1. まとめトップ
  2. デザイン・アート

「作風がガラリ!」明治時代の日本人画家(洋画家)の描く世界

芸術の秋も残りわずか…洋画家たちの描くこんな楽しみ方はいかがでしょうか?

更新日: 2013年11月09日

296 お気に入り 98859 view
お気に入り追加

■明治時代に注目する理由

洋画家(ようがか)とは、明治維新以降の日本人の画家のうち、「洋画」(西洋から伝わった油彩画・水彩画)を制作する画家を指す。

明治日本は、文明開化・欧化主義のもとに、政治、経済、建築、医学などの諸制度や諸技術を西洋化していきました。

美術においても、西洋文明を取り入れて西洋諸国に追いつくために1876年(明治9年)工部美術学校を設立し、外国から美術家を雇い入れて西洋美術の教育を始めました。

入りたての西洋美術が実に興味深い

■例えば江戸時代生まれの洋画家「浅井忠」の場合

江戸時代バリバリの作品もあれば

日本の風景なのにどこか西洋風の作品に。

ミレーの落穂ひろいを連想すらしてしまう。

日本近代洋画の先駆者として極めて大きな功績を残した浅井忠(1856~1907)は、千葉県ゆかりの画家

浅井は、幼い頃から絵に興味を持ち、「九歳の頃より藩の画家黒沼槐山と云へる人に就き、花鳥等を描くことを学べり」(『木魚遺響』)と言われています。

後に上京して、明治9年(1876)に洋画家・国沢新九郎の画塾・彰義堂に入門

西洋画を学び特にアントニオ・フォンタネージの薫陶を受けた。

イタリア人画家フォンタネージが指導したのはバルビゾン派風の作品のため、浅井忠の作品にミレー(バルビゾン派の一人)を感じさせる作品があっても不思議ではない。

■そういう見方をすると明治時代の「洋画家」たちが実に面白い

明治26(1893)年7月、27歳の洋画家黒田清輝は9年にわたるフランス留学を終えて帰国した。

勝海舟の力添えなどもあって徳川留学生として渡米。画業に専念するべく渡仏し西洋画の技術を学んだ。30歳で帰国すると西洋と日本の技術を融合した作品を発表した。

渡米し、渡仏すると?

川村はそれらを「和洋画」あるいは「洋和画」と称した。

彼らは西洋の真新しい技法、作風に影響を受けているため、そのパッションが絵にも現れていて実に面白い。

■芸術の秋も残りわずか…まだ間に合います

1





ユーロの行方さん

このまとめに参加する



  • 話題の動画をまとめよう