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外国人は忘れてない。かつて日本人が築いた固い絆

今の日本人は、昔の日本人たちが築いた絆の恩恵も受けていた。

更新日: 2016年01月23日

tea_heartさん

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トルコでも…

食料の蓄えもわずかな寒村の島民たちは非常用食料を出し、不眠不休で生存者の救護に努め、遺体捜索や引き揚げ作業にもかかわった

大勢のトルコ人が、祖国から遠く離れた海で亡くなったことに、茶人の山田寅次郎は義援金集めに立ち上がる

トルコが治療費用を請求するよういうと医師は「初めから請求するつもりはない。遭難者をただ気の毒に思い行った」との返信を出した

航空機を撃墜するとなっても、日本政府は当時、自衛隊の海外派遣不可の原則があったため救援機を飛ばせない

日本人215人はテヘラン空港に取り残され、パニックに。タイムリミットまであと1時間の時、トルコ航空機が現れ、日本人は救出された

「トルコ人はエルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけ。それで困っている日本人を助けようと飛んだ」

ポーランドでも…

多くのポーランド人がロシア革命と内戦の中、極寒の地シベリアで命を落としていた。

ポーランドは、アメリカをはじめ欧米諸国に働きかけ、ポーランド孤児たちの窮状を救ってくれるよう懇願しますが、ことごとく失敗

孤児たちは最悪の健康状態、日本赤十字の看護師たちが懸命に看護する。さらに日本全国から寄付も集まり、子供たちは回復する

ポーランドは日系企業数、伸長率でも中東欧トップ。その背景には、ポーランドの親日的な国民性があります

「私の父は94年前、日本に命を救われた。あの時、日本が父を救ってくれていなかったら、私はこの世に存在していない」

ブルネイ王国でも…

当時のブルネイの村は、ほとんどがジャングルに覆われ、道路も通っていない貧しい国。

1942年、ブルネイ県知事に就任した日本軍とは全く違う考えを持った軍人:木村強

日本軍には資源が豊富なブルネイを軍港として利用する狙いがあった。

木村は占領国である立場にもかかわらず日本の国益だけを考えず、ブルネイの発展を第一に政策を進めていった

木村は天然資源を採取する工場を造り雇用を生み出そうとしたり、インフラ整備を進めるなど当時ジャングルに覆われた国の発展に尽力

油田さえ開発すればいいとした日本軍の命令に逆らって…。

その時、木村強についていた秘書が、後の国王となる人物(現国王の父)であったこともあり、その姿勢は語り継がれた

今ではブルネイ王国が産出する天然ガスの9割が、LNGガスとして日本と韓国に輸出されている

日本で使用される約1割が、ブルネイ産の天然ガス。

東日本大震災には、現ブルネイ国王から100万ドルの義援金、民間から2400万円の義援金や 寄せ書き等のメッセージが送られた

リトアニアでも…

難民たちは、ナチスにより強制収容所へ連行されれば命はないに等しかった。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツから迫害されたユダヤ人に日本の通過ビザを発給した外交官の杉原千畝氏

当時の難民たちはビザを求めて各国の大使館を巡ったが、ほとんどの国は取り合わなかった。

日本政府からはビザを発給しないようにとの命令が。それでも難民たちを見捨てられなかった。杉原千畝のビザは彼らの命だったから

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tea_heartさん

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