1. まとめトップ
  2. 雑学

イケメンなんてもんじゃない!チェ・ゲバラの人生と、未だ衰えない人気の秘密

街を歩けば、チェ・ゲバラの顔写真のプリントされたTシャツを見かける機会も多い。圧倒的なカリスマ性で人々を今も魅了してやまないチェ・ゲバラの功績と、未だ衰えない人気の理由を探ってみました。

更新日: 2015年02月10日

1300 お気に入り 835075 view
お気に入り追加

ファッションとしても定着。今もなお人気のチェ・ゲバラ

本名:エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ
1928年6月14日 - 1967年10月9日

アルゼンチン生まれの政治家、革命家。

日本人にとって歴史上のナンバーワンアイドルが坂本龍馬なら、世界レベルだとチェ・ゲバラ

ジョン・レノンも「あの頃、世界で一番かっこいいのがチェだった」と語っています。
ちなみにゲバラは同じ革命家として坂本龍馬を大変尊敬していました。

髭面に葉巻、いつもベレー帽が特徴的なスタイルで学生の頃に見ても今見ても格好良いと思える人

誰もが教科書で見たことがありますよね。

キューバには今でも「CHE VIVE」=チェは生きている、という看板やラクガキが跡を絶たない

歴史上の英雄であり、今も彼を敬愛する人がキューバ国内外に数多くいます。

現在、街のあちこちでゲバラの顔写真入りのTシャツを着た若者の姿を目にします

日本においても、彼の顔をあしらったTシャツや帽子など、ファッションアイテムとしても受容されています。

市販されているゲバラのTシャツ。

何をやった人か、ちゃんと知っていますか?

医学の道を志すエルネストは、23歳の時友人とオンボロバイクで南米大陸縦断の旅に出発

その際、貧富や差別などのさまざまな理不尽な事柄を見聞きし、マルクス主義(労働者が資本家から搾取されているとする、マルクスの社会思想を基とした共産主義のこと)に傾倒していくことに。

情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの生き方に感銘を受けたゲバラは、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月、キューバへの密航船に同乗した

アメリカにより土地、電話、電力、鉄道すべての利権が支配され、マフィアの巣窟となっていたキューバで反政府運動を行い、メキシコに亡命していたフィデル・カストロと出会ったゲバラは、カストロの想いに感銘を受け、反乱軍の軍医として82名の仲間と共に8人乗りのレジャーボートでキューバに密航しました。
厳しい渡航により多くの仲間を失いますが、上陸後は山中に潜伏し徐々に大勢を立て直しました。

医者のゲバラは戦闘が終わると自軍だけでなく、負傷した敵兵にまで必ず治療を施した

こうした仁義話はキューバ全土にすぐに広まり、政府軍の中からもゲバラたちの仲間に加わる者が出るほどでした。

1959年のキューバ革命のとき、革命軍のリーダーとなったフィデル・カストロのナンバー2として活躍し、革命を成就させた

キューバでは政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、当初は軍医としての参加であったが次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになっていきました。

革命成功後、国立銀行総裁、工業相と要職に就いた

キューバ革命後は社会福祉事業の無料化により経済が徐々に逼迫していく中、「生産効率の低下は人々の献身的労働によって補える」とし、自らも休日はサトウキビの刈り入れや工場でのライン作業の労働、道路を作るための土運び、建物のレンガ積み等、積極的にボランティアに参加した。

工場で自ら糸を紡ぐゲバラ

1965年中にコンゴ民主共和国に渡り、コンゴ動乱後混乱が続く現地で革命の指導を試みたが、コンゴの兵士達の士気の低さに失望する

アフリカ各地を歴訪し、コンゴ動乱に参加するも、革命はうまくいかず失敗に終わる。

1966年、新たな革命のためにボリビアに渡る

軍事政権が敷かれ、政治的に不安定だった南米大陸の中心部ボリビアを次の革命の拠点とさだめ、ゲリラとして少数の仲間とともにボリビアに渡航したが、救援が得られず次第に彼のゲリラ軍は孤立していくことに…

運命の1967年10月8日、ボリビア山中でCIAのゲバラ追跡部隊に指揮されたボリビア軍に捕らえられ、その翌日、全身に弾を撃ち込まれて射殺された

ボリビアではゲリラ戦に失敗し、革命の道半ばで倒れてしまいました。享年39歳。

ゲバラは、未熟児で生まれたときから喘息を患い、青年になっても薬と酸素吸入器をいつも手放せない体だった

2歳の時に最初の喘息発作を起こし、その後は生涯発作に苦しめられました。このことが彼自身が医者を志すきっかけになったとも伝えられています。

「チェ」は、アルゼンチンで「ねえ 君」という意味を表す言葉で、革命軍の間で定着したニックネーム

ウルグアイ、パラグアイで使われているスペイン語で「やぁ」、「おい」、「ダチ」といった砕けた呼び掛けの言葉。ゲバラが初対面の相手にしばしば「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していた事から、そのままニックネームとして定着した。

写真撮影はひとつの趣味だった

チェ・ゲバラが今も大人気の理由

彼が徹底した正義漢で一生を「しいたげられた人々」のために働いたこと

医者として病気の人々を救いたい、貧しい人々を救いたいという強い思いが、彼を最終的には革命家にさせたといえます。

優しい人でもあり、日記の最後に「今日は××の誕生日」と、仲間の誕生日を書いています

戦地でも日記をつけていた彼は、常に仲間のことを気にかける司令官だったようです。

一番の理由は理想を求めて生き、徹底した自己犠牲を貫いたこと

彼の直接行動主義と理想主義は、前者は一面として「戦禍を撒き散らす男」のイメージとなって各国に広まり、後年彼自身のゲリラ闘争の障害となりましたが、一方で後者は彼の自己犠牲的な行動力と相俟って、「清廉で理想に燃えた革命家」としての肯定的なイメージを作り出す要因ともなりました。

"Hasta Siempre(アスタ・シエンプレ)"はゲバラが新たな革命のためキューバを離れた1965年、キューバの作曲家によって捧げられた楽曲。「親愛なる司令官」としてゲバラを讃える内容になっている。発表から長い月日が経った現在も、キューバ国内や南米などで広く歌われている。
この動画はフランスの女優ナタリー・カルドンにより歌われたPV。冒頭にはゲバラが射殺されたボリビアの小学校、そして彼の遺体の映像も。最後にはゲバラの肉声も聞ける。

世界にゲバラ像が広がったのは、写真の著作権使用料を放棄したことが大きい

このまとめのアイコンでも使用している最も有名なゲバラの写真はキューバ人カメラマン、アルベルト・コルダによって1960年に撮影されたもの。コルダは後にこの写真の著作権使用料を放棄し、アイルランドの芸術家、ジム・フィッツパトリックが背景を赤にしたゲバラポスターを制作。勇ましい顔立ちが強調された形となり、ゲバラの生き方にあこがれた若者たちがファッションとして取り上げるようになった。

何より彼のカリスマ的なフォトジェニックなルックスがやはりいい

特に若い女性などは、ゲバラの功績よりもルックスから興味を持つ場合が多いのかもしれません。

ゲバラの名言集

1 2





このまとめへのコメント3

  • この投稿は現在表示することができません。

  • この投稿は現在表示することができません。

  • この投稿は現在表示することができません。

1

質を大事に、自分なりの視点でまとめを発信していきます。

【得意分野】
IT
スマートフォン
音楽
雑学
子育て
レッサーパンダ

よろしくお願いいたします!



  • 話題の動画をまとめよう