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FabLab ( ファブラボ ) を知るための記事まとめ

新しいものづくりとしてメディアで名前がしばしば登場するFabLab (ファブラボ) 。 メディア掲載記事をもとにその思想やものづくりの未来を見る。

更新日: 2014年01月01日

kurさん

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近年メディアでも登場する「FabLab (ファブラボ)」。「ものづくり」の概念を超えて、つくることから生まれる新しい社会や暮らしのあり方を変える基盤づくりを目指す同ムーブメントを各記事から見てみましょう。

各地の工房の情報は下記のページにまとめられています。
http://matome.naver.jp/odai/2133353799017296701

ファブラボってなに?

そもそもファブラボとはなんでしょう?過去に放映されたテレビ番組の10分程度のレポートをみるところから始めてみましょう。

はじまりはMITの授業『ほぼなんでもつくる方法』から

ものづくりは一部の職人や企業でしかできないことなのだろうか?
テクノロジーの進歩により、実はすでに個人が身の回りのものをほぼ作ることができる土台はでき始めている。その実践を行ったのがアメリカのマサチューセッツ工科大学の授業。
予想外の大反響から、学内の授業にとどまらず、アメリカそして世界中に『自分で作りたいものを自分でつくる』というムーブメントが起き始めました。

パーソナルファブリケーション: アマチュアがイノベーションを起こす

『自分の手で自分のほしいものをつくる』という『パーソナルファブリケーション』という考え方はファブラボの発展とともに広がってきました。

出典 Vimeo

3Dプリンターなど新しい工作機械が普及することで僕たちの生活にどんな影響があるのか?を 描いた かわいいムービー

世の中には不思議な周期があるもので、15年に1度、技術と社会が出会うときが来るんです。技術が専門家のみの間でもてはやされていた状態から、市民のために解放されて世の中に浸透していくという「転換」がおこる。
僕が生まれてから、第一の波は1980年のパーソナルコンピューター、第2の波は1995年のインターネットでした。そして2010年代には普通の人があらゆるプロダクトを作れるようになると感じています。それを僕たちは『パーソナルファブリケーション』と呼んでいます。

ファブラボのデジタル・ファブリケーション技術は、「手」や「職人」を特権化してきた、封建的で保守的なものづくりの過程を再定義する。「誰でもできる」ようにすることは、日常のラディカリズムである。

誰もが技術にアクセスでき、誰もが「ものづくり」に参加できる工作社会が到来するのであれば、プロフェッショナルと呼ばれるクリエイターの役割も変化せざるを得ない。情報社会から工作社会へと進むからこそ、消費者と生産者の距離が縮まり、見えてくる事柄もある。「ものづくり」の裾野が広がることで、伝統や職人の高度な技術へのまなざしや、より深い部分での理解を共有することができるのではないだろうか。

「アマチュア」という言葉の意味が変わってくるんじゃないかと思うんです。「素人」という意味ではなくて、「自由にいろいろな可能性を開拓する人々」と再定義されるんじゃないかと。
(中略)
ものづくりが見直されることで、今までは埋もれていたような才能が、もっと世に出てくるといいですよね。例えば、私の母は昔からずっと鳥の編みぐるみを作っていて、もちろんプロではないのですが、素人の技としては卓越したりします。「おかんアート」っていうらしいです。そういった人々やスキルが世界中であちこちで「見える」「つながる」場所としてFabLabやFabCafeが機能してほしいですね。

DIYでものをつくることは、身の回りの生活環境を自分の手で創造し、日々それを改良していきながら、ものをつくること自体を生活に取り入れていく過程である。非工業文化に根差した日常の生活において、失敗することや、完全でないこと、完成させないことは、忌み嫌うべきものどころか、むしろ美徳である。
その過程の中からこそ、日常生活の中で、貴重な資源を用いてまで、ものをつくることの必然性が生まれ、さらにそのプロセスをさまざまな人とシェアすることで、その意味が強化される。社会や他者は常に自己の鏡であり、それゆえコミュニティはアイデンティティの概念と同義になる。

パーソナルファブリケーション: 大量生産からデザインの地産地消へ

また、同時に個人が自分で物をつくる時代になれば、これまでの大量生産大量消費のものづくりのあり方、もっと言えば、「生産者」「消費者」と区切りのあった20世紀の社会にも違った流れが生まれることになりそうです。

