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【ロシア正教】 正教って宗教? もはや国民生活の一部でしょ、と言いたげなロシア人

それでも表向き、「国教」ではないんだなw 宗教儀礼の席に政治家や役人が「公人として」参列することを、ロシアでは誰ひとり咎めたりしません。

更新日: 2019年01月21日

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事実上は「限りなく政教一致」の帝国、ロシア

ロシア国民は何人も、ロシア正教を保護する為政者を公然と侮辱してはならない。

正教主宰による集会の場で大統領個人を批判に伏したり言論攻撃したりすれば、それはロシア国家に対する反逆にも等しい大罪である。

ほとんどの国民が、神様と自分の間に《正教会》という扉を意識してはいるモノの、常日頃からの依存心は「ほとんど」無くなってきている。

逆に言えば、正教への信仰心が「社会生活と意識の底深くに、潜り込んでしまった」とも言える。

< 出典は、ロシアの海外向け新聞『ロシアNOW』 日本語版ー2013年 2月 14日号』より
http://issuu.com/russianow-japan/docs/2013_02_jm_all

その、社会の深層にある《正教》が、どんなときに「目に見えて現出する」のか、以下↓順に、その具体例を見ていこう。

具体例その1─必勝祈願

オリンピックのロシア代表選手団は、ロシア五輪委の委員長以下、代表選手「全員が」正教会で祝福してもらう。

もちろん、最新鋭の原子力潜水艦にも神のご加護を!

ロシア正教は日本の神道に負けず劣らず、「俗界にも浸みた」信仰であることが見て取れますね。

具体例その2─安全祈願

ロシア人はソユーズを打ち上げるのに毎回、司祭を呼んできて飛行士や発射場を祝福する。

発射台をつくるときは当然のこと、使うたびに祝福しなくっちゃね。

具体例その3─平穏と豊穣祈願

(一時期の「ソ連人」とは異なり)ロシア人が新しい土地を占領して一番にすることは、砦を築くことでも表札を立てることでもなく、先ずは司祭を呼んで祝福式を済ませ、その地に八端十字架を立てることだ。

駐留軍や植民者は、あくまで神様の祝福が済んでから本格的にやってくる。

水晶島で日本にニラみをきかせてる?安心感の「拠り所」も、もちろん(前線の駐留兵と言うよりは)八端十字架!だったりする。

【注釈】
…ただし写真↑の十字架自体は、「比較的」新しい。ソ連政府の統制下では宗教活動が弾圧されていたため(警備軍の幹部は)建ててもらいたくても叶わず、ソ連崩壊から間もない1997年、突貫工事で建立されたモノだからだ。

ロシア正教会、北方領土に「聖ニコラス像」による包囲網を建立

ロシア正教会はここ15年間、資金力の急回復を受けて、"国境"最前線地帯への"宗教モニュメント"増築を加速させています。
 
土地の守護をアピール(祈念)することで、政府やロシア軍の愛国心情を"目に見えるカタチによっても"支援サポートしているかに思えます。

たとえば巨大十字架も、むしろ日本領海上から(日本人に)高感度カメラで視認させよう、という思惑ゆえの「巨大化」なのでしょう。

水晶島、真新しい教会。

コトこの時期に至って"色丹島の手前に"建てたことは、「この先、一島たりとも(日本に)返さない」という無言の意思アピールにも映ります。

水晶島、真新しい聖像。

中央集権的な統治体制が揺るがないロシアでは、大統領が地方の首長と懇談する...というシチュエーションはない(そうした内政の統制は、首相の仕事)。

かわりに、大統領が自党員や市民に「親近感を演出」する際に欠かせないのが、地元の正教寺院。

北方領土を(現役大統領として)初訪問したメドベージェフ元大統領も、当然ながら「寺院詣で」を欠かすことはなかった。

ロシアでロシア正教徒以外の大統領が誕生する可能性は、限りなくゼロといって良い。

具体例その4─殊勲を礼賛

この正教の特異性は、上述『具体例その1─必勝祈願』と対になるものです。

左の画像は、地方都市ベンザにある墓地内「栄誉の路」──2010年春、26歳の若さで交通事故死した元オリンピック選手ナタリア・ラブロワと、事故時に車を運転していた実妹オルガの墓が建つ。

向かって左半分、姉ナタリアの墓碑には2度の五輪金メダルと国から叙された勲章が彫りこまれ、功績を讃えた碑文が連なる。

純粋に宗教的な観点だけから言えば、オリンピックで金メダル~云々は「生前の善行を測る、ひとつの側面」でしかないハズだが、政教が不分混沌としたロシアともなると、話は別。
 
正教としてもメダル獲得は(本人の没後も営々と)表立って礼賛すべき「敬虔なる善行の証し」となり得るのだ。

逆に言えば、ロシア正教会の祭礼に無宗教の日本人がノコノコ出かけていって突然!参列しても、周囲から「汚らわしい。異教徒は聖なる場から立ち去れ!」と言うことがない^^; ソユーズに乗る日本人飛行士も、ロシアの乗員と並んで発射前の祝福を授かるのは有名な話である。

「信仰が薄かろうとゼロだろうと、儀礼に則り参加するなら文明人の仲間として認めてやる」というスタンスだ。結局、宗教といっても戒律をかざして肩肘張るワケじゃなく、現代人にはストレスを鎮めるパワースポット「それだけの意味」でしかなくなりつつある。

伝統的に(神道の影響が濃い)相撲部屋にロシア出身の力士が違和感なく融け込めるのも、彼らにとって宗教とは「第一に儀礼、生活の規範」であって、「信仰信条」と同義ではないからだろうと思われる。

その「甘めの宗教観」「他宗教への配慮のなさ」ゆえ、「信仰心が第一」で戒律を重んじる宗派からロシア人は嫌われ、無差別テロ攻撃などの排斥感情を惹起させやすいのかもしれない。

関連する視点

『収容所群島』など、ソ連時代の反体制作家として知られる文豪ソルジェニーツィン氏は、ソ連政府による弾圧のなかでロシア正教に回帰。
 
そもそもロシア市民には旧帝政時代のような「ロシア君主制」が必要で最適であると説き、(亡命からの帰国後、晩年にかけては)正教の権勢復活の思想的な拠り所として、また「(自由化を急ぐ)エリツィン批判、その流れに釘さす(復古志向の)プーチン礼賛」に奮迅する“新生ロシア保守主義”の論客となった。

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