1. まとめトップ
  2. おでかけ・グルメ

【教会建築】キリスト文化の影響が強い長崎に残る、歴史を感じさせる教会の建物まとめ

日本は江戸時代に鎖国の時代があったが、それでも九州の長崎は海外との貿易が認められ、西洋文化との関連が深かった。それは、キリスト教の文化の名残が長崎の随所に見られる理由でもある。実際に、明治初期の洋風建築の伝来の過程の中で、長崎においては、キリスト教の与えた影響は計り知れないものがあります。

更新日: 2014年09月06日

shiro05さん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
34 お気に入り 8645 view
お気に入り追加

独自の歴史を感じさせる、長崎の教会建築。

・日本は江戸時代に鎖国の時代があったが、それでも九州の長崎は海外との貿易が認められ、西洋文化との関連が深かった。それは、キリスト教の文化の名残が長崎の随所に見られる理由でもある。実際に、明治初期の洋風建築の伝来の過程の中で、長崎においては、キリスト教の与えた影響は計り知れないものがあります。

イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルは、マラッカで一人の日本人と出会い、1549(天文18)年、鹿児島に渡って日本での布教を開始し、翌年、日本初の南蛮貿易港となった平戸を訪れました。ポルトガルは布教を条件に貿易をおこなっていたので、領主の松浦隆信が平戸での布教を認め、長崎県のキリスト教の歴史がはじまりました。

長崎県にはキリスト教徒が多いようです。

・キリスト教徒が多いのには、歴史的な理由がある。

長崎には、歴史を感じさせる教会の建物が多いことにも注目したい

・野首教会(五島列島)

1908(明治41)年、教会建築の名工、鉄川与助によって設計・施工されたものとしては初のレンガ造りの教会。 教会建築が木からレンガに変わる時期の建築

・五島列島でもキリスト教は盛ん。

この教会が創建された背景には過酷な環境の中で生き抜いたこの島の隠れキリシタンたち17世帯の歴史が刻まれています。

・大浦天主堂(長崎市)

1864年に建築されたバロック様式の洋館で、
洋風建築物としては日本で唯一の国宝に指定されている

・中高生の修学旅行の移動コースのなかに含められることもあるほど、建物の概観の美しさでも有名。

正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。

・ちなみに、近くの公園には、「日本二十六聖人殉教地」と称する銅像もある。

・浦上天主堂(長崎市)

1945年(昭和20年)の長崎原爆によって破壊されたが、1959年(昭和34年)に再建された。

1945年の原爆投下により天主堂は倒壊したが、終戦後にマリア像の頭部が浦上出身の司祭によって瓦礫の中から発見された。

・1945年の原爆投下の悲劇を現在に伝える貴重な資料ともなっている。

・黒島天主堂(佐世保市)

この天主堂は保存状態がよく、明治時代に、外国人神父の指導によって建設された、様式的にも整った本格的な教会堂建築として貴重

・保存状態の良さが注目ポイント。

・出津教会堂(長崎市)

教会堂は角力灘(五島灘)に面する風の強い当地の気象に対応して、レンガ造瓦葺き平屋建て(外壁は白漆喰を使用)の低い屋根を持つ建物となっている。

・西洋建築でありながら、日本の気候にもうまく対応する工夫もみられるらしい。

キリスト教信仰が盛んな長崎地方における明治前期に建設された希少な教会堂の一つで、長崎地方における初期教会堂の原形と深化を示すものとして価値が高い

1





shiro05さん



  • 話題の動画をまとめよう