途上国では、「生活に必要なものを自分たちで作り出す」ことでオルタナティヴな近代化が起ころうとしており、一方、先進国では「マーケットの論理では生まれることのない、しかし自分で欲しいものを、自分自身でつくる」ことが成熟社会にける新たな自己実現やクリエイティヴィティのかたちになりつつある

その土地に必要なものを、その土地の素材で、その土地の人が生産することができる。途上国においては、生産者となるための手段を提供することこそが、「もの」を提供することよりも大きな支援となる場合が多い。先進国では、大量生産、大量廃棄のデザインを成立させてきた文脈とは異なる新領域となってゆく。原発を稼働させるよりもソーラー発電へ、熱帯雨林の伐採から国産の間伐材の使用へ、輸入食材から地元の食材へ、といった循環型コミュニティが形成される中で、FabLabを通じた「デザイン」の地産地消も充分に考えられる

既に大量生産・大量消費という従来のシステムを否定できないところで暮らしてしまっているからこそ、全否定するんじゃなくて、その上に多品種少量生産のインフラを上書きして塗り替え、アップデートするようなイメージを持っていきたいんです。
(中略)
スケールが伸縮可能な「変量生産」のイメージが大事だと思っています。いずれにせ よ、20世紀は生産と消費の間で行ったり来たりをしていた時代だったと思うのだけど、その二項で物事を捉えるのは限界な気がしているんだよね。じゃあ3つ 目となるものってなんだろう、と考えると、自然界の生態系には分解者という役目を負った生き物がいますよね。
(中略)
分解をする存在がいるから、生産や消費もまわっていく。そしてそれも、ただ分解してばらすだけ じゃなくて、セカンド・デザインというか、役目を終えたものを組み合わせて、もう一度いのちを吹き込み、再生産につないでいくーもとに戻す「リペア」では なくて、違うものに変えていく「リミックス」です。そんな存在が今の世界には足りないんじゃないかと。

パーソナルファブリケーションその先: 個から地域へ

パーソナルファブリケーションの当初の概念が発達し、個人のものづくりの先に地域・社会・そして人のつながりが見え始めています。
ものづくりはもはや作られた作品ではなく、それを作るプロセスそしてそこから生まれる人のつながりや地域や社会とのつながりの基盤へと進化しています。

自己表現や、自己実現の場。毎日のハピネスやクオリティ・オブ・ライフにつながることがまず一番。それが「パーソナル・ファブリケーション」ですね。その先には、地域の人たちが力を合わせて何か問題を解決していくコミュニティラボとしてのFabLabがあります。FabLab鎌倉で力をいれてい るのはそういう活動なんです。

街の中にとけ込んでいて、気軽に見学が出来て、一緒にもの作りも楽しめる。そういう意味では公民館のようなニュアンスがくっつく部分もあるかな。最近は、子どもから大人まで鎌倉に住む人が興味を持ってふらりと訪れてくれたり、地元の職人さんも遊びに訪れてくれるようになったんですよ。
鎌倉の持つ伝統素材とFabLabの先端技術がうまく合わさって、さらに地元の人たちが作り手として加わってくれて、ゆくゆくは鎌倉の街で使う街灯や市バスのバス停などもFabLabで作られるようになれば面白いなと思います。

集まってつくる。それはもはや、DIY(Do It Yourself)の延長の「パーソナル・ファブリケーション」ではなくて、DIWO(Do It With Others)の延長の「ソーシャル・ファブリケーション」だと実感しているんです。

パーソナルファブリケーションその先: 国境を越えたつながり

また同時にインターネットとデジタルデータ、オープンソースといった新技術や概念は、これまでにないモノづくりを通じた人のつながりを生み出します。
東京でつくった3Dの設計図が遠いアフリカの地に送られ、その図面をもとに3Dプリンタで作品がアフリカでつくられる。そんな未来も遠い話ではありません。

先日も、ハンガリー・ブタペストとの遠隔共同ワークショップを行ないましたが、今年の夏はペルー・リマのFabLabでの合宿を計画しています。ほかにも、スリランカ、インドネシアなどにFabLabをつくりたいという人がいて、アジアンコネクションを考えたいなと思っています。いま、FabLabネットワークに参加することによって、一気に、地球全体に研究室が分散拡大したような感覚があるのです。そこをノマディックに渡り歩きながら、必要とされる地域で必要とされるものをつくる活動ができればいいですね。

パーソナルファブリケーションその先: ソーシャルファブリケーション

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kurさん


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