1. まとめトップ
  2. ニュース・ゴシップ

台湾人に神様レベルで感謝されてる日本人がいた

2013年9月1日、八田與一氏の奥さま、外代樹さんの銅像が台湾の「八田與一記念公園」に建立されました。台湾の教科書には載っていて、台湾人では知らない人が居ないほど有名な八田與一氏。ご存知でしたか?

更新日: 2013年09月02日

qontlinさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
457 お気に入り 253665 view
お気に入り追加

台湾では誰もが知っている、日本人の英雄がいる

八田與一のことは台湾では小学校で習うから誰でも知っているらしい。英雄視されているとか。日本人では知る人は少ないのに。これは嬉しい!

台湾の近代化に力を尽くした八田與一技師の銅像が台南市に建てられたとのこと。彼のように海外で尊敬されている日本人のことを、私たち自身がもっと知っておきたいものです。 bit.ly/17t5hUR

日本で八田與一を知ってる人は多くないかもしれない。でも台湾で知らない人はほとんどいない、今でも命日に慰霊祭が行われている、台湾人は受けた恩は絶対に忘れない。。。水利事業の日本人技師を支えた妻を顕彰 台湾に銅像 sankei.jp.msn.com/world/news/130…

“八田與一”は台湾では神様

出典tw01.org

石川県河北郡花園村(現在は金沢市今町)出身。八田與一氏は 日本の水利技術者で、日本統治時代の台湾において農業水利事業に大きな貢献をしたとして台湾では大変有名な人物。※現在の字体では「八田与一」

東日本大震災では、ずば抜けて多かったのが台湾からの“200億円”を超す援助だった。その背景には、多くの日本人が身を粉にしながら、台湾のため働いたという歴史があり、八田与一氏はその一人だ

八田氏は台湾の不毛の土地にダムを建設した。そのおかげでその土地に住む人々は、みな豊かになり、農民たちは自分たちの神様は八田先生だと言う

彼が台湾で行った事業はダム建設だけではない。学校や病院を建てたり、映画鑑賞会を開いたりと、何よりも働く人々の環境を整えることに力を尽くしたのだった

東洋一のダムを完成させた

1895年、日本は日清戦争に勝利し、台湾を治めることになる。国内の食糧不足を補うため、台湾の農業強化を打ち出すが、嘉南平野は作物が殆ど取れない。そこに技師として派遣された男が八田だった

原因は水事情の悪さ。乾季は日照りで飲み水さえないが、雨季には洪水が絶えず起きる有様であった。

1930年、10年の歳月を経て、東洋一の大きさ(当時)を誇る烏山頭ダムが完成。不毛の地と言われた嘉南平野は、米・サトウキビなどが豊富に獲れる、台湾一の穀倉地帯へと生まれ変わったのだった

現在でも中学生向け教科書『認識台湾 歴史篇』に八田の業績は詳しく紹介されている

八田を記念する公園も台湾にはある

場所:台南市官田區嘉南里68-2號

日本よりも台湾での知名度のほうが高く、特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは與一の命日である5月8日には慰霊祭が行われている

日台親睦を象徴する施設「八田與一記念公園」が2011年5月8日に台南市郊外にオープンしている。公園は約5ヘクタールの敷地に、八田氏らが住んでいた宿舎4棟も復元されている

そして、2013年9月1日、八田與一を献身的 に支えながら2男6女を育てた妻・外代樹(とよき)夫人の銅像が建立された

八田外代樹の銅像に見入る八田夫妻の長男夫人。

外代樹夫人は、與一と同じくらいみんなに好かれていた

外代樹夫人は誰に対しても優しかった。16歳で與一と結婚、すぐに台湾へ。そして21歳の時に烏山頭出張所に来てから以後10年間、工事で働く人たちと一緒に過ごした

子どもたちに囲まれ、孫もでき、生涯台湾で暮らそうと考えるほど幸だった。しかしそんな夫人に與一の「戦死」の知らせが飛び込む。夫の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口で自死したのだった

外代樹夫人が自死したのは昭和20年9月1日、享年45歳だった。

愛されていた“八田與一”

現在、烏山頭ダムにある八田の銅像は、ダムの完成後の1931年に作られたものである

太平洋戦争の終盤、武器を作るために台湾中の金属が次々と回収される中、住民たちは真っ先に八田の銅像を隠していた。戦後になっても、反日感情を考慮して銅像は隠されたままだった

1 2





qontlinさん

まとめが。。スキなんです!

このまとめに参加する



  • 話題の動画をまとめよう