1949年(昭和24年)4月6日から4月13日にかけて東京都江東区枝川で発生した朝鮮人犯罪事件である。

本当に有った関東大震災における朝鮮人による暴動・破壊・放火・強姦事件。

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