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75歳で急逝した島倉千代子は細木数子のおもちゃにされ詐欺られていた?【黒い噂】

島倉さんは当初、「借金を肩代わりしてくれた恩人」として細木さんを絶賛していましたが、そのうち何かがおかしいと気づきました。働いても働いても借金は減らず、むしろその金額はどんどん増えていったということです。細木さんは島倉さんをだまして奴隷のようにタダ働きさせ搾取していたとか...?

更新日: 2013年11月11日

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島倉千代子と細木数子の関係

まず、島倉千代子さんが借金を抱えるまでのお話をしましょう。


島倉さんが23歳の時でした。
ファンの投げたテープが目に当たり、失明寸前のケガを負ったのです。
この時に助けてくれたのが、医師である「守屋義人」さんでした。
これが縁で、2人は愛人関係になるなど、深い仲に。


そして、島倉さんは恩人の守屋さんに手形を裏書しました。

しかし、
その16年後である1977年、
その守屋さんが事業に失敗。

不渡り手形を出し蒸発しました。



その結果、借金の連帯保証人となり、
島倉さんは4億3000万円の債務を負うことに。


島倉さんのもとには、
暴力団の取り立てがきたり、
暴力団からの嫌がらせもあったそうです。

そんな中で現れたのが、
「細木数子」さんでした。

細木数子さんは、島倉さんの借金を1億5000万円まで減らし、それを肩代わりしました。


ですが、赤の他人のために無条件でそんなことをするハズもなく…。

その代わりに「島倉千代子の興行権」を手に入れて、
細木数子さんが社長に就任し、芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立します。


島倉千代子さんは人気者でしたから、
当然莫大な興行収入が手に入ります。


島倉さんは、写真集の発売、
キャバレー回りなどをしながら、
必死に借金完済を目指しました。

当時の収入は、
年収2億2000万だとか、月収500万だとか、
情報が錯綜していて真偽は定かではありません。

ですが、
「普通に働いていけば、借金が十分に返せる額は稼いでた」
というのは、人気度から見て間違いないでしょう。

しかし、その収入の中から返済していくハズが、
借金が一向に減らない…どころか、借金が増えていました。


当初の「4億5000万を1億5000万にして肩代わりした」という話が、
なぜか「16億円を6億円に減らして肩代わりした」
という話にすり替わっていたらしいのです。

ワケが分かりません…。



結局、この問題は島倉さんが細木さんの
事務所を離れることで解決しました。

ですが、細木さんの事務所にいる間は、
ほとんどタダ働きのような状態だったのかもしれません。

島倉千代子さんのデビュー50周年パーティーで、こんな出来事がありました。
宮路オサムさんが舞台に立ち、こう言ったのです。

「今日は、本名の細木一馬でお祝いの挨拶を…」



この瞬間、島倉さんを古くから知る関係者は、一瞬凍りついたとのこと。
島倉さんをよく知る業界関係者は、こう語ります。

彼の本名は細木数子と音が似ているでしょ。 島倉の前で、その名前を出すのはタブーなんです



借金の件がなければ、
どんな人生になっていたのか。

非常に、歯痒い思いです。



素晴らしい歌声を、ありがとうございました。
ご冥福を、お祈りいたします。

島倉千代子が出演料詐欺で法的措置

歌手島倉千代子(66)が4日、手記「島倉家 これが私の遺言」(文芸社)の出版記念会見を都内で行った。詐欺同様の手口で出演料をごまかされたと手記に書いた人物について「今は法的措置に動いている最中なので詳しくは言えませんが、決して許せません。法律が許してくれるならばこの手で刺したい」と目に涙を浮かべながら訴えた。心労などから一時、声が出なくなったが今は周囲の支えもあり復活。「今年が島倉元年と思い、歌にお芝居に頑張っていきます」。

細木数子の家族は皆暴力団関係者?弟は詐欺の前科アリ

父親の名は細木之伴。 戦前は民政党の院外団の壮氏だったそうで、暴力団関係にも幅広い人脈を持っていたそうです。 後に 「 ロマンスクラブ 」 という名のカフェを開業しました。

 母親の名は 「 みつ 」。 之伴にとっては3番目の妻ですが、戸籍上は2番目の妻との間の養女になっているそうです。 ( 細木数子の腹違いの兄・小野利助氏による )

 姉の一人は暴力団幹部の妻( 死別 )。
 弟には細木久慶という人物がいます。 彼は、千葉県議会議長を恐喝した罪で有罪判決を受け、さらにJBA( ジャパン・バリアフリー・アソシエイション )の会長時代には、パソコンを使ったマルチ詐欺事件で告訴されています。
【追記】2006年1月27日に、細木久慶は詐欺容疑で逮捕されました。
「 信用金庫から約3000万円をだまし取ったとして、茨城県警日立署は27日までに、同県友部町平町の無職白山真一容疑者( 59 )、東京都町田市上小山田町の画家細木久慶容疑者( 66 )ら5人を逮捕した。 同署によると、細木容疑者は占師の細木数子( 67 )の弟 」

「店の女の子に覚せい剤を打って、管理売春をしていた」と自ら番組内で発言した?

