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ユダヤ人が長い間迫害されてきた理由が良く分かるまとめ

ヨーロッパで「ユダヤ人問題」といわれる問題はなぜどのように発達していったのでしょうか? 売春・金貸し・奴隷売買といったイメージからか、陰謀論に陥りやすいユダヤ人問題ですが、なるべくそうならないように、その宗教と文化の成り立ちから追いかけてみました。

更新日: 2016年08月14日

palezioさん

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長い歴史のあるユダヤ人迫害

戦後、日本や欧米の教える歴史では、「ユダヤ人を迫害したのはヒトラー」と私たちは教えられてきました。しかし遡れば、もっとずっと長く、もっと強く、迫害は続いていました。

1348年のフランスでのユダヤ人大量虐殺の様子が描かれています。多数のユダヤ人が子供や財産を奪われ、火あぶりとなりました。

このような事例は珍しくなく、実は歴史上11世紀ごろから20世紀まで、遡ればもっと以前からずっと続いていました。

なぜ、それほど長い間ユダヤ人は迫害され続け、しかし絶滅も同化もせずに存続し続けられたのでしょうか?

「ユダヤ人問題」と歴史上呼ばれる問題は、とても長く続く問題です。このまとめでは、宗教によってどうしてユダヤ人が社会で目立ってしまうのか、どうして社会にとってユダヤ人が問題になるのか、そしてそれを避けるためにどのように人類が考えてきたのかということをまとめます。

ユダヤ教とその他の国際宗教の関係

権力への適応ではなく、迫害・離散への適応という形で発展したユダヤ教

多くの国際宗教は、時の権力者や、文化、歴史的経緯、人々の都合によってそれぞれ改変されながら変化していった歴史を持ちます。時代に適応できなかった宗教は絶滅し、適応した宗教は長期間存続しました。ユダヤ教は通常の適応進化とは全く異なる宗教の歴史を持っているのが特徴です。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はアブラハムの宗教と呼ばれる、いわゆる旧約聖書という同一の経典を信仰する宗教です。そして、ユダヤ教はそれらのなかで最も古くから続くグループです。

ユダヤ教の誕生から1500年遅れてキリストの誕生、さらに500年経ってイスラム教が誕生します。歴史の年表の中でも非常に長い期間でした。

実際には、ユダヤ教も2000年以上の歴史の間に変化しています。では、他の宗教とどのように異なり、特殊なのでしょうか。

聖書の中のユダヤ人の歴史

聖書の中で描かれるユダヤ人の歴史

旧約聖書によると、ユダヤ民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウル(現在のイラク南部)から部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされています。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれ、この付近で遊牧生活を続けました。これが、聖書の中でのユダヤ人の始祖ということになっています。

紀元前1021年頃の古代イスラエルに成立したユダヤ人王国。イスラエルという国名は、ユダヤ民族の伝説的な始祖ヤコブが神に与えられた名前にちなんでいます。これが、ユダヤ人の最初の国家です。

ちなみ、このイスラエル王国という国は、現在のイスラエルとは全く関係ない別の国です。

紀元前17世紀頃、ヘブライ人はカナンの地から古代エジプトに集団移住した。古代エジプトの地で奴隷とされた。

これが、ユダヤ人の宗教的記憶の中で、最初の民族迫害でした。彼らの歴史は、賢人によって統一されたイスラエル王国の歴史から、エジプトの権力者に捕らえられた迫害の歴史へと遷り変わります。ちなみに、こういった歴史は、旧約聖書に描かれているものです。その一部は、フィクションですが、一部は史実に由来していると考えられています。古来、宗教は、歴史を伝える手段でもあったのです。

『出エジプト記』は、旧約聖書の二番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている物語です。

エジプト第19王朝の時代に、大きな気候変動が起こり、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となって、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たしたとされています。

創世記が人類や生命の説明をしているのに対して、出エジプト記は創作を伴いながらもユダヤ人の逃亡の歴史のはじまりを記述していると考えることができます

本来、アブラハムの宗教は、時の権力の迫害から逃れ、流浪することを始まりとする宗教だということが分かります。

ローマ時代、ユダヤ人はエルサレムを中心とするユダヤ属州においてある程度の自治が認められていました。

初期のローマ帝国は宗教に対してとても寛容な政策をとったことが知られています。しかし、多神教を信仰していたローマ人に対して反感を持ち続けたユダヤ人らは、反乱を起こし、やがてローマ軍によって攻め滅ぼされてしまいます。これも旧約聖書に描かれるユダヤ人の歴史です。

