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桜の名所がなくなる?ソメイヨシノの寿命は60年、お花見にいたわりを。

戦後植えられた桜の名所で、ソメイヨシノの樹勢が衰えるなど、老木化が心配されている。ソメイヨシノは寿命が60年とよく言われるがその根拠は?じつは私達のお花見も影響していた。

更新日: 2014年03月30日

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ソメイヨシノ寿命60年説

ソメイヨシノ寿命60年説というのがあるのを皆さんご存知でしょうか。

ソメイヨシノは、片親がエドヒガン系品種ですが、このエドヒガンザクラ、実は、大変長命で、全国には樹齢千年級のものが数多く存在します。

神代桜(じんだいざくら)

神話の武将日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折に植えたと言われ、名前の由来になってるのだとか。

神代桜(じんだいざくら)は、山梨県北杜市武川町山高の実相寺境内にあるエドヒガンザクラの老木である。国指定の天然記念物であり、天然記念物としての名称は山高神代ザクラ(やまたかじんだいざくら)である[1]。樹齢は1800年とも2000年ともいわれる。

ソメイヨシノ寿命60年説に異議

旧藩士の菊池楯衛から1882年(明治15年)に寄贈されたもので、現存するソメイヨシノでは日本最古。

青森県弘前市では、樹勢回復に熱心に取り組まれた結果、多くのソメイヨシノの樹勢回復が成功しています。また同市には、日本最古の樹齢百年をこえるソメイヨシノがあります。

もし寿命60年説が正しいとしたら、弘前のソメイヨシノが120年以上生きているのは
おかしいと思いませんか?

弘前市の例から考えるとソメイヨシノは、けっして短命ではないといえる証左ではないでしょうか。

ソメイヨシノの起源は?

、最近の遺伝子解析による研究の結果、ソメイヨシノの起源はエドヒガンザクラ(母種)とオオシマザクラ(父種)の交配によって、生まれたものであるということがわかりました。

栽培の歴史は新しく、江戸(染井:現在の東京都豊島区)の植木屋が、はじめ「吉野」の名で売り出したものとされています。後に奈良の吉野山のヤマザクラと混同しやすいので、明治33年に染井吉野という名前に改められました。

ソメイヨシノはクローン植物

クローンといってしまえば、あまり良い印象がありませんが、ソメイヨシノは、クローン植物なのです。

。「えッえ~」という声が聞こえてきそうですが、ソメイヨシノという栽培品種は、自然に増えることができません。種子で増やすと親の形質を必ずしも子に伝わることがないため、ソメイヨシノというすぐれた形質を残し増やす方法は、接木もしくは挿し木などの栄養繁殖の方法をとらざるおえなく、結果クローンとなってしまうのです。

隣り合うソメイヨシノは、固体は異なっていても同一クローンであるために、双方から伸びた枝は自分自身であると認識し合い、隣からの枝を支障なく自分の樹冠の中に受け入れています。

やがて重なり合った枝は日照不足となり、徐々に枝枯れを起こし始め、これが引金となり、樹勢衰退が始まります。この時の樹齢が40年頃ではないかと推定できます。

人の手を介さない(接木などで増殖)と生存することが出来ない品種だといえます。美しい花を咲かせ、たくみに人々の心をとらえた結果、人と共存の道を選んだ桜なのでしょう。百年もほっておくとソメイヨシノはこの世からなくなってしまうのです。

サクラの名所地がなくなる?

近年“サクラの名所地がなくなる・・・”などという報道をときどき耳にします。ソメイヨシノの寿命が60年なので、第二次世界大戦の終戦後間もなく植えられたものが寿命を迎え、衰弱して枯れてしまうというのがその根拠になっています。

植えられて40年も経つと名所にもなります。多くの花見客が訪れ、サクラの根元を踏みつけるようになったり、人が歩きやすいように太枝を剪定したり、歩道整備なども行ったりします。このことがいっそう樹勢衰退を促し、腐朽菌の侵入を許すことになります。

もともと人が接ぎ木をして作って植えてきたソメイヨシノです。人が手を掛けないとソメイヨシノは弱ってしまいます。その時期は植えられて40年経ったころからで、弱り始めて何も手を掛けずにいれば衰退はいっそう進み、60年経った頃には無残な姿になってしまうでしょう。これが寿命60年といわれる所以だと想像しています。

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絵を描くことが好きなおばさん。
風の吹くまま、気の向くまま、アンテナに引っかかったことをまとめてみますよ。

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