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「君が代」には曲調が全く異なる「初代君が代」が存在する!?

現在の日本国歌「君が代」には曲調が全く異なる初代君が代が存在していることをご存知ですか?このあまり聞きなれない初代君が代についてまとめました。

更新日: 2014年09月01日

bc.pikoさん

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日本国歌「君が代」

明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになった。

この国歌のテーマは皇統の永続性であり、歌詞は10世紀に編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである

明治13年(1880)、宮内省伶人(れいじん)長の林広守が作曲。明治26年(1893)、祝日大祭日唱歌として公布され、事実上の国歌となった。平成11年(1999)8月施行の「国旗国歌法」で法制化された。

この君が代に初代君が代が存在する!?

この『君が代』 、実は2代目ということをご存知でしょうか?

初代作曲者はイギリスの軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン

では初代はどんな曲だったか?作曲したのはイギリスの軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン。

アイルランド生まれのイギリスの軍楽隊員。13歳で、少年鼓手兵としてイギリス陸軍に入った。1864年、第10連隊第1大隊軍楽隊長。1868年4月、横浜に赴任、同大隊はイギリス大使館護衛部隊となった。

当時英国領だったアイルランド出身のフェントンは、明治2年に横浜の妙香寺で英国より楽器を調達して薩摩藩士に軍楽の指導を行ない日本初の吹奏楽団である薩摩藩軍楽隊の設立に貢献した事で知られ、「日本の軍楽隊の父」又は「日本の吹奏楽の父」と呼ばれる人物だ。

どのような経緯で作曲?

ヴィクトリア女王の次男エディンバラ公アルフレッドの来日が決まったとき(1869年8月29日(明治2年7月22日)来日)、多くの日本側関係者に儀礼式典での国歌吹奏を説明したが、当時の日本に国歌の概念がなかった。

その中で、行動が早かったのは、明治2年に設立された薩摩藩軍楽隊、明治3年の雅楽局、明治6年のキリスト教会、明治12年の音楽取調掛(後の東京音楽学校、東京芸術大学)等である。

この中で「国の威信を表し列強各国に肩を並べるためには国歌が必要である」といち早く関係者に訴えたのが薩摩藩軍楽隊だったのである。当時の軍楽隊の教師はイギリス公使間護衛隊歩兵大隊の軍楽隊隊長のジョン=ウィリアム・フェントンであった。

日本国歌が無いと知ったフェントンは自ら作曲すると政府に提案

ある日、日本に国歌がないということを知ったフェントンはイギリス国歌の話をし、国歌の必要性を説き、もし歌詞があれば自分が作曲すると豪語したのである。その話は大きな反響を呼び、政府内でも話し合いがもたれ、その結果、歌詞の作成あるいは選定を薩摩藩砲隊長大山巌に依頼する事となった。

。フェントンは日本側から作曲の依頼をされ、通訳の原田宗助が歌っていた『武士(もののふ)の歌』を参考に、当時日本にあった鼓笛隊でも演奏が出来るように『君が代』を作曲した。

薩摩藩軍楽隊とは

日本における軍楽隊の歴史は,19世紀中葉から西洋の軍制の採用に伴い鼓笛隊が編成されたことに始まる。最初の近代軍楽隊は,1869年(明治2)薩摩藩が,イギリス海軍軍楽隊長フェントンJohn William Fenton(生没年不詳)の指導を受けて編成した薩摩藩軍楽隊である。

しかしながら言葉の壁のせいで歌詞とメロディーが・・・

ただ、フェントン作のメロディは日本語を知らずに作曲したため詞に合わず、今一つ評判が良くなかったらしく、あらためて作ったメロディが今の君が代です。

その「初代君が代」がこちら

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bc.pikoさん



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