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この記事は私がまとめました

鎌倉太郎さん

1.「ソーシャル疲れ」の現象
2.ソーシャル疲れの背景、原因
3.疲れない為の対策、疲れた時の対策
4.付録

1.「ソーシャル疲れ」の現象

第1位 毎日Twitterにベッタリ張り付きでみている
第2位 各SNSとTwitterを連携している
第3位 毎日フォロワー数をチェックしている
第4位 「いいね!」をつけてほしくて投稿ばかりしている
第5位 ソーシャルゲームのお誘いが頻繁にくる
第6位 ネガティブツイートばかり目に入る
第7位 自分の友達の数が可視化される
第8位 他人がTwitterで爆弾発言をしてたたかれているのが目に入る
第9位 会社の付き合いで嫌々友達リクエストを承認している
第10位 ネガティブツイートばかりしている

2.ソーシャル疲れの背景、原因

・・・微妙にtwitter的な乱暴さがOKな感じがしているように思う。

ところがfacebookはいかん。
どうもマジというか、上着を着ている感じというかこれぞソーシャルつまり社交な感じがするのである。

一つにはtwitterよりも字数制限がなく、アーカイブできるデータが多いというのがあるのだと思う。
まさに自分を晒しているようなメディアになってしまっている。そこに「ダダ漏れ」的なtweetが流れ込むと、何だかバランスが悪い。

僕がfacebookにそんな印象を持ってしまうのは、あの
「○○さんが●●さんと友だちになりました」みたいなコメントのせいでもあると思う。
なんだか「友だちを増やしなさい」という圧力を感じてしまう。

ほっといてくれ

と言いたくなる。

facebookの人気をここまで押し上げた要因のひとつにソーシャルゲームがある。facebook内のソーシャルゲームの特長として、facebook内の友人との繋がりを活用しゲームを進めることが攻略のポイントとなる。
例えばCityVilleでは自分の街を広げるために友人がたくさんいれば、街の施設の役職に友人に就いてもらうことで施設が増え、人口が増え、街が活性化し成長していく。
ゲームを続けるために人々は友人に「自分の街に来てください」「○○してください」などと交流が始まっていく。
最初は街が成長していく、農場が成長していくのを眺めていたのだが、最近はこのソーシャルゲームのrequestに結構閉口し始めている自分に気付いた。

自分の日記にあしあとやコメントが付くと、周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。
加えて「好意の返報性」も働く。人から受けた好意に対して同じだけの好意を“お返し”し、心のバランスを保とうとする作用で、mixi上では、自分のページにあしあとをつけたり、日記にコメントをつけてくれた人に対して、あしあとやコメントを返そうとする行為として現れる。これによって相手にも好意の返報性が働き、自分の日記にコメントやあしあとが付きやすくなるため、応酬がエスカレートしていく。

mixi疲れ(ミクシィづかれ)とは、多くのコミュニティやマイミクを登録しているmixiのヘビーユーザーが、mixiを介したコミュニケーションに負担を感じ、コメントの投稿や日記の書き込みを突然絶つ行為をいう。野村総合研究所上席研究員の山崎秀夫によると、mixiはコミュニケーションツールとしての側面が強いため、自分に宛てられたコメントに返事をすることが望ましい。これが高じると、全てのコメントに返事をすることが「義務」となり、またマイミク登録した友人の日記も投稿直後にすべて読み、できるだけ速やかに返事することが自分に求められているように考えてしまう。結果的に、大量にふくれあがるコメントを処理することができなくなり、コミュニティの維持そのものを断絶してしまうという。

幾度となく、名も知らぬユーザーから非難されたり、罵詈雑言を吐かれたりした。就業時間を超えてつぶやいていると「あなたの会社は残業代をちゃんと払っているのか」などと執拗に絡まれた。言い返せば、火に油を注ぐような結果になる。
企業内個人が、「個人」の目線で発言することで消費者から共感を得るのがソーシャルメディアの特徴とされてきた。ところが個性が際立てば際立つほどに、おのずと「舌禍」リスクも高まるというジレンマがある。

Andrew Shuttleworth(アンドリュー・シャトルワース)の描いたオンライン情報フロー図。SNSやメディアサイトなどから発信した情報がオンライン上でどのように伝播しているかを詳細に示している。
events, text content, videos, photos, microblog content, bookmarks, web sites viewed, software used, lifecasting, location, comments, blogrollといった12種以上のタイプの情報を発信している。

これらのコンテンツはすべてが再利用できるように,RSSフィードやAPIを用意したとか。 Facebook, Twitter, Plaxo Pulse, Spock, Skypeなどと,驚くばかりの多様なツールやサービスを使いこなしている。 1人でここまでやるとは,かなりソーシャルメディア・マニアである。彼自身が仕事のために各種のソーシャルメディア・ツール(サービス)を実際に使いこなしながら,評価しているようだ。このような図を見ていると,データポータビリティーの必要性も納得する。
さらに,モバイル(ケータイ)系の情報フロー図も付け加えている。これじゃ,超人でもソーシャルメディア疲れが起こるかも。一般の人は,こんなに多くのソーシャルメディアにはまっていると,疲れるどころか病気になりそう。で,ソーシャルメディアとは疲れない程度にほどほどに付き合ったほうが健康的かな・・・。

「ミクシィ疲れ」は、絶えず他者との交流を続けなければ取り残されるという強迫観念から起こりますが、企業もSNSで客とコミュニケーションをとらなければ、時代に取り残されるという強迫観念から……というわけです。そして、この強迫観念をWeb業界人が利用してさらに「疲れ」が生まれます。

「つぶやき」だけならツールで「一斉配信」も可能ですが、リツイートやコメントに回答するには「パトロール」をしなければなりません。PCの前に張り付いてリアルタイムの対応ができない分、言葉選びに時間を費やします。「失言」で炎上などもってのほかです。はっきりいって、好きでSNSをやっているわけではありません。社長の指示です。

社長からすれば、自身もSNSに取り組み、最近はFacebookで学生時代の友人と旧交を温めており、F氏が訴える大変さが理解できないでいるのです。
学生時代の友人とのプライベートな交流にSNSを使うことに疲れることはないでしょう。しかし、F氏が接するSNSの住民はプライベートの知人ではありません。誰でも手軽に参加できる敷居が低い仮想空間であるSNSで、個人が企業を背負うところに「疲れ」が生まれるのです。

企業がSNSに参加し、対応する担当者である「なかのひと」の発言がプライベートなものだと注釈を入れても、失言は企業責任を問われます。それは日本社会の特質です。会社以外だけでなく、学校や地域、出自などの「所属」への帰属意識が強く、これまた性質である「横並び意識」が、他人にも同じものを求め、個人と所属を同一視するのです。

3.疲れない為の対策、疲れた時の対策

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