各地に拡散したユダヤ人

ユダヤ戦争後、ヨーロッパのユダヤ人は離散してヨーロッパ各所に小さいコミュニティを形成していきました。

ユダヤ戦争は、ユダヤ人のヨーロッパにおける離散の原因となりました。その後、ユダヤ人は各地で追放されたり迫害にあうたびに、移動するという性質を持ちます。彼らは国土を持たず、「土地を大切にする」という考えかたよりも「自分たちが迫害から逃れる」という考え方を強く持つことになったのです。

ユダヤ教とキリスト教の分岐の意味

第一次ユダヤ戦争によって、エルサレムは破壊され、壮麗なエルサレム神殿は焼け落ちました。このことはユダヤ教の歴史において大きなターニングポイントとなります。

ユダヤ教から、エルサレム神殿を中心とする祭儀宗教という側面が完全に失われ、シナゴーグ(教会)における集会とトーラー(ここではユダヤのヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書のこと)の学びによって伝えられる宗教、いわば「書物の宗教」になっていったのです。

神殿を破壊されてしまったユダヤ人、エルサレムの陥落から逃れたユダヤ教の指導者たちは、ローマ帝国当局の許可を得て、エルサレム西部の町ヤムニアにユダヤ教の研究学校を設けました。

ユダヤ教学校に集まった学者たちが長い時間をかけて議論し、聖書(ヘブライ語聖書)の正典を確認していくプロセスを行います。

これが歴史上ヤムニア会議として知られる出来事です。

その話し合いにおいて、当時のキリスト教徒たちが主要なテキストにしていた七十人訳聖書についても議論され、その中のある文書はヘブライ語にルーツを持つものでないため、正統なものではないという結論に至った。こうしてヘブライ語聖書の正典が確認された。旧約聖書の外典という時、この会議で除外された文書群をさす。この会議はキリスト教とユダヤ教を完全に分けることになった会議である

実は、ユダヤ戦争でエルサレム宮殿が破壊されるまでは、キリスト教はユダヤ教の一分派という位置にありました。ヤムニア会議というプロセスを経て、「正典」ではない聖書を信じるキリスト教は完全にユダヤ教からは切り離されることになったのです。

その後、キリスト教とユダヤ教は異なる方向に歴史を歩んでいくことになります。

もともと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の経典は旧約聖書でした。「約」とは、神との契約のことを言い、この呼び方はキリスト教の立場からのものです。もともと旧約聖書は、ユダヤの民と神との約束の歴史を描いていました。聖書に書かれた歴史には、史実らしいものと、伝説に近いものが含まれています。

旧約聖書には、厳しい律令の項目が含まれています。

新約聖書は、主に イエス・キリストの誕生・生涯・教えが描かれていると、キリスト教徒は説明します。「新しい約束」によって旧約聖書を上書きする関係にあるのが新約聖書です。

旧約聖書の戒律を大幅に緩和し、一方で隣人愛を説くのが新約聖書の特徴である。「イエス・キリストを信じることこそ救いの約束なのだから戒律は一旦白紙で考えよう」という極端な操作が行われたと考えることもできます。

これは、まず第一に宗教指導者が宗教を再構築することを容易にするルール変更であり、第二に政治的指導者が利用するために都合の良い改変でした。

新約聖書は、旧約聖書より、とくに律令が大幅に甘くなっています。

旧約聖書『あなたは殺人をしてはならない。あなたは姦淫を犯してはならない。』

新約聖書
『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです。』『すべて自分の兄弟を憎む者は人殺しです。』

新旧でこのように表現が変更されました。旧約聖書が非常に厳しいルールを課しているのに対して、新約聖書が多くの言い訳の余地を与えていることが分かります。

なぜ異端のはずのキリスト教は広まったのか

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このまとめへのコメント1

  • hirakusekiyaさん|2013.09.21

    全てが論理付けされていてわかりやすかったです。特に日露戦争から今の日本につながるところまでのところはとても興味深かったです。 自分的には、日本の現在は百年以上前から決定されいたのだという錯覚に陥りました。

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