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来年の朝ドラで吉高由里子が演じる「村岡花子」って誰?

来年の朝ドラ『花子とアン』の主演が吉高由里子に決まり、その脇を固める出演者も発表されたばかり。村岡花子の10代~50代までを演じる吉高の演技力や、どのようにして「赤毛のアン」が生まれたのか、今から楽しみ!

更新日: 2013年09月19日

mitsuteru12さん

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吉高由里子が朝の顔に

来年3月31日スタートの朝ドラ『花子とアン』でヒロイン・村岡花子を演じる

村岡花子は「赤毛のアン」の翻訳した人として有名

明治・大正・昭和を生きた花子さんの波乱万丈の半生記で、吉高は10代から50代までを演じる

「ハングリーなヒロインなので、自分もハングリーになってやりたい。ミスキャスティングと言われないように一生懸命頑張りたい」

モデルとなった「村岡花子」ってどんな人?

生まれは山梨県甲府市で、クリスチャンの家庭で育った。
旧姓は、安中花子

「赤毛のアン」の翻訳家として知られ、同作だけじゃなく、多くのモンゴメリの著作を翻訳している

戦後「赤毛のアン」を日本に紹介した翻訳家なので、裕福な家庭に育ったインテリのお嬢様というイメージがあるが、全くそうではない

貧しい暮らしながらも、父親は花子に高等教育を受けさせる道をつけたいと願い、麻布の東洋英和女学校に給費生として入学

給費生とは、国・学校・団体などが費用、特に学費を支給される生徒のこと。
孤児院での奉仕活動が義務付けられ、成績が悪いと即退学というのが、その学校の給費生の待遇だった。

当時の東洋英和女学校

入学当初は、華族や富豪の娘たちが学ぶ女学校の雰囲気になじめず、教師たちの話す英語も全く理解できない。先輩や同級生たちの話す言葉にもカルチャーショックを受ける

東洋英和女学校は、カナダ人宣教師により創立されたミッションスクールだった

しかし、父親の期待に応えるためにも猛勉強を始め、そこで花子は、英語に加え、西欧の考え方や生活習慣も身に付ける

「華族のお嬢様なんかに負けるな。しっかり精進して見返してやるんだ」と父親に鼓舞され、勉学に励んだ

卒業後、軽視される日本の文学事情を痛感

1914年に学校を卒業し、英語教師として東洋英和の姉妹校の山梨英和女学校に赴任

のちに、教え子たちに物語を語り聞かせたりするようになった

少女たちが物語を欲しているにもかかわらず、年ごろの彼女たちにふさわしい読み物が少ないことを感じていた

子どもから大人への成長の過程で心の指針となるような本の大切さが英米に比べて軽視されてる日本の現状を痛感

図書室で読んだ上質の家庭文学を翻訳したいという使命感を抱くようになった

許されない恋に悩みながらも結婚

1917年に転職し、東京銀座のキリスト教出版社である教文館に女性向け・子供向け雑誌の編集者として勤務

ミッション・スクールの教材や日曜学校の子どもたちの読み物など、翻訳していた

そんなとき、聖書を初めとするキリスト教関係の書物の印刷・製本を一手に引き受ける「福音印刷」の御曹司・村岡敬三と知り合い恋に落ちる

敬三は妻子がいたが、妻が結核で別居状態。敬三は妻を気遣いながらも感染症に為す術なく、その年に花子と結婚

花子はクリスチャンとして、病気の妻と幼い子供を見捨てて自分たちの幸福を求めてよいのかという葛藤はあったようだが、結婚という道を選んだ

一度は失意のどん底に

1923年に関東大震災が発生し、福音印刷は壊滅状態に。花子は敬三が印刷会社を再興できるように、夫に代わって働くことにした

その時、敬三の父の代からいた役員が、復興手続きのために預けていた印鑑と重要書類を持ち逃げするなど何もかもこの震災で失った

翻訳小説を雑誌に寄稿するとともに雑誌の編集も手がけ、やがて夫婦で小さな出版社兼印刷所を設立する

しかし、花子と敬三のひとり息子・道雄が、当時の流行病で急死。失意の底に落ちた花子は3ヶ月以上、悲しみから立ち直れなかった

知り合いから紹介された「ザ・プリンス・アンド・ザ・ポーパー」をきっかけに、家庭文学の翻訳家になる道を見出す

命がけで翻訳した「赤毛のアン」

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mitsuteru12さん



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