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新しい音楽が生まれた瞬間。人気音楽ジャンル “最初の1曲”

どんな音楽ジャンルにも、パイオニアがいるんです。後進がこぞって真似をした、人気ジャンルの「最初の1曲」を紹介。とはいえ、ほとんどの音楽はそれまでの音楽から何らかの影響を受け、次第にジャンルが確立していったものなのでここでは「最初の1曲」又は「最初の一人」が明確に分かっているもののみ取り上げています。

更新日: 2016年05月07日

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1958年、世界初のボサノヴァ

世界初のボサノヴァ、ジョアン・ジルベルトの「シェガ・ジ・サウダージ(邦題:想いあふれて)」

ボサノバは、ブラジルで、現地の音楽とジャズなどの西洋音楽が混ざり合って生まれた音楽。

日本でも街中などで聴く機会の多い音楽ジャンルです。

1958年、後に世界的にヒットする「イパネマの娘」の作曲者でお馴染みのアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した「Chega de Saudade(想いあふれて)」っていう曲が発売されたんですけど、これが最初のボサノヴァって言われています。

作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンが曲を書き、ギタリスト/ヴォーカリストのジョアン・ジルベルトが演奏した「Chega de Saudade」がボサノヴァの第1号です。

ジョアンのChega de Saudadeからブラジル音楽は明確に変化したと言われています。本当にジョアン以前と以後は聴き比べると面白いくらい違います。

Bossa Novaとは「新しい潮流」を意味し、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲によるこの曲の登場は当地ブラジルのみならず、世界に大きな影響を与えました。

ところが、ボサ・ノヴァを生んだと言われる男、ジョアン・ジルベルト自身は「ボサ・ノヴァ」を歌っているとは、少しも思っていなかったといいます。彼は自分が歌っているのはサンバだと常々言っていました。

ジョアン・ジルベルトが生み出したと言われる独特なギター奏法「バチーダ」は、サンバのリズムをギター1本で表現したもの。歌ってる本人はボサノヴァではなく、サンバそのものを演奏していたつもりだったのです。

1964年、世界初のファンク

世界初のファンク・ミュージック、ジェイムズ・ブラウンの「アウト・オブ・サイト」。

ゴッドファーザー・オブ・ソウル、そしてキング・オブ・ファンクこと、ジェームス・ブラウン(JB)。数あるブラック・ミュージックのアーティストのなかでも、JBの存在は別格だ。

ファンクといえばジェームス・ブラウン。ファンクとは何か、と問われれば、究極のところ「ジェームス・ブラウンのやっていた音楽」と答えるほかないのです。

1962年『Live at the Apollo』のライブ・アルバムが成功した後に、最初のファンク・ナンバーとされている1964年『Out of Sight』を発表しています。

ジェイムズ・ブラウンは、ブラック・ミュージック・ヒストリーにおける最大の偉人の一人である。リズム&ブルースからソウルへ移行する時代の原動力となり、その後はファンクというジャンルまで築き上げた男なのだから。

1968年、世界初のダブ

世界初のダブ・ミュージック…を定義することは難しいので、ダブの創始者キング・タビー(King Tubby)による“ダブの原典”をどうぞ。

ダブは(レゲエ)楽曲のリズムを強調してミキシングし、エコーやリバーブなどのエフェクトを過剰に施すことで、原曲とは全く別の作品に作り変えてしまうことである。リミックスの元祖とも言われる。

ダブとは特にレゲエの楽曲に過剰なリバーブやエコー処理を施し、独特の音空間を作るリミックスの手法であり、音楽の1ジャンルでもあります。

1968年頃、ジャマイカの音楽エンジニアキング・タビーがサウンド・システム用のボーカル抜きのトラック(ヴァージョン)を製作する過程で偶然発明したとされる。

実際にダブのアルバムが世の中に出たのは1973年頃。
この時期に、キング・タビーをはじめとする多くのミュージシャンが一斉にダブの作品を発表しました。

二十世紀の音楽を変えた人間の一人としてなら、キング・タビーの名前は決して忘れることができない。なにしろ、1980年代以降のダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックのほとんどすべては、キング・タビーの影響下にあると言ってもいいのだから。

