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【検証用資料】「産経」新聞の「従軍慰安婦報道」

報道の歴史にキラキラと輝くスーパー大失態

更新日: 2016年03月08日

Bulldog_noh8さん

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このまとめについて

記者やデスクの質もすっかり低下。
2012年には親会社が「すき家」を相手に売却処分を試みるも失敗。
最近では"取材力のないゴシップ誌"とまで言われている我らがヒーロー・産経新聞。
もうこの先はいつ何が起こってもおかしくない状況なので、命あるうちに産経の清々しい歴史的チョンボを紙面とともに振り返りましょう。

事の発端 - 2014年・朝日新聞の誤報問題

すごく大雑把に言うと、2014年、朝日新聞の従軍慰安婦報道に誤報が見つかり「どうしてくれんだ」ということで大騒ぎに。
特に朝日新聞の元記者である植村隆氏は件の証言の取材には一切関わっていなかったものの、一連の問題のいわばアイコンに仕立て上げられ、脅迫まで届く始末。
一連の「検証報道」の先端を突っ走ったのが我らが産経新聞でありまして、当紙のエース記者である阿比留璢比(あびる・るい)氏との連名で「歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ」というなかなか勇ましいタイトルの書籍を出版されたのは記憶に新しいところです。

本来、報道機関同士が互いに検証を行いその質の向上に寄与することは、成熟した市民社会には非常に望ましいプロセスでありますが、一連の検証報道には致命的な問題点がありました。

産経新聞は朝日新聞と全く同等の、あるいは朝日新聞よりミスリーディングな記事を昔バンバン書いていながら、朝日新聞が大炎上をしていた2014年の夏から冬の間、そのことについて一切の沈黙を貫いていたのです。そう、1年後に社の総力を挙げてバッシングした相手からそのことを指摘されるまで...。

平成3年(1991年)12月7日土曜日 産経新聞

紙面中央に「日本政府は謝罪を」という記事。

※マークアップの通り、これは朝日新聞ではなく産経新聞です。

以下に全文書き起し。

日本政府は謝罪を

従軍慰安婦で提訴の金さん 若人に歴史知ってほしい

太平洋戦争中、旧日本軍の従軍慰安婦として精神的、肉体的苦痛を強いられたとして国に対して補償を求める訴えを東京地裁に提訴した金学順さん(六七)が六日、大阪市浪速区の「リバティおおさか」(大阪人権歴史資料館)で記者会見し「日本の若い人たちに過去の侵略の歴史を知ってもらいたい。日本政府は従軍慰安婦の存在を認め、謝罪してほしい」と強く訴えた。
金さんは十七歳の時、日本軍に強制連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた。「軍人が来ない日はなかった。五人の女性がいたが一日に数十人もの軍人の相手をさせられた」と涙ぐみながら当時の生活を語った。
今年八月、金さんは朝鮮・韓国の従軍慰安婦としては初めて自ら名乗り出た。儒教思想の強い韓国では「外を歩くのさえ恥ずかしい」思いをしたという。
金さんはきょう七日午後二時からリバティおおさかで行われる第二回文化フォーラム「朝鮮人従軍慰安婦問題と日本の戦後責任」で自らの体験を証言する。問い合わせはリバティおおさか(☎06-561-5891)へ。

金さんは十七歳の時、日本軍に強制連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた。

出典1991年12月7日「日本政府は謝罪を」産経新聞

そして、この記事の内容について件の植村氏(元・朝日新聞)と阿比留氏(産経新聞)の対話がこちら。

植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?(平成3年12月7日付の産経新聞大阪本社版記事を示す)」
阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」
植村「間違っている?」
阿比留「はい」
植村「間違っている?」
阿比留「間違っていると思いますね」
植村「どこが間違っているんですか?」
阿比留「『日本軍に強制的に連行され』」という(部分)」
植村「これは産経新聞の記事ですね?」
阿比留「だから、うちが間違っているんですね」
植村「訂正かなんかやられたんですか」
阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」

「訂正したかどうかはちょっとわかりません」
(゚Д゚;)

