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奇人?天才? 大作曲家たちのエピソード集 ※6/19更新

作曲家たちのおもしろエピソードを集めてみました。(6/19更新)

更新日: 2016年06月19日

tolightさん

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高貴なイメージを持つクラシックの作曲家たちだが…

クラシック音楽の作曲家は
学校の音楽室で我々をにらむかのように見下ろしていましたが、
彼らとて人間、泣きもすれば笑いもしたのです。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven
(1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)

代表曲
・エリーゼのために
・交響曲第6番ヘ長調「田園」
・交響曲第5番「運命」
・交響曲第9番ニ短調
・ヴァイオリンソナタ第5番 ヘ長調「春」
 など…

若い頃はエレガントな服装を好んでいたそうですが、歳をとるにつれて洋服には無頓着になったようです。
時には浮浪者と間違えられ、逮捕されたこともあるそうです。
(後にウィーン市長から謝罪あり)
弟子に「ロビンソン・クルーソーのよう」と言われることもあったとか。

浮浪者…

しばしばかんしゃくを爆発させしかも元来の一本気な性格が禍いして
多くの友人や恋人が彼のもとを離れていった。

かなり頑固者だったようです。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという。

毎朝欠かさずこれをしていたそうです。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(露: Peter Ilyich Tchaikovsky)
(1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))

代表曲
・白鳥の湖 作品20
・くるみ割り人形 作品71
・ヴァイオリン協奏曲 作品35 第一楽章
・悲愴 交響曲第6番
 など…

彼は指揮をすることがとても苦手でした。
オーケストラを目の前にすると体がすくんでしまい,がたがた震え,
そのために指揮の最中に自分の頭が首からもげてしまうのではないかという妄想に駆られ,
左手を顎の下にあてて,もげないように支える動作を実際に何度も繰り返したそうです。

実はチャイコフスキーはホモだった。
従ってそれを隠したい気持ちもわからないではないが、
よせばいいのにホモの事実を隠すためにチャイコフスキーはアントニーナという女性と結婚してしまう。

19世紀ということもあり偏見や差別は今よりひどかったそうです。

チャイコフスキーはアントニーナとの「夜の営み(夫婦だから当然である)」に耐えきれず
とうとうノイローゼになってしまい、最後には自殺未遂までやってしまう。

おいおい(笑)

ニコロ・パガニーニ(Niccolò(あるいはNicolò) Paganini,)
(1782年10月27日 - 1840年5月27日)

代表曲
・24の奇想曲 Op.1
・ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調 Op.7
・カプリース(奇想曲)
 など…

パガニーニは「鬼神」と呼ばれたほどヴァイオリンが上手すぎた。
5歳で始めたのだが、13歳でもう学ぶことはなくなったという。

すごすぎて想像もできません。

青年時代には、恋愛と賭博を好み、ナポレオン1世の妹のエリーズ・ボナパルトとポーリーヌ・ボナパルトと浮名を流した。
賭博では、演奏会の前日に商売道具のヴァイオリンをばくちに大負けしてとられたことがある。

すごすぎて想像もできません(笑)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ドイツ語: Wolfgang Amadeus Mozart)
(1756年1月27日 - 1791年12月5日)

代表曲
・フィガロの結婚(オペラ)
・魔笛(オペラ)
・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
・トルコ行進曲
・交響曲第41番 ジュピター
 など…

3歳のときから チェンバロを弾き始め、
5歳のときには 最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 K.1a)。

確認されているだけでも626曲作曲しています…。

1762年9月、各国を父と共に音楽旅行していたモーツァルトはウィーンを訪れました。
6歳の頃です。皇后マリア・テレジアの御前演奏に招かれた際、
当時7歳だったマリア・アントーニア(後のマリー・アントワネット)にプロポーズした逸話が残っています。

地位や家柄などもまだよくわかっていなかったそうな。

モーツァルトは従姉妹に排泄にまつわる駄洒落にあふれた手紙を送ったことがある。
いわゆる「ベーズレ書簡」といわれるもので、
「あなたの鼻に糞をします」、
「ウンコで君のベッドを汚してやるぞ!僕のおしりが火事になった! どういうこと! 知ってるぞ、みえるぞ、なめてやろうか、ん、何だ? - ウンコが出たがってる? そう、そうだウンコだ。俺は変態だ!」などの記述がある。

おや?