調べた限り、関西のワイドショー番組 『 ワイドYOU 』 だった可能性が高いです。 時期的には15~20年ほど前のことで、当時はこの番組に週一回のペースで出演していました。
 そのときは、 「 売春宿やってたの。 ヒロポン( 覚せい剤 )打ったりして、女の子逃げないようにして 」 と生放送で自慢げに発言し、スタジオを凍りつかせたそうですが、その管理売春を行っていた店は、時期的に考えて最初に成功させた 「 ポニー 」 の可能性が高いです。 ( 今から40年以上前の話のはずなので、発言当時、すでに時効だったはずです )

「ズバリ言うわよ!」時代に共演者のタッキーが細木のマンションを度々訪れていた?!

細木数子と同じマンションに住んでいた知人が、タッキーの訪れを複数目撃。細木数子がテレビに頻繁に出ていた時だから、献上されていたのだろう…。

細木数子の黒い噂 ① 怪しい霊感商法・暴力団との黒い交際

細木数子は、元暴力団組長夫人! 投稿者:パラノイヤ 投稿日:2010年 9月18日(土)12時28分5秒   通報 返信・引用
追伸、京都に住所を構えているインチキ占い師の細木数子の正体を改めて暴きます。
細木数子は、京都の四条大宮の近くの大宮松原の近くの久保田石材という墓石会社と、墓石商法を行っている。
細木は、占い鑑定を東京の渋谷の事務所でやっている。
鑑定に来た人に、細木数子は、久保田石材の墓石を、先祖の祟りを理由に買わせる霊感商法を行っている。
また、大国協会という新興宗教の教祖であり、久保田石材も、培風会という新興宗教を経営している。
大覚寺の裏山の水を霊力があるとして、大国教会信者に買わせている。
両者は、グルであり、実際に、10数年前に、佐賀県の主婦に詐欺罪で告訴されたことがあり、そのときは、和解で収集している。
細木数子は、新宿を小金井一家の二率会の堀尾会長の夫人であり、新宿歌舞伎町で、ポルノ本であるビニ本屋を経営していたこともある。

二率会は、山口組との抗争に敗北して、解散している。
堀尾は、晩年ガンになり、細木の京都の自宅に潜伏していた。
また、漢文学者の安岡氏とは、反共ネットワークで交友が生まれ、安岡に酒を飲ませて、酔わせた状態で、結婚誓約書を書かせている。
安岡が、高野山に隠居すると、行方不明と警察に被害届けを出して、世間を騒がせた輩である。
細木の交友関係として、前山口組組長の渡辺が挙げられる。
細木のボディーガードは、暴力団員である。
六星占星術は、先代の二率会会長の娘さんの会得したものであり、赤坂のキャバレーをやっているときに、片手間で教えてもらったものを、コピーして、いかにも、細木自身が、創立者のような顔して、金儲けの道具にしていたものである。
ではまた。

細木数子の黒い噂② 芸能界引退の真相

その後の顛末としては、細木数子が諸事あって墓石販売などのかどで右翼や暴力団筋に突っ込まれ表舞台から姿を消さざるを得なくなるものの、サイバードの占いサービスで月間一億円の利益(売上ではない)を挙げたという不思議な事態に陥るわけですけれども、ここでも陽明学が本来目指した意は達せられていたとは言えません。

細木数子の黒い噂③ 中学1年生から売春あっせんでボロ儲け・ミス渋谷

以下「女の履歴書」から幼少期の稼ぎの部分を要約してみよう。
細木の実母・みつ・が営む渋谷百軒店の『娘茶屋』は、中ば、公然と従業員婦女が、売春し、青線化していた。細木は1951年・昭和26年、松濤(しょうとう)中学一年の時から店に出て接客した。まだ背が低く、カウンターの下にビールの木箱を置いて、その上に乗り、客の相手をしたのだ。

細木は毎夜10時頃に成ると、一人で客引きに出かけた。当時道玄坂には大映の映画館があった。映画の最終上映が終わるのが10時で、数子がビルの陰に立っていると、中年の男性が声をかけてくる。

『君、そんなところで何しているの?』
「・・・・・」
数子は男に追いつかれない程度にゆっくりと歩いて道玄坂を上って行く。『娘茶屋』の前で男が追いつくのを待つ。

『どうしたの、おねえちゃん。なぜ黙っているんだい。どこへ行くの』

「私のうち、このお店なの」男は10人中8~9人まで数子に着いて店に入って来た。

店に入ると女給5~6人が待っていて、一杯飲みながら男と自主交渉に移る。『娘茶屋』のとなりに『筑波』という連れ込み旅館があった。交渉が成立した女給たちはここに客を連れ込む。

細木数子の黒い噂④ 暴力団会長夫人

細木数子が小金井一家総長・堀尾昌志の実質的な女房,姐さんになったことで、細木数子の現在の暴力団人脈が形成される。

堀尾昌志の存在は現在の細木数子に直結している。

細木は1971年・昭和46年ごろ赤坂でサパークラブ『艶歌』を開店する。堀尾は店の客となり、細木と知り合う。細木は例の『女の履歴書』で堀尾は一本七万円のブランデーを五万円に値切った上、客になった。

堀尾がカネに窮して男が立たない時、自分のしている指輪を外して『じゃ、これを質にでも入れてさあー』と言い出すのは細木だったよ。細木は堀尾を『お父さん』と呼んでいた。

『お父さんが賭博を開帳すると開帳図利でパクられるから、あたしがやる』って大股おっぴろげてやる口だったからね。型どおりヤクザの姐さんだった。』

しかし堀尾昌志は細木が最初に関係を結んだヤクザでさえなかった。堀尾の前に稲川会の滝沢組組長・滝沢良次郎(一時稲川会から除籍・故人)が居た。

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くろめくりいむさん



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