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世界の遺跡に見る奇妙な共通点

世界には多くの遺跡がありますが、その中に奇妙な共通点があります。石で造られた古代遺跡の奇妙な共通点についてまとめます。

更新日: 2014年04月22日

radiconさん

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エジプト

壁の石が隙間なく積まれています。
ただ積まれているのではなく、異なる形の石が組み合わされています。

巨石を複雑な形状に正確に切り出し、隙間なく積みかさている。
ただ四角い石を切り出すのではなく、立断面、上下の面にも凹凸をつけ切り出して積み重ねることで、どんな方向にもずれない。

ペルセポリス

ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国の都。ダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設した宮殿群であった。
遺跡はイランのファールス州(当時の地名はパールサ地方)にある。
http://bit.ly/1a7uRg6

ペルセポリスは広大な人工基壇の上に築かれました。そのため遺跡の入口は110段の階段を登る。

イースター島

モアイ(Moai)はチリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のこと。島の海に面したアフと呼ばれる高台に、多くの場合海を背に向けて多数建てられている。

モアイの目的・用途については、「祭祀目的で立てられた」と推測されているが、実際の祭祀形態については諸説あり、定説は未だにない。
http://bit.ly/1a45OKQ

エジプトのような石壁が、遠く離れたイースター島にもあります。
接合面が曲線のものもあるようです。

ペルー クスコ

クスコ (Cusco;Qusqu) は、ペルーの南東クスコ県の県名および県都の地名。アンデス山脈中の標高3600mにある。現在の人口はおよそ30万人。
クスコとは、ケチュア語 (Quechua) で、「へそ」を意味し、タワンティン・スウユ(Tawantinsuyu、インカ帝国の正式名称)の首都であり、文化の中心だった。
http://bit.ly/16zvmzB

少なくとも、1,000年の年月と、その間の2度に渡る大地震にも、微動だにしない石組みは、インカの石組みの技術が現代の技術を凌駕していることを如実に物語っている。
http://bit.ly/1h6gCiW

クスコの石垣は、インカ時代よりも前の7~12世紀に作られたもので剃刀一枚、水一滴さえも通さないその驚異的で精巧な石組みの技術が今もなお注目されています。

ちなみに、イースター島もかつて「世界のへそ」と呼ばれていました。
ここにも奇妙な共通点があります。

ペルー シルスタニ遺跡

ペルー南部、アンデス山脈の中央にあるチチカカ湖畔の町、プノの北西約30キロメートルにある遺跡。先インカ時代からインカ時代にかけてつくられた円柱形の墓が数多く残されている。

すべての墓に東側に出入り口があり、そこから太陽が差し込むようになっている。
これは東から昇る太陽の光を浴びると死者の魂がよみがえると信じられていたからだといわれている。

シルスタニ遺跡の石壁。
イースター島の土台の石組みとそっくり。

ペルー サクサイワマン

サクサイワマン(:Saksaq Waman、ケチュア語で満腹のハヤブサの意味)はインカの遺跡である。目的は城砦、宗教施設、その双方を兼ねた建造物など諸説あるが、確定していない。1983年、クスコの市街としてユネスコの世界遺産に登録された。
http://bit.ly/1a7uOko

中でも最も驚かされるのは、高さが私の背丈の4倍近くもある数百トンの超巨石が、周囲の、これも何十トンもありそうな巨石群と多面体で、つなぎ合わされていることである。

因みに、最大の巨石は360トンを越すと言われており、この重さは、なんと地下鉄の車両15台分に相当する。

ペルー オリャンタイタンボ

オリャンタイタンボ遺跡はピルカノータ・ウルバンバ川沿いの町ビサクの北方50kmのウルバンバ川支流パタカンチャ川が流れ込む谷間のオリャンタイタンボの町に存在する。川岸の平地と急な斜面に築かれた建築物はインカの都市建設の主な特徴を備えており、標高2846mにあるこの砦は正面に6枚岩の壁を備え、その威容を誇っている。
http://bit.ly/15k2e0B

その壁石は、列によって少しのすき間もなくぴったりと組み合わされ、完璧な接合を見せている。もちろんいずれの石も、数十トンはあろうかという巨大なものばかりだ。

隙間なく組み合わされた美しい石垣
http://bit.ly/1h6hh3Z

マチュピチュ

多くの言語で「Machu Picchu」と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したものの転写である。山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。
http://bit.ly/15k289m

主神殿の石組みはピッタリとあわされていた。居住区域の石組みはちょっと不ぞろいな仕事ではあるが、たぶんそこに最初からあったであろう自然石の巨石を巧みに石組みに組み込んで利用している。その技術や発想力にもびっくりさせられる。削る道具も運ぶ道具も今とはまったく違う中で、どうやってこれだけの石組みをつくれたのだろうか。

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このまとめへのコメント4

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  • radiconさん|2013.06.12

    コメントありがとうございます。
    多くの方が日本の城について言っているのを見て勉強になりました。
    今回は遺跡に限定したことと、大阪城は1583年に築城開始とあり、5000年前に作られたなどと言われる遺跡と比較すると近代になると思い、はずさせていただきました。

  • biglongさん|2013.06.12

    大阪城の石垣にも何トンもの大岩がいくつも使われ
    色んな形をしているが誰も不思議だとは思わない

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都市伝説や古代文明を中心にまとめています。遺跡情報サイト「HUNTER:」管理人。古代人とアメコミとハロプロが好き。ご連絡はTwitterに☆http://bit.ly/1a12xCs

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