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''白い死神''と呼ばれた伝説のスナイパー「シモ・ヘイヘ」

第二次世界大戦時、歴史上最大の射殺数(505人)を誇ったスナイパー(狙撃手)。「白い死神」って呼ばれていたフィンランドの兵士「シモ・ヘイヘ」についてまとめてみました。

更新日: 2015年07月24日

rainshineさん

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シモ・ヘイヘ

フィンランドの軍人。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソビエト赤軍から“白い死神”と呼ばれ恐れられた。スナイパーとして史上最多の確認戦果505名射殺の記録を残している。

軍人になる前は猟師兼農民として働いていた。伝えられるところによると、彼の家には自らの射撃の腕前によって得た多くのトロフィーが飾られていたという。

「白い死神」

1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に配属され、故郷の町に近いコッラー川の周辺での防衛任務に就いた。

ヘイヘは平均気温-20℃から-40℃という酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によって赤軍兵士から“白い死神”や“災いなす者”などとあだ名された。

脅威の狙撃センス

ヘイヘは身長約152cmと小柄であったが、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。

愛銃のモシンナガン小銃は途中、活躍の功績として支給された特別モデルに置き換わることとなった。これはフィンランドのサコ社が、彼の152cmという小柄な身長に合わせて銃身を切り詰めヘビーバレルにしたカスタムモデルである。

狙撃にスコープを用いず、アイアンサイトのみで行う(一番の理由はレンズの反射光で敵兵に発見されるのを嫌ったからという)。にもかかわらず300m以内なら相手の頭部に必中。

呼吸を一定に保ち、ひたすら待つ。そして敵の姿が目に入ると、息を吐きながら撃つ。装填の際にはわずかでも弾丸の先端を傷つけてはならない。そして引き金をひくためにむき出しの指先には常に神経を集中させるという。

ヘイヘが残した伝説

シモ・ヘイヘを含むフィンランド軍わずか32名が迎え撃った相手は4000人のソビエト連邦軍
フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。

あるときヘイヘは400m離れた箇所から後方に走る敵を狙撃した。敵に至るまでの弾丸の平均速度は秒速約490m、また、重さ12ℊの長距離用完全被甲弾は約2m落下する。加えて走る敵は秒速約4mで離れてゆく。スピッツのライフリングは右回りで、偏流によって弾丸は右へ逸れ、風や空気抵抗の影響も受ける。引き金が引かれ、秒速700mで発射された弾丸は落下しつつ、右に逸れつつ、また空気抵抗によってわずかに左に押し戻されつつ進み、後方に移動してゆくソ連兵に命中する。時間にして0.8秒。ソ連兵は被弾後に発射音を聞くことになる。

ヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では200人以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。

1939年のクリスマス直前の12月21日だけでも25人の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が138人に達していたという。

重大な脅威であるヘイヘを排除するべく、赤軍は大砲や狙撃手を用いて攻撃を行った。にもかからず、防寒着の背中を砲弾の破片によって切り裂かれた他はヘイヘは負傷と無縁であった。

負傷、終戦そして引退

1940年5月6日に起きた戦闘で赤軍兵士の銃撃によりあごを撃ち抜かれる重傷を負う。意識不明のまま友軍に救出されたが、彼を収容した兵士が「彼の頭は半分なくなっていた」と述べるほどの深傷であり、一命はとりとめたものの生涯消えない傷痕が残った。ヘイヘは負傷から一週間後の5月13日に意識を回復した。

終戦後、第一級自由十字褒章とコッラー十字章を受勲。さらに、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たした。その後は戦場に出ることはなく、猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごした。

シモ・ヘイヘが残した言葉

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