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あなたが知らない日本の記憶。“世界記憶遺産” 山本作兵衛と炭鉱画

50年間にわたる炭坑での仕事の記憶を描き、日本で初めてユネスコの「世界の記憶」に登録された無名の炭坑夫 / 炭坑記録画家「山本作兵衛」の人生と絵画から、日本の経済発展を支えた炭坑労働者たちに思いを馳せてみます。

更新日: 2015年10月11日

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炭坑絵師、山本作兵衛

やまもと・さくべい
(1892年5月17日 - 1984年12月19日)
福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。

7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、立岩尋常小学校を卒業後、1906年(明治39年)に山内炭坑(現・飯塚市)の炭鉱員となった

14歳から筑豊各地の炭鉱で働いた、炭坑夫でした。

約50年を坑夫として過ごした作兵衛が65歳にしてはじめて絵筆を握ったのは、子や子孫に炭坑を伝えるためでした

閉山による退職後、「孫たちに炭坑を伝えるため」絵筆をとり、自身が体験してきた炭鉱内外の様子を描き始めます。

資材警戒の夜勤を勤めながら夜のつれづれにヤマの記録絵を書き続けていった

時には2日に1枚というハイペースで作品を次々と仕上げていったようです。

石炭を掘る坑内での過酷な労働や炭鉱町の生活風景ばかりでなく、ユニークな風習や祭り、子供たちの遊びなどいろいろなモチーフを採り上げ、1千枚以上の作品を残した

彼は現役時代の記憶を頼りに、炭や水彩で生涯に1000枚を超える作品を描き上げました。

日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録

▷「世界の記憶」(通称:世界記憶遺産)は、危機に瀕した書物や文書などの歴史的記録遺産を保全する目的のユネスコの事業。
「アンネの日記」や「グリム童話」などが登録されている。

2011年5月、作兵衛の描いた記録画、日記などをはじめとする計697点が、ユネスコの認定する「世界記憶遺産」に国内第1号として登録されました

山本作兵衛の記録資料をみたユネスコ関係者や海外の専門家が世界記憶遺産への申請を勧めたのを契機に、田川市と福岡県立大学が共同で登録を推薦。晴れて日本初の世界記憶遺産に登録されました。

事実を目の当たりにした者だけが描ける驚くほど正確で緻密な記録は、人々の心を打ち、注目を集める

もともとこれらの絵画は、自分の孫に炭坑の様子を伝えるために描かれたものでした。

名もなき一人の元坑夫が自らの体験をもとに明治・大正から昭和初期にかけてのありし日の炭坑の姿を、驚くべき正確さと緻密さで克明に描いているということで、他に類をみない炭坑記録画としての評価を受けた

長い人生における実際の体験が基になっているからこその説得力や迫力が、その絵からは伝わってきます。

暑く暗い地の底で石炭を掘る男と女の姿、道具、共同風呂やこどもたちの遊び、縁起や迷信。作兵衛が描いたのは、炭鉱で働く人たちとその家族が暮らす共同社会のすべて

実際の労働者が記録をとることは珍しく、公的記録には決して描き出せない、ありのままの炭坑を描いていた点が大きく評価されたようです。

今だに多くのファンがいるという作兵衛翁の画風には炭鉱(やま)に生きてきた者独特の世界観があり、一枚一枚の絵に或る懐かしさを感じるのは、私たち自身がそこに日本人のアイデンティティーの原型をかいま見るからかもしれない

石炭を見たことがない、という人も多いのではないでしょうか。
かつて日本には多くの炭坑があり、過酷で生命の危険すらある炭坑では多くの労働者が働いていたのです。

ギャラリー

▷ 炭鉱内は男の仕事場かと思いきや、意外と女性も多く働いていた。男女で「サキヤマ」「アトヤマ」と呼ばれるペアで仕事をしていると、自然と夫婦になることも多かった。

▷ 炭丈(スミタケ)1.5m以上あれば、立ち堀りができる。

▷ 炭丈(スミタケ)45cmくらいまでは座って掘るが、それ以下の低層炭は寝て掘らなければならず、能率が上がらない。

▷ 赤ん坊を預けるのにお金がいるので、赤ん坊を坑内まで連れて行って仕事をした夫婦も居た。

▷ ソリの上には竹製のカゴに入った重量120kgの石炭を運び出す女性の姿。

出典ameblo.jp

▷ ヤマ(炭坑)では入墨は一人前の男の表看板であったといい、入墨のない男は軽蔑された。

出典ameblo.jp

▷ 「シクリカタ」と呼ばれる坑道内の整備を行う労働者の様子。

▷ 水の溜まった古洞を掘り当て、水害になる事例も多かった。その水圧は猛烈で、盤を洗い枠を倒し、人を殺した。

▷ 日本の炭坑では度々数百人規模の犠牲者を出した爆発事故が発生している。当時は夫婦共働きでヤマに入っていた者も多く、災害孤児問題が深刻だった。

▷ 掘り出された石炭を選別する選炭婦たち。年頃の娘が多く、流行歌を歌いながら仕事をしていたという。
昼夜12時間交代、両手を使わなければ監視員から叱られた。

▷ 仕事の汚れを落とすのに男も女もなかったようで、真っ黒に汚れたまま飛び込む輩もいたらしい。

▷ 米騒動が起き、10名以上の集合を禁じられた中で開かれた盆踊り。警官の姿を見ると四散八走する浮腰踊りであった。

戦後の炭鉱を主題にした美術作品は、先進的な美術史表現からは見過ごされてきたジャンルと言ってよいでしょう

炭坑を題材にした美術作品はそう多くありません。しかし、画家としては全くの無名だった山本作兵衛が残した諸作品は、人々の等身大の生活の貴重な記録であるだけでなく、リアルな息遣いの感じられる作品として確かな美術的価値を持っています。

山本作兵衛さんが「自分の絵の信憑性について一つだけ嘘がある」と述べたのは「炭鉱の中は、こんなに明るくなかった」

暗く、過酷であっただろう炭坑で50年間働いた山本氏の作品から、忘れかけている当時の記憶──日本の発展を支えてくれた立役者たち──に想いを馳せてみるのは如何でしょうか。

みんなの声

山本作兵衛さんの「炭鉱に生きる」読了 7歳で坑道に降りて以来 明治〜昭和に渡って暗い地底で生き地獄そのものの石炭採掘に従事した作兵衛さんが絵筆をとったのは60を過ぎてから しかしこれほど生きた絵と文は見た事が無い 一生何度も読み返すだろうと思う エネルギーに関心がある方は是非

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