1. まとめトップ
  2. ニュース・ゴシップ

想像以上に壮絶すぎた、サヘル・ローズの半生

バラエティ番組などで現在も活躍中のサヘル・ローズさん。いつも明るく笑顔が印象的なタレントさんですが、これまで彼女が歩んできた半生は、想像以上に壮絶なものでした。

更新日: 2014年03月04日

00mashimashiさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
417 お気に入り 1555172 view
お気に入り追加

サヘル・ローズ(Sahel Rosa、1985年10月21日 - ( ساحل روزا ))は、イラン生まれの日本のタレント、モデル。所属事務所はエクセリング。
東海大学卒業、東京アニメーションカレッジ専門学校声優学科声優アクターズコース卒業。

(Wikipediaより引用)

サヘル・ローズは、1985年、イラクとの国境近くの町で11人兄弟の末っ子として生まれた

当初は養子に引き渡される予定でいたが、養子に出されずそのまま暮らすことになったという

土を塗り固めて乾燥させただけの家に両親と合わせて13人で暮らしていました

父は大工をしていたが、手間賃では13人家族は養い切れず、その日食べるものを兄姉で奪い合うような日々だったそうです。

戦火によって突然、全ての家族を失ったサヘル・ローズ

毎日空襲警報におびえていた1989年2月下旬の夜。イラクによる大規模な空襲が行われ、町の住民400人がほとんど死亡した

彼女が4歳のとき、当時イランイラク戦争中で、境界線でサヘルの住んでいた村を取り合っていたという。

イラン・イラク戦争は、イランとイラクが国境をめぐって行った戦争で、1980年9月22日に始まり1988年8月20日に停戦。この戦争では化学兵器なども使用され、両国の犠牲者は100万人程度と推定されている。

テヘランから遠く離れた町で大規模な空襲があったという情報が病院に入り、医師・看護師・救急隊員たちが現場へ入った

そして4日後、当時大学生でボランティアの救助活動を行っていた、フローラ・ジャスミンが、瓦礫の中からサヘルを発見した

がれきの中に小さい手が見え、人形の手だと思ったらサヘルの手だったという。

孤児となったサヘルを引き取った、ひとりの女子大生

体調が回復すると、戻る家庭のないサヘルは孤児院へ送られることになる

7歳の頃のサヘル・ローズ。孤児院ではいつも「死にたい」と口にしていたという。

しかしサヘルを救助したボランティアの女子大生、フローラが数ヵ月後、サヘルを引き取った

サヘルを見舞った際に幼いサヘルが自分を「お母さん」と呼び慕ったことから、サヘルを引き取ることを決意したのだという

ちなみにサヘルの本当の生年月日や名前は分からず、サヘル・ローズという名前は、後に付けられたという

サヘルという名は祖母が、そしてローズという名前はバラを育てるのが好きだったフローラがつけてくれたのだという。

一族からの追放~そして日本へ

非常に高い身分であったフローラの実家は、孤児であるサヘルを養育することを「家柄に傷がつく」として猛反対

サヘルとその義母、フローラさん。

結局フローラの実家からの援助はなく、2人で餓えを忍ぶ生活が始まった

その後、一族から追い出された母は、日本に来ていたフィアンセと電話で相談。サヘルと一緒に来日することになった

サヘル・ローズ
「私がいなかったら、母は普通に結婚して家庭を持っただろう。申し訳ない。一人の私が母の人生を台無しにしてしまった」

来日してすぐにホームレスとなった親子

1993年、日本に留学中の婚約者のイラン人青年を頼り、来日した。フローラ23才。サヘル8才の時だった

日本に渡って新しい生活を夢見たサヘル親子だったが、幸せな期間はわずか数週間しか続かなかった。

フローラの婚約者は、ユニットバス付きの6畳一間に住んでおり、婚約者が小学校へのサヘルさんの入学手続きをしてくれたという

しかし彼がサヘルに虐待などし始め、生活が上手くいかなくなり、フィアンセと別れることとなったフローラ

同居からわずか一週間ほどで暴力を振るい始めたフィアンセ。結局「好きな人ができたから、出て行ってくれ」と告げ、親子を追い出したという。

行く場所がない2人は、公園の土管の中で寝るようになったという

そんな日々から救ってくれた人がいた。小学校の給食調理員の女性だった

ホームレス生活を送っていたときに手をさしのべてくれた「給食のおばちゃん」。アパートの保証人になったり、夕飯の差し入れまでしてくれたという。サヘルは「いくら感謝してもしきれません」と語っている。

1 2





ワンワン!



  • 話題の動画をまとめよう