平成5年(1993年)8月31日火曜日 産経新聞

紙面右上に「人生問い実名裁判」という記事。

※繰り返しますが、これは朝日新聞ではなく産経新聞です。

以下に全文書き起し。

人権考

屈辱 人生問い実名裁判

今月十三日夜。韓国・ソウル市の東大門(トンデモン)に国際電話をかけた。
相手は朝鮮人の元従軍慰安婦、金学順(キム・ハクスン)さん(六九)。二年前、旧軍人らの同胞と総額七億円の補償を日本政府に求め、東京地裁に提訴した原告のひとりだ。
従軍慰安婦問題で日本政府は今月四日、強制連行の事実を正式に認め謝罪した。そのことを聞いた時だ。金さんの声が、突然うわずったように激高した。
「日本政府は最初から、はっきり言えばよかった。言葉だけの謝罪には、満足できない」
戦後四十八年。女性として味わった金さんの耐え難い屈辱は、消えていない。
太平洋戦争が始まった一九四一年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と養姉の三人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。十七歳の時だ。
食堂で食事をしようとした三人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。
「お前たちは朝鮮人か、スパイだろう」
そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた。
着いたのは、鉄壁鎮(チョルピョクチン)という村だった。住人は逃げ出し、空き家だけが残っていた。
「真っ暗な部屋に連れていかれ、何をされたか。とても自分の口では言えない」と金さんはいう。
慰安所生活は、約四ヶ月間。日に何十人もの軍人の相手をさせられ、抵抗すると暴行を受けた。
ある夜、金さんはしのびこんできた朝鮮人男性に助けを求め、やっと慰安所を抜け出した。
二人は夫婦となり、中国各地を転々。終戦を迎え、韓国・仁川(インチョン)に戻った。二人の子供はコレラなどで死亡、夫も家屋の倒壊事故で亡くなった。
「このまま死ねば、過去の事実が埋もれてしまう」
そんな思いから、金さんは実名での裁判を決意した。
毎月、韓国政府から四万ウォンの生活保護と米の支給を受けている。独り暮らしはもう、四十年になる。
「慰安婦にさせられた私がここにいる。なぜ、私の人生がこうなったか。それを問いただしたい」
細川護煕首相は二十三日の所信表明演説で、歴代首相として初めて「植民地支配」「侵略行為」という表現でアジア諸国に対する反省の気持ちを述べた。が、日本の「対応」は謝罪だけで終わるのだろうか。
●従軍慰安婦●
戦時中、強制連行などで兵士の性欲処理のために従事させられた女性。当時の正確な総数を示す資料はなく、終戦時では約8万人以上とされている。朝鮮からの女性が中心で、中国やフィリピンなど東南アジアからの女性も数多く含まれていた。金学順さんの提訴後、元従軍慰安婦の名乗り出が相次ぎ、今年4月には在日韓国人として初めて、宗神道(ソン・シンド)さんが国に公式謝罪を求める訴えを東京地裁に起こしている。

食堂で食事をしようとした三人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。

出典1993年8月31日「屈辱 人生問い実名裁判」産経新聞

この記事についてのやり取りはこちら。
(原川・・・産経新聞外信部の原川貴郎記者)

植村「これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」
阿比留「間違いですね」
植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」
原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べられるか。これはちょっと日付をメモさせてもらって」

「初めて見ました」
(゚Д゚;)(゚Д゚;)

平成3年(1991年)9月3日火曜日 産経新聞

紙面右中央に「朝鮮人慰安婦問題を考える」という記事。

※くどいようですがこれは朝日新聞ではなく産経新聞です。

以下に全文書き起し。

朝鮮人慰安婦問題を考える

大阪市立労働会館で集い 女性問題の観点からも

第二次世界大戦中「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集いが、このほど大阪市中央区の市立労働会館で開かれ、韓国から来日した韓国挺身隊問題対策協議会共同代表・尹貞玉(ユン・ジョンオク)さん=写真=が話した。
この集いを主催したのは、関西に住む三十代の在日韓国・朝鮮人女性八人で作る「朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会」(朴美津子代表)。日本の戦争責任を明らかにすると共に、性の問題ゆえに従軍慰安婦の存在が韓国・朝鮮においてもタブー視されてきたことを重視。女性問題の観点からもこの問題に取り組んでいる。
講師の尹さん(六五)は、元・韓国梨花女子大学教授。挺身隊への連行を免れた同世代人の責任として、アジア各地に残る従軍慰安婦の足跡を長く調査。同問題研究の草分けとして知られる。
尹さんの調査によると、一九三〇年代後半から第二次世界大戦終了までに連行された朝鮮人女性の数は、推定十万〜二十万人。年齢は十四〜三十歳代で、うち約八万人が従軍慰安婦として虐待を受けたという。
「日本軍による、人間性を無視した屈辱の日々の中で、多くの女性が精神錯乱をおこし、病に倒れて非業の死を遂げました。また、生き残った人を待っていたのも地獄でした。日本帝国主義の被害者とはいえ、貞操を尊ぶ韓国・朝鮮社会が、従軍慰安婦という過去を持つ女を受け入れないことは明らかだったからです」
戦後四十六年たったいまも、自ら慰安婦であったと名乗り出た人は、わずかに四人。その一人で沖縄に住む元慰安婦だった女性は、尹さんの訪問に人間不信をあらわにし、またタイに住む女性も出身を隠すため、中国名しか明かさなかったという。
「彼女たちは二重、三重の十字架を背負わされた犠牲者です。しかし、その原因をつくった日本政府はこの事実を認めることも、公式に謝罪することもしていません。政府がそうした態度をとり続ける限り、日本人も過去から解放されることはないでしょう。アジアの平和な未来のためにも、韓国・朝鮮人と日本人は協力してこの問題を解決しなければなりません」
講演終了後、参加者全員で「朝鮮人従軍慰安婦問題を闇に葬ってはならない」というアピールを採択した。

第二次世界大戦中「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たち

出典1991年9月3日「朝鮮人慰安婦問題を考える」産経新聞

この辺ちょっと混み入ってるのですが、早い話、「挺身隊」と「慰安婦」は別だ、というのが産経新聞による植村さんバッシングの主要なロジックだったんですねぇ...。

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Akira Kanda. 写真を撮りに行くのが趣味です。署名の件ではみなさんお世話になりました!



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