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幕末の英雄 坂本龍馬。実はあの戦国武将の末裔だった!

先日、直筆の手紙が一般家庭から見つかったことが話題の坂本龍馬ですが、彼は誰でも知っているあの有名戦国武将の子孫だということをご存知ですか?歴史ロマン溢れる説をまとめてみました!

更新日: 2014年11月10日

霧生幻さん

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幕末の志士。卓越した先見性と実行力を併せ持ち、薩長同盟、大政奉還など数々の偉業を成し遂げ、倒幕および明治維新に大きな影響を与えた英雄。
慶応3年(1867)11月15日、31歳の時、京都近江屋で何者かに暗殺された。
当時龍馬は、武士の中でも身分が低い下級武士だったが、実は、祖先がすごい人物だったという説がまことしやかに囁かれている!

龍馬はあの戦国武将の末裔だった!?

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国大名・織田信長の重臣の一人で、日本史の謎の一つとされる本能寺の変を起こした事が理由で「天下の謀反人」「三日天下」などとダーティな異名で呼ばれることが多い。
謎が多い人物で、出自や死後のことまで色んな異説が存在する。

坂本龍馬の生家である坂本家は、明智光秀の女婿・明智秀満(左馬之助)の庶子・太郎五郎の末裔である。

坂本龍馬の生家には「坂本城を守っていた明智左馬助の末裔(土佐まで落ち延びた)が坂本家」との伝承が伝わるという。

坂本家の伝承によれば、坂本城が落城した際、太郎五郎は壷いっぱいの黄金とともに土佐へ逃れ、長岡郡才谷村に移り住んだという。

明智光秀は、織田信長と土佐の領主・長宗我部元親のパイプ役を担っていた。そして、長宗我部氏と姻戚関係にあった。

その後、豊臣秀吉との天王山に負け、一族が土佐に流れた。その子孫が坂本家。

坂本龍馬と明智光秀には数々の共通点が!

坂本龍馬の着物は桔梗の紋であることは、坂本家の先祖が明智氏であることから来ています。

明智光秀の子孫が生き延びて、高知の才谷村で酒屋を始めました。
そこで、酒にちなんで、家紋を升に入れた形に変えたという説があります。

坂本に亀山。ただの偶然だとは思えません。

坂本家の「坂本」は明智光秀の居城のあった近江坂本に由来します。

謀反人の明智姓を名乗るのは憚られる為、光秀の居城の名前を姓とし、密かに代々伝承してきたと考えられています。

光秀は丹波攻略の拠点として「亀山城」を築城しており、龍馬が海援隊の前進として長崎で旗揚げしたのが「亀山社中」

亀山社中とは、坂本龍馬が設立した日本初の貿易商社。後に海援隊と名前を改め、現在の三菱商事の礎となりました。

「桔梗紋」に、近江「坂本」城…
なんだか、全く関係がないとは思えないですよね。

龍馬は明智の子孫であることを自覚していた?

最後は反対派に殺されてしまうところまで一緒なんです!

(龍馬は)「自分は明智光秀の末裔である」ということを生前、よく語っていたそうです。

朝廷をないがしろにする信長を討つ事に命を賭けた光秀、その死後三百年、竜馬は維新に向けて奔走する自らの姿を先祖明智光秀になぞらえていたのかも知れない。

そうでなくては、一介の土佐脱藩浪士が薩長同盟の橋渡しや 三菱商事の前身の会社を設立出来たで有ろうか?

でも実際どうなの?公式の見解は?

坂本家の資料の中には、明智家との血縁関係を示す資料が残されていないため、坂本家と明智家との関係は分りません。

しかし、言い伝えとして坂本家の中に受け継がれているようですので、資料が無いからといって、坂本家の縁者以外の人が否定できる問題でもないと考えております。

そこで当館では、「こういう説もあります」という程度でご紹介しています。

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