モーツァルトは現在の金額に換算すると年収約15万ユーロ(約1900万円)であり、
年収の約17%を貴族的ライフスタイルを維持するために浪費していたことがわかった。

妻とともにかなりの浪費家だったようです。

モーツァルトが貧困にあえいだ理由の一つとしてギャンブル癖も挙げられています。
腕前は全然ダメだったらしく、負けが込んで借金も増えたのでしょう。

ギャンブラー説もあるようです…。

ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)
(1813年5月22日 - 1883年2月13日)

代表曲
・ヴァルキューレの騎行(ワルキューレの騎行)
・タンホイザー(歌劇)
・結婚行進曲
 など…

1849年には、三月革命に参加したとしてワーグナーに逮捕状が発せられたが、
リストの助けがあり、スイスで10年間の亡命生活を送りました。

かなりの思想家です。

常軌を逸する浪費癖の持ち主で、若い頃から贅沢をしながら支援者から多額の借金をしながら踏み倒したり、
自らの専用列車を仕立てたり、当時の高所得者の年収5年分に当たる額を1ヶ月で使い果たしたこともあった。
リガからパリへの移住も、借金を踏み倒し夜逃げ同然の逃亡であった。

こちらも浪費家でした。

ワーグナーは以前からリストの娘でフォン・ビューローの妻であるコジマと同棲していたが、
66年には別居していた妻も死亡しており、70年にコジマと正式に結婚した。

思いっきり寝取ってます。

このとき既にワーグナーとコジマの間には3人の子供があり、
その内の1人、ジークフリートのためにワーグナーは、「ジークフリート牧歌」を作曲しています。

もうよくわかりません。

モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky)
( 1839年3月21日 - 1881年3月28日)

代表曲
・ピアノ組曲 展覧会の絵
・禿山の一夜
など…

1865年に母親が没すると、ムソルグスキーにはとりわけ苦痛に思われた。この頃から深刻なアルコール依存症の兆しが見え始める。

あら…

彼は次の大作「ホヴァンシチーナ」と、「ソロチンスクの市場」という喜歌劇の企画もしていた。しかしリムスキー=コルサコフとの共同生活が終わってからの彼は、生活が乱れ、住所も不定となり、またも強い酒に親しむようになり、友人達との行き来もしないようになってしまう。

不幸なことに見舞われ続ける彼はどんどんお酒へと逃げるようになっていました。

たびたび発作を起こすようになっていた ムソルグスキーは、1881年2月、演奏会で ひどい発作を起こし 昏睡状態に。
とりあえず意識は回復するものの、翌朝 またもや 意識朦朧のうわごと状態。
結局、意識不明の状態で 病院に収容されることになります。

ついに演奏会中に発作が…そして…

「彼の誕生日は近かった。彼は真面目に養生をしていたが、しかしながら酒の方は飲みたがっていた。
厳しく禁止されていたが、付き添いの1人が、その後に不用意な親切心から、誕生日のお祝いだからと言ってブランデーの大瓶を彼に与えたのであった。
その翌日(3月28日)に第5回目の写生に行った時、彼はもうこの世にはいなかった」

おい、友人。

フレデリック・フランソワ・ショパン(フランス語: Frédéric François Chopin 、ポーランド語: Fryderyk Franciszek Chopin)
(1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり) - 1849年10月17日)

代表曲
・ノクターン(夜想曲)第1番~第21番
・12の練習曲 作品10 第三番(別れの曲)
・仔犬のワルツ
など

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tolightさん



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