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【敬老の日】あまり知られていない、敬老の日の由来と歴史。当初は「としよりの日」と呼ばれていた…

9月の第3月曜日といえば「敬老の日」。敬老の意味は知っていても、なぜこの時期に敬老の日が制定されているのか、その由来についてはあまり知られていません。当初は「としよりの日」とも呼ばれていたこともあったという事など、あまり知られていないエピソードも含め、敬老の日の由来と歴史についてまとめました。

更新日: 2014年09月12日

shiro05さん

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なぜこの時期に「敬老の日」が定められたのだろう?

・9月の第3月曜日といえば「敬老の日」。敬老の意味は知っていても、なぜこの時期に敬老の日が制定されているのか、その由来についてはあまり知られていません。当初は「としよりの日」とも呼ばれていたこともあったという事など、あまり知られていないエピソードも含め、敬老の日の由来と歴史についてまとめました。

敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。

・その趣旨は理解できるが、なぜ9月の第3月曜なのだろう?

敬老の日の由来については、とりあえず2つの俗説があるらしいけれど…。

聖徳太子が悲田院というお年寄りや体の不自由な人を救うための施設を開いたのが9月15日と伝わっている

・現代で言えば老人ホームのような施設をつくったとされるのが、あの聖徳太子。

元正天皇が717年に「万病を癒す薬の滝」といわれていた岐阜県の養老の滝へ行幸し、「醴泉は、美泉なり。以て老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め、養老元年と為すべし」と告げて、年号を「養老」に改元した故事にちなむというものです。

・「天皇が養老の滝に御幸した日」が9月15日だったとの説。

「聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日」や「欽明天皇が養老の滝に御幸した日」である等の俗説もあるが、どちらも確かではない。

・つまり、2つの俗説の何れも確かな説ではなく、実際には別の由来があると考えるほうが自然なのだということだろう。

実際のところは、兵庫県で行われていた「としよりの日」が敬老の日の由来

兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まり

野間谷村では、1年のうちで気候がよく農閑期にもあたる
9月中旬の15日をその日と定め、敬老会が開かれました。

・その後、この運動は兵庫県全域に広まった。

これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。

・父の日や母の日とは違って、日本だけにしか存在していない「敬老の日」は、このようにして形作られた。

ただ「としより」という表現が良くないと
各地で議論が起こりました。

・言葉としての「としより」というのは、別に悪くは無い気がしますが、やはり「敬老」という言葉のほうがふさわしい、との考えもあるのでしょう。

昭和41年、
9月15日が国民の祝日として
「敬老の日」が制定された

・このとき、正式に敬老の日が祝日になった。

当初は「9月15日」が敬老の日だったが、ハッピーマンデー制度で「第三月曜日」に変更された

2002年(平成14年)までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、2001年(平成13年)の祝日法改正いわゆるハッピーマンデー制度の実施によって、2003年(平成15年)からは9月第3月曜日となった。

・2014年の場合、偶然にも当初の敬老の日だった「9月15日」が第三月曜日になっただけのことである。

敬老の日が移ることにあたっては高齢者団体からの反発が相次ぎました。
このことがあったため、老人福祉法が
9月15日は老人の日
9月15日を含む1週間は老人週間
と、改正されました。

・「敬老の日」の日付の決め方が変更されるに当たっては、当事者である高齢者の方々からの反対意見もあったことも事実のようです。反対意見に配慮した結果、「老人週間」が定められたともいわれています。

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shiro05さん



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