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『真田丸』前半の山場!「第一次上田合戦」とは

『真田丸』前半の山場にして、最大の見せ場となる第13回「決戦」がいよいよ4月3日放送。少数の真田方が、多勢の徳川方を撃退した史実の「第一次上田合戦」を描く回となるが、三谷幸喜脚本らしい、翻弄シーンが満載なようだ。気になるのは予告編のうめ(黒木華)死亡?フラグ。どうなるか注目。

更新日: 2016年09月28日

aku1215さん

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■前半の山場にして転換点となる「第一次上田合戦」

4月3日に放送される13話で、物語は主人公・信繁の青年期のヤマ場、『第1次上田合戦』のシーンを迎える。

堺雅人「13話まではどこの話をとっても、短編として見ることができる、面白い物語が13本並んでいる感じです。14話からはまったく別クールのドラマみたい、というのが僕の印象です。」

■「第一次上田合戦」概略

家康が昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めるが、昌幸は拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏と通じた。家康は昌幸の造反を知ると八月に真田討伐を起こし、約7千の兵を上田城に派遣。

天正13年(1585)閏(うるう)8月に 起きた第一次上田合戦。真田氏と徳川氏によるこの戦いは、主戦場が千曲川支流の 神川(かんがわ)一帯であったため、神川合戦とも呼ばれています。

真田方の地の利を活かした戦法により、徳川軍は1300人もの戦死者を出したと言われる。一方、真田軍は40人ほどの犠牲ですんだ。

■元々、上田城は昌幸が徳川方らにつくらせた

北条と徳川との突然の和睦に、真田家はとまどっていた。信繁(堺雅人)と信幸(大泉洋)は 浜松城に乗り込み家康(内野聖陽)とじか談判。真田のために新たに城を造るよう要求する。

家康は昌幸の築城希望を認め、「近辺の城主へ望みの通り、人夫など助成申すように」(『真武内伝』)と徳川が後押しすることの確約を与えました。築城は徳川家全体の事業として始まったと思われます。

徳川の力を大いに利用して築城した挙句、その後、この城で二度も徳川軍を撃退することを思えば、昌幸のしたたかさが改めて感じられるでしょう。

■2千の兵で7千の兵を打ち破るための策略

徳川の精兵7000の侵攻に、上田城に拠る真田は2000。しかし、上田城と城下には、恐るべき仕掛けが幾重にも施されていた。

越後の上杉景勝に次男の信繁(幸村)を人質として差し出し、盟約を結んで加勢を依頼するとともに、家康を膝下に組み伏せての覇権奪取を目論む羽柴秀吉とも誼みを通じるべく書状を送る算段を整えた。

逃げては返し、返しては逃げてという繰り引きで城近くまで後退したあと、こらえかねた体で横曲輪へ引き入った。昌幸が常田と高槻に命じていた巧みな誘引策であり、前衛部隊は囮部隊だった。

徳川方は、二の丸まで進むがここで反撃を受け撃退される。更に後退の際に城方の追撃を受け、戸石城の信幸も横合いから攻めるに及びついに壊乱し、追撃戦には矢沢勢も加わり神川で多数の将兵が溺死。

■信繁は参加していないという通説に異論

幸村は同合戦の際は越後(現在の新潟県)の上杉氏のもとに人質として留まっていた、という学界の通説。

『真田丸』

ドラマでは信繁(幸村)が上杉の人質、許されて上田合戦に参加するという設定。

戦国武将真田幸村(信繁)が、真田勢が上田城で徳川勢を撃退した一五八五(天正十三)年の第一次上田合戦に参加していた、とする学説が、歴史学の専門誌に相次いで掲載。

歴史学者(中近世史)、平山優さんは「傾聴に値する。須田の書状とは別の史料からは、上杉方から戻った幸村に代わり昌幸の妻が人質に赴いたふしもある。通説は見直すべきだ」と評価した。

■ドラマでも徳川方を翻弄するようだ

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aku1215さん

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