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教科書に載ってる『智恵子抄』で有名な"彫刻家"高村光太郎まとめ

詩集『道程』『智恵子抄』で日本人で知らない人はいないほどの有名な高村光太郎は、明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男でありながら、近代彫刻の父・オーギュスト・ロダンに感銘を受け日本独自の近代彫刻の創造を志し、結果、日本彫刻界に多大な影響を与えるに至った高村光太郎についてまとめました。

更新日: 2014年09月22日

JSCさん

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高村 光太郎について

1883年(明治16年)に彫刻家の高村光雲の3人息子の長男として、東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)で生まれる。
本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。
東京美術学校を卒業後の明治36年(1903年)、ロダンの彫刻をはじめて知る。

高村は、江戸時代の仏師の流れを引く著名な彫刻家、光雲を父に持った。だから伝統的な木彫の技は、幼い頃から家にいながらにして習得できた。

明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男として生まれた光太郎は、将来を約束された日本彫刻界のプリンスだった。

しかし、東京美術学校・彫刻科在学中に近代彫刻の父・オーギュスト・ロダンの存在を知り、日本独自の近代彫刻を創造する決意をする。フランス留学を経て帰国した光太郎は先鋭的な活動をスタート。

渡欧前の高村光太郎は、東京でイギリスの美術雑誌『ステューディオ The Studio』に掲載された《考える人》の写真に接して強い刺激を受け、これを契機にロダンへの傾斜を強めていった。

高村は、フランスでロダンの作品を直接眼にした数少ない日本人であった。

日本へのロダン紹介に大きな役割を果たし、あとに続く青年作家たちに強い影響を与えることになる。

日本を代表する彫刻家であり、画家でもあったが、今日にあって『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もある。能書家としても知られる。

高村光太郎の作品

まっすぐに天をさす人差し指、呼応するようにほかの指は内側に力強く折り込まれていく。一瞬の動きを見事に捉えたブロンズ彫刻『手』。

彼の代表作のひとつ《手》が、施無畏印を結ぶ仏像の手から着想されたことはよく知られている。

施無畏印(せむいいん)とは、 施無畏の功徳を示す印。
右手を開いて,手のひらを外に向け,肩の辺に上げる。

彼は《手》において彫刻が本来もつべき空間構造や動勢、面(プラン)などの問題を示そうとしたのだったが、その際に仏像の印相が制作の契機をなしたこと、これはきわめて日本的な現象ということができるだろう。

木彫の代表作である《鯰》は、全部で3点制作されました。本作品は最後に作られたものです。鯰特有のぬめりのある肌あいが見事に表現され、あたかもそこで泳いでいるかのようです。光太郎の並はずれた表現力が存分に感じられる逸品です。

十和田湖の湖畔に、左手を合わせて向かい合う2体の乙女像。その姿は、はちきれんばかりの生命力に満ちています。顔は智恵子をかたどりました。今日の作品は、光太郎が7年間の沈黙の末に作り上げた生涯最後の大作です。

十和田の国立公園指定15周年を記念して、モニュメントを制作することになり、光太郎に白羽の矢が立てられたのです。十和田の自然の中をじっくりと歩いた光太郎はこう尋ねました。「裸像でもいいですか?」そして、関係者の了解を得るときっぱりとこう言いました。「智恵子をつくります」。

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