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インドと数学 〜ゼロの概念

最近注目されているインドの数学・計算術。その実践を見ながら、人類最大の発明である「ゼロ」を考えてみましょう。

更新日: 2011年09月11日

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fever7777さん

インドの経済勃興、とくにIT産業の興隆が目覚しい。時を同じくして、インド数学(計算術)が注目を浴びた。さらに、インドの理系教育の充実が我らを驚かした。二桁どうしの掛け算を暗記するだの高校生で三次の行列式や連分数を扱うだのと高度な数学教育が伝えられた。

インド式数学とは?

インドで暗記する掛け算は「9x9」ではなく「20x20」です。残念ながら日本人の多くは、数学力という点でインド人には敵いません。

今「インド式数学」が秘かな脚光をあびています。
それは計算・暗算が驚くほど早くなる上、暗算でも答えを間違えにくくなるからでしょう。

ゼロの概念

インドの凄いところは、数学力の高さだけではなく、ゼロの発見にある。ゼロの概念は、その後の仏教思想の「空」に繋がった。ゼロとは「何もない状態」ではない。「ゼロという状態がある」ということなのだ!

コンピューターは、0と1の2進法による高速演算で成立する。この場合のゼロは、無ではなく確実に存在する。しかし、0と1の間には何も存在しない。

ゼロは、インドで発見された。あの強烈な太陽の熱が「なければいい」という発想がゼロの原点だと聞く。

ローマ数字に0が無いのはどうしてでしょうか?インド発祥の数字だからです

8世紀頃インドからアラビアに伝わった「ゼロ」(サンスクリット語でshunya シューニャ)は、アラビア語で sifr スィフル「空(から)」と翻訳されました。この sifr が、13世紀のはじめ、アラビア記数法(つまりインド記数法)が伝わったイタリアでラテン語化して zephirum となり、最終的には zero となりました。一方、中世ヨーロッパの数学界では「ゼロ」をあらわすために、もとのアラビア語とほぼ同じ語 cifra を長く使い続けました。英語の cipher の語源はここからきています。英語のcipher のもつ意味のうち「暗号、符丁」は、当時の一般の人々が「ゼロ」に対し抱いていた神秘や秘密なものへの驚きの名残であるといわれています。

実体が無いといっても、それは法界(仏の世界)から見たらそう見えるのであって、我々娑婆世界に住んでいる人間には、やはり有るものは有ると見えるわけです。しかしながら、「有るんだけれど、あくまでそれは仮の姿であり、本当は実体は無いのだ」と観るのです。

インド哲学は、知性の赴くところ、限りなくどこまでも進もうとする。

ゼロは本来的な意義として、決して「何もない」状態ではない。「ゼロという状態」があるのだ。ゼロは自然状態であり、安定相であり、森羅万象の帰結した姿である。仏教では、人は生老病死という四苦や八苦を経由して、「無」に帰るという。「無」では魂は生きているのであり、決して何もない状態であるということではない。だからゼロ=無限大である。0/0を無限大と定義した数学者は、強ち誤謬を犯した訳ではない。
ゼロ=無限大=自然状態=安定相を「宇宙の法則」と名付けよう。これこそが、すべての出発点になるのであるから。

ゼロというのはプラスマイナスして見かけ上ゼロの状態というのを意味する。化学で言う「平衡状態」に近い概念だ。これが仏教の中で取り扱われるようになり、「現時点で何者かとして観察される客体も、ある一定の条件と原因によってそこに今存在しているものに過ぎない」=「ゆえにそれは絶え間ない変化の中にあって何がしかの常態、あるいは核となる不変の原質というものを持ちえない」という縁起論に結びつく。さらに、ある概念が存在するためにこれと対になる否定概念が必要になり、両者は互いに依存している場合もこれを空と呼ぶ。

ありゃw先日無限に関しての本を読みました。ゼロも無限も面白いですよね。無限は三つの説を取れると言ってました。1つは… RT @fever7777: ありがとうございます。残念ながら違うんですよw インドと数学〜ゼロの概念 matome.naver.jp/odai/213156344…

1つは実際に状態として存在する無限。2つめは存在はしないが概念としての無限がある。3つめは概念としてさえ存在を拒否する態度。三は無いにしても宇宙がどうなってるか分からないから1にロマンを感じてしまいますw RT @fever7777

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