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「感動」 人間と共に戦争で戦った野性の熊

ポーランドで実際に野生の熊が「階級」をもらい兵隊として、戦争に参加した熊のヴォイテクについてまとめてみました。

更新日: 2014年08月01日

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母グマが猟師に撃たれ、人に育てられたヴォイテクもまた「戦争」の被害者なのかもしれません

母グマが猟師に撃たれ、イランのハマダーン付近でヴォイテクが現地の少年に拾われたのは1942年、生後3ヶ月の時でした。カスピ海から上陸しイギリス軍との合流地であるエジプトを目指してハマダーンの山中を移動するポーランド軍の弾薬補給隊の兵士たちは、休憩中に奇妙な形の荷物をひきずる少年に目を留め、缶詰の肉とひきかえに少年から子グマを購入したそうです。

当初の問題はコンデンスミルクを空のウォッカの瓶に入れて飲ませる事だった。彼は「ヴォイテク」と名づけられた。「ヴォイテク」はポーランドの一般的な男性名「ヴォイチェフ」の愛称形であるが、もとの「ヴォイチェフ」の原義は「戦士」「武人」であり、「戦を楽しむ者」「微笑む戦士」といった意味となる

果物やマーマレード、ハチミツ、そしてシロップを食し、時々ご褒美として、最も好んでいたビールをもらっていた。またタバコを好んで吸ったり食べたりしたという

甘えん坊のヴォイテクは兵士たちと一緒に眠ることを好み、時には夜の間に就寝中の兵士に寄り添い朝になって顔をなめて起こし、びっくりさせることもあったそうです。

レスリングも大好きで、優しいヴォイテクは人間に勝たせてあげることもあったそうです

ローマ解放のためのモンテ・カッシーノの戦いへと向かいます

彼は部隊とともにイラクに移動し、シリア、パレスチナやエジプトを経由して、南イタリアに入った。イタリアへ向かう際、輸送船で野獣を運ぶことは禁じられていたため、ヴォイテクには兵士としての階級が正式に与えられた。

重い弾薬を決して落とすことはなかった。

輸送車に弾薬や燃料、食糧などを積み込んだり積み下ろしたりを繰り返す兵士たちを見て、ヴォイテクは2本足で立ち上がると「僕にも何か運ばせて」というように前足を差し出して車両から荷を降ろす兵士に近づき、そのまま2本足で重い弾薬の箱をトラックまで運んで積み替えると、また「次は何を運べばいいんだい?」というように戻ってきたそうです。その後は毎日熱心に弾薬の積み替えを手伝うようになったとのこと。

出典ameblo.jp

弾薬を運ぶヴォイテクの姿がポーランド兵たちの紋章になる。

モンテ・カッシーノの戦いを制したヴォイテクに悲しい運命

旧ソ連の支配下に置かれ、共産主義国となってしまったポーランドには、西側についていた兵士も戻ることができないため、ヴォイテクを連れて帰ることは不可能だったそうです。

ついにクマの兵士のヴォイテクは、エディンバラ動物園へ行くことになった。

軍隊の兵士たちは、ヴォイテクとずっと一緒に居たかったので あくまでも一時預けるというかたちです。
その時の約束は、ポーランドが自由の国になったら必ずヴォイテクを迎えに行くというものでした。

エディンバラ動物園での生活

ヴォイテクは、ポーランド語を聞き分けることができ、ポーランド語で話しかけると、檻の中から手を振ってくれたそうです。また、バイオリンを持って来た元ポーランド軍の中尉が舞踊曲を演奏すると、ヴォイテクはかつてそうしていたように踊り出したのだそうです。

しかし、ポーランドはその時から40年、
ソビエトに支配されヴォイテクを迎えに行くことができませんでした。多くの兵士も同じです。故郷に帰れませんでした。

ヴォイテクは幸せだったのか?

生誕ハマダーン(イラン)
死没エディンバラ(スコットランド)
軍歴1942年 - 1947年
最終階級伍長
除隊後エディンバラ動物園

ヴォイテクは 1963年に動物園で生涯を終えます。20年ほど生きたことになります。
幸せだったのかどうかは分かりませんが、 兵士たちとは不思議な縁であるし
まるで人間のように生きたクマの一生は不思議なおとぎ話のようです。

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ヴォイテクさん

気になったことを色々まとめていこうとおもいます。

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