リミックスにおけるダブの手法はその後の音楽に大きな影響を与え、今もなお多くの楽曲の「ダブ・バージョン」が制作され続けています。

1970年、世界初のヘヴィメタル

世界初のヘヴィ・メタル、ブラック・サバスのアルバム『Black Sabbath』より「The Wizard」。

歴史や人権、忍耐や哲学、宗教やセックスに至るまで、学校では教わらない知識の宝庫であるヘヴィ・メタル。

ヘヴィメタルは、1969 年にイギリスのバーミンガムで結成された Black Sabbath(ブラック・サバス)が始祖だと言われている。

ブラック・サバスは、当初バンド名を「アース」と名乗っていましたが、1963年に公開されたホラー映画『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』から名前を拝借し、1969年に改名。翌1970年にヘヴィメタルの記念碑となるアルバム『Black Sabbath』をリリースします。

アルバムはイギリスのチャートで8位を記録、アメリカでは1970年にワーナー・ブラザーズ・レコードからリリースされ、ビルボードで23位を記録し、1年間もチャートに残っては100万枚のセールスを記録した。

こういった商業的成功にもかかわらず、この衝撃的な音楽に評論家は着いていくことが出来なかったのか、「他の音楽の境界線を越えて加速するスピード狂の様にリールするギターとベースの不協和音のジャムで、同一性がまったく見当たらない」(ローリング・ストーン誌)、「プラスチックの音盤史上最悪」(ヴィレッジ・ヴォイス誌)など酷評されました。

ジャズやブルースを基調とし、「人を怖がらせる音楽を作る」というコンセプトで作られた音楽性は、後のヘヴィメタルに多大な影響を与えた。その怪奇的なイメージで度々黒魔術や悪魔と結び付けられ、ギタリストのトニー・アイオミがアメリカ・ツアーの最中、狂信者に楽屋で刃物を突きつけられたという危険なエピソードもある。

“メタルの帝王”ことオジー・オズボーンを中心としたブラック・サバスは、後のロック/メタルバンドに大きな影響を与えています。

1979年、世界初のヒップホップ

世界初のHip Hop、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」。

ヒップホップとは、主にラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティの四代要素と呼ばれている。ところがこれらには血なまぐさい歴史が多く、主にストリートギャング文化で関係が強く、ギャング間での抗争を無血で終わらせるために、ブレイクダンスやラップでお互いの優劣を決めたり、縄張りの主張や情報の交換を目的としたことで、グラフィティを用いたりとされていた。

ヒップホップは本来、音楽やダンスだけではなく、アメリカ合衆国NYのアフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民のブロック・パーティから生まれた文化を指します。

1979年、シュガーヒル・ギャングの曲「ラッパーズ・ディライト」がリリースされ、世間に初めてヒップホップの存在を知らしめた。

ヒップホップの音楽はシュガーヒル・ギャングの前出の曲が始祖と言われています。

この曲は14分を超える大作ですが、これでも当時は短いと思われていました。
それどころかラップをレコードしようなんて誰も思わなかったのです。

そもそもMCとはMaster of Ceremoniesの略で、ブロック・パーティーにおける司会進行役のことでした。
この曲が登場する以前もパーティーにおいてMCがリズムの上でラップを披露することは多々ありましたが、それを楽曲としてリリースすることは考えられなかったのです。

1984年、世界初のハウス

世界初のハウス、ジェシー・サンダースの「On and On」。

ハウス・ミュージック(House music)は、アメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの一つ。シカゴのゲイ・ディスコ「ウェアハウス」が名称由来とされ、その特徴から、アメリカでは、性差別をテーマにする音楽である認識が強い。

現在では当初のテーマ性は薄れ、ダンスミュージックの1ジャンルとして世界的に普及しています。

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