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迷宮と呼ばれた場所、失われた「駒場寮」まとめ【東京大学】

駒場寮は東京大学駒場Iキャンパス東部にかつて存在した学生自治寮。1934年(昭和9年)竣工。取り壊しをめぐり高裁まで争いましたが、2001年8月22日、強制執行によりその歴史に幕を閉じました。学徒出陣から学生運動、そして芸術…見ていると心がざわつく!在りし日の駒場寮を追います。

更新日: 2015年01月30日

easeMeさん

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駒場寮の歴史は古い

駒場寮の歴史は一八九〇年、本郷向ヶ岡に第一高等中学校の寮が開設されたときまで遡れる。一九二三年、関東大震災により寮は崩壊。一九三四年中寮、一九三五年北寮、一九三七年に明寮が竣工した。

今回紹介する駒場寮は、大正十二年の関東大震災のあとに再建された「二代目」の駒場寮ということになります。2001年に全ての寮が取り壊され、廃寮となりました。

奇妙なのに懐かしい、駒場寮の自由すぎる雰囲気をご覧下さい!

※東京大学です。
※決して廃墟ではありません。

寮内で活動していたアート系団体のイベントの写真。何してるのか気になります…

何でしょう、このアンダーグラウンドな感じは…!

かと思えばめちゃくちゃお洒落な空間もある…!いれたてのコーヒーが50円で楽しめます。学生の味方、良心価格が駒場寮です。

この空間でおちついて会議ができるのでしょうか。前衛的。

そうかと思えば情緒ある一面もあり…

きちんと青春も行われてます。右端の机、アイセックというのは海外インターンシップの学生組織だと思われます。アイセップの場合素粒子研究施設ですが、これは本郷にあるので前者でしょう。

一片丹心は「変わる事の無い誠実な思い」照千古は「永遠に」という意味。寮を離れる事になった、とあるそうです。

日付は、学徒出陣式のおよそ二ヶ月後。

この画像からも、建築の細かい装飾がみてとれます。天井の高さにもご注目ください。

寮生のルールと設備

自治寮だったので、なんでも自分たちで相談し、ルールを作っていきました。

駒場寮の経常費が月に6500円。門限などというナンセンスなものはありません。
寮務室では朝日、毎日、日経の朝刊、夕刊を読むことができます。
一部屋は24畳で、2−6名でシェア。「畳ベッド」がなるものが支給されます。

今も残る駒場寮の公式ウェブサイトからの引用です。誤解の内容補足しますが、門限がナンセンスなのは深夜まで遊びたいからではありません。そもそも地方から来るお金のない学生の為の駒場寮なのに、門限があると時給の良い深夜のアルバイトや、早朝の新聞配達のアルバイトができなくなってしまうためです。

寮のルールや、入寮者の面接など完全に学生主体で行われ、そしてそれは廃寮までずっと受け継がれていました。

写真は昭和15年の寮会。旧一高時代ですから、みんな制服ですね。

たぶん、こんな感じのもの。今も、地方の研修施設などに見られます。東京藝術大学の古美術研究所もこの畳ベッド(しかも二段)だそうです。

その昔、駒場寮を建てるときに学部は畳をなくして全てベッドにしようとしたが、旧制一高の学生は洋風建築では畳でゴロ寝ができなくなることに猛反対。妥協案として畳ベッドが創られたのであった。

これはすごい!よくぞ残っていてくれました…!

北寮オープンスペースにはカフェがあり、開店日は毎週月、水、木、金。有志の学生が運営していました。

寮生のバイトが「ボイラーマン」として清掃や給湯を行っていました。「ボイラーマン日誌」なるものも存在したとか。

例えて言うなら、大学のなかにいきなり銭湯があるような感じでしょうか。

基本的にはダッシュが推奨されていました。

駒場寮公式サイトの配置図
階段もトイレも炊事場も印刷室もはじっこにあります。

各寮二階には受信専用電話があり、電話がかかってきた場合放送で呼び出されますので各寮二階の電話にダッシュして下さい。
(入寮案内より)

最早向こう側が見えません。トイレも遠いので、間に合わず窓から用をたすものもいた。後に「寮雨」と名付けられる。

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バカを休み休み言う。それがモットーです。デザインなど。



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