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DeNAの南場智子社長が退任、これまでの軌跡

「Mobage(モバゲー)」で有名なDeNAの南場智子社長が病気療養中の家族の看病を優先するということで、2011年6月25日付で代表権のない取締役に就任します。

更新日: 2011年05月26日

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seo2さん

厳しい父との葛藤 和解までの長い時間

高校までを過ごした新潟。180センチメートル超の堂々たる体躯を持つ父は、ガソリン卸会社の経営者だった。「女に教育はいらない」が持論である。南場の役割は靴磨きに腰もみ、正座してのお酌。家のことはすべて父が決める。「自転車買ってください」「だめだ」。以上、問答無用。

(中略)

アメリカ東海岸まで行って、ようやく解放感を手にする。そこで、父との関係にも変化が起きた。その日その日の報告を書き送る南場に、父も週イチで返事を書いた。距離を置き、“安心”を得て初めて向き合う父の字は、いい字だった。ひたすら怖かった支配者は、意外にも「面白い人だった」。海を隔てて初めて、父と娘に“対話”が生まれた。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/e27df9f3a5214d1fc2a038e52a5a15ca/page/4/

父には感謝

一度決めたことはやる、という意志を植え付けてくれたのは彼でしたし、あと、母が病に倒れたあと、父は17年間ずっと面倒を見続けたんです。

 怖かった父が母を献身的に介護していました。今ですか? 父は82歳になって、脚が悪いのに、「人生を楽しみ尽くすんだ」と毎週ゴルフをしていますよ。しかも、よく食べる。元気ですよね(笑)。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1412?page=2

就職活動はまったくせず

就職のために何かアクションを起こさなきゃとは思ったんですけど、就職活動の具体的なイメージが浮かばないというか、ノウハウがまったくなくて。ちょっと焦り気味、しかし何をどうすればいいのかわからずあたふたしていた頃、マッキンゼーに勤務していた大学時代の先輩が「説明会に来てみない?」と誘ってくれたんです。

http://career.gree.jp/interview/05/nanba/01

えーらい仕事ができなかった(マッキンゼー時代)

モーゲージのセキュリタイゼーションの市場性? 住宅ローンの証券化だと教えられたところで「??」。意味を理解するのに丸1日かかる。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/e27df9f3a5214d1fc2a038e52a5a15ca/page/4/

2年後、南場は再びアメリカへ「逃亡」

「逃亡先」がハーバード・ビジネススクール。……ハーバード・ビジネススクールが逃げ場になる?「何かすごい楽しくて、ホント、生き返った。もうどんなにラクか、マッキンゼーと比べたら」。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/78bdf820c5a658daa8ebc819d8a5fc41/page/1/

マッキンゼー再び

だが、戻ると再び悪夢の日々。戦略をめぐってクライアントと話が合わず、提案を受け入れてもらえない。焦った。自分はどう評価されているのか、結果は出せているのか。「ノー」だ。会社のファクスでヘッドハンターに履歴書を送りまくる日々が始まった。が、「これが最後のご奉公」、と臨んだプロジェクトが、すべてを変えた。

 南場がふと思いついた増益プランにクライアントの社長が反応した。「いいじゃないか。このとおりやれ!」。先輩たちも南場を全面支援し、実行段階ではプロジェクトのトップを任された。そして東京や大阪の現場を飛び回り、クライアント企業に大増益をもたらすことができた。

 吹っ切れた。マッキンゼーという輝ける職場、そこでの評価を勝ち得たい一心に、思い詰めていた自分。要するに、視線の先にあるのは自分だけ。そこから、本来あるべきところ、クライアントへ視線が移った。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/78bdf820c5a658daa8ebc819d8a5fc41/page/2/

