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“2015年に公開決定→延期”芸術的すぎる「太陽の塔」の内部とは

万博記念公園内の「太陽の塔」の内部公開を2015年にも始めることを明らかにした。芸術家の故岡本太郎さんが制作した太陽の塔は内部が空洞で、生命の進化を表現したオブジェ「生命の樹(き)」(高さ41メートル)がある。万博開催時は来場者が見学できたが、閉幕後は老朽化などのために入場が制限されていた。

更新日: 2016年07月02日

tainoyoさん

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「太陽の塔」内部、やっぱり公開…2015年にも

万博記念公園(大阪府吹田市)にある芸術家岡本太郎(1911~96年)の代表作「太陽の塔」(高さ約70メートル)の内部を公開する計画について、来年度から公園の管理・運営を移管される大阪府が2015年にも内部公開する方針を固めたことがわかった。

多額の改修費用が必要になるため府はいったん計画を白紙に戻したが、国との協議で財源確保のめどがついたという。

「太陽の塔」の内部とは

昭和45年の大阪万博当時、太陽の塔の内部は観覧コースの一部で、約920万人がエスカレーターに乗り、生命のエネルギーを生物の進化に託して表現したオブジェ「生命の樹」(高さ約41m)を鑑賞したという。

内部の赤い壁面に囲まれた「生命の樹」は、鉄製で高さ約41メートル。樹木のような形で緑や青、赤、オレンジで色づけされ、表面にゴリラや恐竜など、さまざまな動物の模型が張り付けられている。

太陽の塔は内部が空洞で、生命の進化を表現したオブジェ「生命の樹(き)」(高さ41メートル)がある。

生命の樹といえば、新世紀エヴァンゲリオンで有名になったカバラのシンボル

「太陽の塔」

太陽の塔(たいようのとう)は、1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)の会場に、芸術家の岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物である。岡本太郎の代表作の1つである。

塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。未来を表す上部の黄金の顔(直径10.6m、目の直径2m)、現在を表す正面胴体部の太陽の顔(直径12m)、過去を表す背面に描かれた黒い太陽(直径8m)の3つの顔を持つ。

芸術家・岡本太郎

1929年(昭和4年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動と直接関わった。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文時代や沖縄のプリミティブな美術を再評価するなど、文筆活動も精力的に行った。雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演した。

1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、主催者(国)は紆余曲折の末、シンボル・タワーの制作を岡本太郎に依頼した。太郎は承諾すると、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。そうして出来上がったのが巨大なシンボル・タワー『太陽の塔』である。

謎が多い「太陽の塔」 その意味とは?

日本のオカルト的にいえばですが、生命の樹を登った先にある顔は塔の名前そのものズバリで天照大神です。胴体部分の顔はヒト。

日本のオカルトで万博公園の生命の樹はなにをモデルにしているかというと、神社にある真榊(正面から見たら写真右のほう。後ろから見たら左のほう。

生命の木=真榊の真ん中に掛けられた鏡が岩戸から顔を覗かせた天照大神の姿を映した八咫の鏡=歴史的人物、つまりヒトとしての皇祖天照大神を象徴し、太陽の塔の胴体部分のヒトとしての顔を意味している。つまり・・・太陽の塔は真榊を現代流にアレンジしたもの。

背中の黒い顔は何に対応しているのかというと天照大御神が岩戸に隠れる原因になった弟の素戔嗚尊。この場合、真榊の写真の左のほうの剣が吊り下がっている方をイメージしている。(その証拠に顔の周りに髪の毛とひげがあり、ひげの一部が両腕の部分にまでつきだしていることで真榊の左の方の剣を表現している)このオカルト的解釈は、剣は神を殺して岩戸に隠れさせることができるが、神に至る道ではないということ。

太陽の塔が左右が合体した真榊であるということは古事記現代語訳・天岩戸の章を読めば明らかです。

塔から忽然と消えた"第四の顔"「地底の太陽」はどこに?

故・岡本太郎さんの代表作である太陽の塔の地上には背面に描かれ、過去を意味する「黒い顔」、胴体前部に彫られ、現在を意味する「太陽の顔」、未来を表すおなじみの上部の「黄金の顔」の三つがある。

 万博開催時、塔の地下に展示されていたのが、人間の根源的な精神世界の象徴とした「第4の顔」。中心部に直径約3メートルの金属製の円状の太陽があり、左右に約5メートルずつのコロナが伸びていた。

地下空間も設けられており、そこにも「地底の太陽(太古の太陽)人間の祈りや心の源を表す」と呼ばれる第4の「顔」(直径3m、全長13m)が設置されていた。ただし、生命の樹同様万博終了後は閉鎖され、1993年を最後に様々な処理のドサクサで行方不明となってしまった。

万博終了後、兵庫県が太古の太陽を美術館展示の為に兵庫県に搬入。 その後計画がうやむやになり、太古の太陽は荷造り(分解)状態のまま放置。 最後に所在が確認された場所に現在太陽は置かれていない。 兵庫県自体も現在はその所在、管理についてはわからないの一点張り。 太陽の置かれていた場所は倉庫でもなんでもなく、廃材置き場のような場所に野ざらしであった。

元兵庫県職員などから得た情報をもとに、「地底の太陽」の行方を追跡。「兵庫県の教育研修所の庭に置かれていた」「教育研修所の地下の廊下にコロナのようなものが置かれていた」といった証言を得るが、その研修所も1971年7月に移転。跡地は王子動物園に生まれ変わっていた。「土に埋もれている」、「ポートアイランド建設時に海に沈んだ」などの噂が流れる中、兵庫県たつの市に黄金に輝く「地底の太陽」に酷似したものを見た、という目撃情報が

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