ピンク・レディーは、1970年代前半の国民的アイドルだった天地真理や1970年代半ば~後半にかけ人気を博した山口百恵らを超え、さらに時代を象徴するスーパーアイドルになったと言える。1978年のブロマイドの年間売上成績でも人気No.1に輝いた。 また「サウスポー」や「透明人間」などのように、男女の恋愛を直接のテーマとしていない曲も、当時の歌謡曲には見られない特徴的なものだった。

3年ほど早くデビュー(1973年9月)していた、アイドルトリオのキャンディーズと比較されることが多かったが、当時のレコード売り上げ枚数はピンク・レディーの方が圧倒的に上回っていた。人気は爆発的に高まり、オリコンで連続9曲1位・10曲連続ミリオンセラー(出荷ベース)は、当時の新記録。 オリコンシングルチャートにおける通算首位獲得数(63週)は、2011年現在でも破られていない。また女性グループアーティストによる通算9曲首位も、2006年11月20日付にモーニング娘。が「歩いてる」で記録更新するまで最高記録であった。

ピンク・レディーの人気は、1977年〜1978年の約2年間が絶頂期だったと言える。デビュー・シングル「ペッパー警部」のスマッシュ・ヒットのあと、「S・O・S」でピンクレディー人気に火がついた。その後「カルメン'77」のヒットに続き、「渚のシンドバッド」で頂点を迎えた。さらに「ウォンテッド (指名手配)」も大ヒットとなり、続く「UFO」でポップ・アイドルとして初めて日本レコード大賞を受賞する。これは日本歌謡界における“革命”であった。そして「サウスポー」「モンスター」の2曲も大ヒット、オリコンでミリオンセラーを記録した。

人気ロックグループ・サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は、沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」のふたつの曲のもじりである(それ以前に『8時だヨ!全員集合』で志村けんが「勝手にシンドバッド」というギャグを披露している)。両曲とも1977年の大ヒット曲であり、この時期のピンク・レディー人気がいかに巨大な存在だったかを物語っている。「渚のシンドバッド」は歌詞に「セクシー」という言葉が登場するが、これは日本のメジャーな歌謡史上で初めて使用された例だとされている。それでいて歌全体に淫靡なムードが漂わない辺りが、ピンク・レディーという存在の独特な個性だったと言える。

さらに、作詞の阿久の作風を反映して、若者の性の奔放さを題材にした「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」、UFOブームを反映した「UFO」、王貞治の本塁打数の世界新記録ブームに乗じた「サウスポー」など、時代の流行が伺える楽曲が多い。また歌の内容に合わせた衣装も特徴的で、「UFO」の宇宙的コスチュームや「サウスポー」のピンクのユニフォームを着ていたり、「透明人間」「カメレオン・アーミー」 に至っては、テレビ番組で二人の姿が消えたり衣装の色が変わったりするなどの演出が施された。

これらの現象は、ピンクレディーの作詞家・阿久悠の影響によるところが大きい。かつて阿久は山本リンダの事務所から山本リンダのプロデュースと作詞を頼まれ、山本リンダを“革命的アイドル”としてブレイクさせた。これと同じことが、ピンクレディーでも行われたのである。ピンクレディーが“UFOブーム”や“王貞治ホームラン世界記録ブーム”を採り入れたことも、阿久の『作詞とは“時代”である』とのポリシーからであった。またこの間、「サウスポー」までは成人男性を中心とする“アダルト人気”がピンクレディーを支えたが、「サウスポー」のあと事務所が営業戦略を“子供向け路線”に転換したことが大きな転機となる。結果的には事務所が、ピンクレディーの“振り付けブーム”に影響されたとも言える。

当時女児の間ではピンク・レディーの振り付けの真似が大流行し、踊れるのが当たり前と言われた。『探偵!ナイトスクープ』2001年2月9日放送分の「30代の女性は皆ピンク・レディーの振り付けを踊れる?」の調査でも、街頭インタビューを行った一般の女性達が次々と完璧に「UFO」「サウスポー」などを踊りこなし、当時の人気振りを偲ばせた。当時フィーバーやアパッチ、キャッツ★アイなど、ピンク・レディー人気にあやかろうと亜流といえる歌謡グループが複数登場したのも人気を物語るエピソードである。

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実はアメリカで成功していたピンクレディー

ピンク・レディー(Pink Lady)は、1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミー(現:未唯mie、本名:根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身)とケイ(現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身)の2人組。

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