日本にもネットオークションの時代が来る、という確信

「本当に事業の可能性を確信できる人じゃないと新規事業は難しい。なら、あなたがやるのがいちばん」

 言われた南場は、プロジェクトを立案するだけでなく、自分でやってみたいと思い始めていた矢先だった。「そこで火がついちゃった。もうそれしか考えられなくなった」。

 マッキンゼーの後輩、川田尚吾(現ディー・エヌ・エー非常勤取締役)を昼食に誘い、いきなり「私がやりたい。一緒にやらない?」。南場と川田はそれぞれが優秀と見込んだ人材を口説き落とし、ソネットに加えリクルートの出資も取り付ける。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/78bdf820c5a658daa8ebc819d8a5fc41/page/3/

ビッダーズを作ろうと思った当初は完全に「勝つに違いない」と

このように気持ちが安定していたのは、一緒に始めた仲間がものすごく優秀だったからだと思います。最初の10人くらい、スーパーな人間が集まってきて。その人達が惹き付ける人間は、同じレベルの同じマインドの人間になるので、全般的にレベルは高いと思います。この人達と一緒にやって勝てないはずがないと確信していましたから、業態を変えてでも何をしてでも絶対に勝つまでやり通す、成功してやる! と思っていました。あと、「運」というものは、一生懸命まじめにやっているところに間違いなく落ちていると信じています。

http://career.gree.jp/interview/05/nanba/03

2001~02年、ディー・エヌ・エーは頓死寸前

創業時に約束した「2年目黒字化」には程遠く、01年3月期は最終赤字10億円 、翌期も赤字8・7億円。広告収入の稼ぎがあるヤフーに対し、ディー・エヌ・エーはオークション手数料だけ。それを無料化し、顧客獲得の大命題の下、広告宣伝に7000万円ポンとつぎ込んだりするのだから、赤字は膨らむ。「おカネもジャブジャブ使う人だったわけ。“マッキンゼーの人”だから」。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/abc9b169b6fc0279913cbf631e85b95b/

2004年3月、事業の重心をモバオクにシフト

カメラ付き携帯の一般化やパケット定額制の浸透で、時代はパソコンから携帯電話へ大きく舵を切る。ヤフオクを出し抜くには、とにかく新分野へ。南場はこのチャンスを見逃さなかった。

(中略)

モバオクのシステムはビッダーズと完全に切り分け、モバオクに経営資源を集中することで、携帯向けネットオークション1位の座をもぎ取った。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/abc9b169b6fc0279913cbf631e85b95b/page/2/

モバゲー以降は、権限を委譲された現場から

「“南場さんが作った会社”じゃなくて、みんな、自分が作った会社だと思ってる」。南場が標榜するのは「球体型組織」だ。社員それぞれが球の表面積を担うセルとなって、おのおのの領域で会社を代表する。1枚1枚のセルが成長していくことで、ディー・エヌ・エーという球も大きくなる。決して、南場を頂上に据えるピラミッド型ではない。

 南場はビッダーズ以降、優秀な人材を確保し、自分より経験も情報も持つ現場に権限委譲することを率先して進めてきた。若手には「ギリギリ頑張ってできるかどうか」の仕事を任せる。失敗しても、それが必ず成長につながると割り切っている。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/abc9b169b6fc0279913cbf631e85b95b/page/3/

夫の看病のために代表取締役を退任

夫の看護のために第一線からスパっと退くという決断は簡単なものではなかったであろう。また、やりたくても経済的にできない人も多いだろう。

(中略)

南場氏も25日の会見で、「公器として上場している企業は、創業者の人生とは別個に成長すべき」と語ったという。考えようによっては、会社が長期的に成長していくためには、同氏が一時的に第一線を離れることは、同氏に頼らない経営を目指すきっかけになり、プラスになる可能性もある。こうした考え方ができずにいつまでも会社にしがみついている経営者が多いなか、爽やかである。

http://jp.wsj.com/japanrealtime/2011/05/26/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%BC%E7%A4%BE%E9%95%B7%E3%80%81%E5%A4%AB%E3%81%AE%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E7%A4%BE%E9%95%B7%E8%BE%9E%E4%BB%BB/

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