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ユーモアをありがとう。偉大なる美術家のアバンギャルドな人生

前衛的な芸術活動で知られ、作家として芥川賞も受賞、「老人力」などの著作がある美術家の赤瀬川原平さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

更新日: 2014年10月28日

Soderlundhさん

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ウソでしょ…「誤報」であってほしいとファンは願っていた

26日、大分合同新聞のサイトで「赤瀬川原平の訃報が速報」として流され、すぐに記事が削除されたらしい…

@hirakawamaru 赤瀬川さんの死亡記事、誤報の可能性があるようです。ネタ元だった大分合同新聞のページは削除されています。 oita-press.co.jp/error404?item=…

赤瀬川源平の訃報、誤報だった方が絶対に赤瀬川源平っぽいので、絶対に誤報であって欲しい。

赤瀬川原平さんの訃報の件 大分合同新聞にさっき電話して確認 ウェブ担当者が不在 ネットで真偽が話題と伝えると 守衛の方が電話で確認⇒折り返し連絡 『担当者に問い合わせたが「そういった情報はあるが、明日の朝刊を見て下さい」としか言えません。確かに一瞬だけ(サイトに)流したそうです』

しかし、誤報ではなかった…

1937年生まれ。美術家・作家・随筆家。

芸術家で、作家としても芥川賞を受賞し「老人力」という流行語も生み出した赤瀬川原平さんが、26日、敗血症のため、亡くなった

77歳でした。平成23年に胃がんが見つかり、全摘手術を受けた。その後も脳出血や肺炎で入院し、最近は自宅で療養していた。

赤瀬川さんは、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を中退し、1960代から前衛芸術家として活動

81年には「父が消えた」で芥川賞。斬新な発想を悠然とつづるエッセーでも親しまれ、98年の「老人力」は物忘れ、繰り言など加齢に伴う現象を肯定的にとらえ、ベストセラーに。

▼主な受賞歴
芥川龍之介賞(1981年)野間文芸新人賞(1983年)。

また、純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームもあった

赤瀬川原平さん、美術家としての活動は伝説として知っているだけで、個人的には新書のベストセラーブームの端緒を開いた作家というイメージが強いです。「〇〇力」というタイトルを流行らせたのは赤瀬川さんですよね。

赤瀬川さんといえば、千円札を印刷した芸術作品で有名

1965年より「千円札裁判」を闘い、その名が現代美術界の外にも広まって行った。

赤瀬川さんは、1960年代、千円札を印刷した芸術作品で「通貨模造材」に問われた

裁判では関係者の作品も多数陳列され、裁判所が美術館と化し、「前衛芸術」とパロディ的作品の意味が法廷で争われ、美術史上に残る裁判になった

●どのような作品が問題になったのか
・印刷千円札に『切り取り線』をつけた作品
・印刷千円札の紙を『包み紙』とした梱包作品
・印刷千円札を板にはり、ボルトを止めた作品


※画像は、赤瀬川原平『押収品・模型千円札Ⅲ梱包作品(かばん)』1963年名古屋市美術館蔵

【なぜ罪になったのか…】
赤瀬川は芸術作品として模型千円札の「本物」と考えていたが、裁判においては、「模造」(=千円札の偽物)と判定されてしまった

1970年に有罪判決が確定、懲役三ヶ月、執行猶予一年の有罪判決を受けた。

私のコレクションを紹介、心からご冥福をお祈り申し上げます。赤瀬川原平『零円札』紙にオフセット、144×308mm、部数?1971年制作。有名な千円札裁判が最高裁で決着した後、「これならどうだ~ッ!」という感じで作られた作品と私は解釈。 pic.twitter.com/qwTUttxLtU

赤瀬川さん亡くなられたのか。東京駅前の博物館にある赤瀬川さんの作った「零円札」は息を飲む逸品でありました。赤瀬川さんが作った零円札が本物であることの「証明書」がついていて、これがホンモノの零円札で、ゼロ円の価値があるということが書かれていました。とても良かった。

「見ることの面白さ」を広めた方でもありました。

1960年、前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。制作したオブジェを街頭で破壊するなどの反芸術運動を展開

その他、1963年につくった「ハイレッド・センター」では、白衣姿で道路の敷石やマンホールのふたを徹底的に掃除するイベントを手掛けた

メンバーには、篠原有司男・荒川修作・木下新・三木富雄・岸本清子など。

赤瀬川さんのトマソンにワクワクし、ハイレッド・センターの床磨きにゾクゾクし、千円札にシビれた。そんな大学時代だった。影響受けてないわけがない。アートって、面白いなあと思えたんだ。清々しく、そう思ったんだ。

中でも「トマソン」の影響は大きかった

超芸術トマソン、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。この概念を知った人は「トマソン」を探すのに夢中になった人も多いみたい。

1972年、街を歩いていると、上がった先になにもない階段を見つける。赤瀬川は街にある用途のない物の存在が芸術ではないかと考え「超芸術トマソン」と名付けた

昨日、工房あかねで見つけた、トマソン物件? 大正時代築というギャラリースペースを外から眺めたら、窓のようなドアのようなものが。 サイズ的には、人が出入りできる。当初は外階段とかついていたのかな? pic.twitter.com/EWZnnKwavr

これもトマソン

タイはバンコクにあるトマソンだそう。(友人撮影) pic.twitter.com/RGZ08hDsAk

これもトマソン

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Soderlundhさん

日頃のためになる事や、癒されるものをまとめたいな、と思っています。



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