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島田洋七とビートたけしの知られざる友情エピソード

今につながる1980年代の漫才ブーム。多くの芸人を輩出したが、中でも突出していたのがB&Bの島田洋七。その洋七に、天才漫才師・横山やすしが紹介したのがビートたけし。以来、二人は銀座で豪遊したり、共に暮らしたり。フライデー襲撃事件や『佐賀のがばいばあちゃん』など、二人の友情エピソードをまとめ。

更新日: 2016年09月18日

aku1215さん

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■今も影響を与え続ける1980年代「漫才ブーム」

1980年、『THE MANZAI』の初回が放送された。出演する漫才師をはじめ、会場のセット、観客、演出にいたるまで、流行を意識した番組作りが当時の若者のハートをキャッチ。ほどなく“MANZAIブーム”となり、ツービート、B&Bらが一気にスターダムへと躍り出た。

『THE MANZAI』

やすしきよし(横山やすし&西川きよし)

翌年には、伝説的番組『オレたちひょうきん族』スタート。裏番組『全員集合』に対抗し、ビートたけし、明石家さんまがぶつかりあう“アドリブによる笑い”を仕掛け、壮絶な戦いを繰り広げていった。

『オレたちひょうきん族』

番組が終了して26年たった今なお、たけし、さんまは笑いの神様だ。そして、“ひょうきん族”を観て育ち、芸人になりたいと思った者たちが今その夢を叶えて、バラエティー番組の柱となっている。

MANZAIブームの落とし子の一つとして生まれたのが「笑ってる場合ですよ!」(1980〜1982)である。「笑っていいとも」の露払いをしてお昼の時間帯のバラエティ視聴という土地を耕した番組である。

『笑ってる場合ですよ!』

現在日本の芸能界におけるお笑い部門の頂点に立つ吉本興業のトップが大﨑洋氏。漫才ブームをしかけ、ダウンタウンを輩出した吉本興業の養成所「NSC」の立ち上げに大きく関わった。

■その中でも突出していたのが、B&Bの島田洋七

洋七は、75年に3人目の相方・島田洋八と組んだ“三代目”B&Bでブレイク。漫才ブームを牽引した当時、19本ものレギュラー番組を持っていた。

B&B(島田洋七&島田洋八)

島田洋七はテンポの速さが身上である。もちろんタダ早いだけでなく、タイミングが良い、ネタ自体はたいしたことがなくてもリズムで爆笑を取る。

島田紳助・松本竜介

紳助は、第一次漫才ブームで一世を風靡した「B&B」洋七のしゃべくりの絶妙さに感激し、洋七の弟弟子として、お笑いの世界に入ったという。

■横山やすしからたけしを紹介された洋七

洋七は、"漫才ブーム"の前に故・横山やすしさんからたけしを紹介されて、彼と付き合うようになった。

横山やすし師匠がね、「東京にオモロイ芸人がおるから、(島田)洋七、会わせたるわ」って。「たけしっちゅうヤツや」って。若手の頃のたけしさんが、「はじめまして」って。「ツービートで漫才やってます」「B&Bです」って。

やすし師匠が、2人を置いて帰ってんって。「売れたら、何が欲しい?」って話になって。洋七師匠は、「俺は、カネ欲しいなぁ…たけし、お前は何が欲しいねん?」「おいら、芸が欲しいや」って。

■銀座に二人で2000万円持って豪遊 女性関係も互いに熟知

ブームで売れて、大金が入った洋七とたけしは、お互い2,000万円を抱えて、初めて銀座の高級クラブに遊びにいった。

ビートたけしさんがすっごい稼いでる時に。売れない時に銀座で豪遊するのが夢だったから、100万使おうが300万使おうが何とも思わないのに、酔っ払った勢いで、洋七師匠と一緒に寄ったコンビニで、ホウレンソウのおひたしが300円したのに激怒っていう(笑)

島田洋七とビートたけし

たかじんさんと30年来の親交があった島田洋七。「銀座のクラブを5軒ハシゴして飲んだことがある。たかじんが来たのが土曜日だったから、銀座のクラブはほとんど休日。たけしは休みのホステスたちをかき集めて、たかじんとカラオケを楽しんだ。」

ふたりは、およそ7年同居していたため、女性関係も熟知。歴代の愛人をすべて言え、嫁&マスコミ対策も講じあった。

■たけしが逮捕された時も見放さなかった洋七

たけしの"フライデー事件"の裁判中に、たけしがマスコミの目を避けるために沖縄の石垣島に逃避行した際、洋七が頻繁に訪ねて、砂浜で延々と語り合い、潮が満ちて、膝が水に浸かるのに気づかないほどだったという。

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aku1215さん

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