1. まとめトップ

河野洋平のせいで共催になった2002日韓W杯(ワールドカップ)

「河野談話」で有名な元政治家の河野洋平さん。サッカーの2002年W杯が韓国との共催になるように最初に提案していたようで…。当事の関係者の発言等をまとめました。

更新日: 2015年08月16日

yamadayamaさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
5 お気に入り 60276 view
お気に入り追加

日韓W杯共催を最初に提案したのは…

元FIFA副会長で日韓W杯当事の韓国サッカー協会会長の鄭夢準の著書「日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002」によると、「共催についての意見が最初にでたのは、一九九四年の年末、韓国の韓昇州(ハンスンジュ)外相と日本の河野洋平外相が会談したときのことだった」という。

共催についての意見が最初にでたのは、一九九四年の年末、韓国の韓昇州(ハンスンジュ)外相と日本の河野洋平外相が会談したときのことだった。

出典鄭夢準「日本人に伝えたい!」

河野外相が話を切り出した。「ワールドカップの誘致に向けて、これ以上両国の誘致合戦が激化すると、両国の友好関係に害になる。いっそのこと共催にしてはどうか」

出典鄭夢準「日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002」

河野洋平側から韓国に提案

朝日新聞の社説で共催を提唱し、日韓W杯共催の仕掛け人の一人と言われる朝日新聞の若宮啓文も、著書「韓国と日本国」の中で日韓共催の発端は河野外相による提案だと書いている。

河野さんのほうからワールドカップ誘致競争を話題にして、「日韓どちらが勝っても大きなしこりが残って大変でしょう。たとえば、共催というような方法も考えられるのではないですかと水を向けた

出典若宮啓文、権 五〓「韓国と日本国」

<河野洋平>
第16代自由民主党総裁。
ネットでは官房長官時代の「河野談話」で有名。
息子は自由民主党の河野太郎。

この河野洋平の提案を「すごいアイデア」だと思った朝日新聞の若宮啓文は社説で日韓共催について提案。韓国の東亜日報の社長、当事の韓日議員連盟の会長ら韓国の政治家・マスコミと連携して日韓共催を現実化させるべく奮闘した。

閣僚懇談会でも共催案を擁護

閣議後の閣僚懇談会でワールドカップ承知問題が話題として取り上げられ、建設省の森喜朗と、防衛庁長官の衛藤征士郎が招致議連の立場から、あらためて単独開催論を主張、外相の河野洋平が日韓関係への悪影響を憂慮して共催案に理解を求めるという場面があった。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

1995年10月17日

共催について言及した理由は

河野によると、両国の招致合戦がヒートしていることを新聞報道で知り、予定にはなかったが急遽(日韓W杯共催を)取り上げたという。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

「両国はお互い目をじっと見つめ合っているだけではなくて、手を握って国際社会のために仕事をすることが大事だ。一緒に汗を流せば両国の絆はもっと強まるはずだ」とも日韓外相会談で河野洋平は語っていた。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ」

共催が正式に決まったことについて聞かれた河野洋平は「両国にとってよかったと思った」と発言している。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ

単独開催は困難だと考えていた韓国側の思惑とも一致

「日本に負けるな」という空気があったため韓国側から言い出すことはできなかったが、当時の韓国側の関係者は当初から単独開催を困難だと思っていた。

私は招致活動を始めたころから韓日共催でもいいとの目標を立てていた。韓国人は誰もが単独開催に懐疑的だったからだ。共催でもやむを得ない状況だった。

出典鄭夢準「日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002」

日韓W杯当事の韓国サッカー協会会長の鄭夢準は回顧録のなかでこう語った。

<鄭夢準>
韓国現代財閥を築いた鄭周永の六男で現代重工業の大株主。現在は大韓サッカー協会名誉会長、FIFA名誉副会長。
政治家でもあり、大統領選に出馬しようとしたこともある。

共催に導くためにも、韓国としては強い姿勢を見せないといけない。そのためには戦略的にやるしかない。日本が共催案を十分に納得した段階で、第三国たとえば欧州勢から共催の提案があるだろう。その場合、韓国も共催案を受け入れればいい、ということになった。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

韓国招致委副委員長のハンウスク

FIFA理事会での投票の前までは単独開催でいこうという戦略をとった。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

当事首相だった李洪九

韓国が先に降りる形をとったら共催も成り立たない。そこで最後のサイドまで単独開催で行くんだということを前面に出しつつ、落としどころは共催に、という戦略的判断に基づくものだった。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

当事外相だった孔魯明

共催決定一年後に韓国は金融危機に陥っているため、単独開催だったら開催返上もあったと、
日韓共催実現のため奮闘した朝日新聞の若宮啓文は語っている。

なぜ共催を望む日本人達がいたのか

当事毎日新聞社の政局、安全保障・防衛問題担当の論説委員で、日韓フォーラム委員でもあった仮野忠男は紙面等を通じて日韓共催を一貫して訴えてきた。その理由は…。

「単独開催を争っていけば、どっちかが勝ち、どっちかが負ける。そうなれば大きなしこりが残り、日韓関係にとってマイナスになりかねない」との懸念を持った。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

アジア太平洋地域の連帯意識の推進、平和や安全の確保の面でも大きな副次的効果が期待できる。

出典仮野忠男「新時代へのキックオフ―2002年日韓共催ワールドカップ」

1 2







  • 話題の動画をまとめよう