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女優・轟夕起子さんについてのまとめ|画像・音楽等

轟夕起子さんは宝塚歌劇団の娘役出身で、宝塚卒業後は様々な映画に出演して活躍した女優です。黒澤明監督の「姿三四郎」等に出演しており、自分の出演作を手掛けたマキノ雅弘監督・島耕二監督との結婚経験があります。

更新日: 2013年11月22日

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yamadayamaさん

轟 夕起子(とどろき ゆきこ、1917年9月11日 - 1967年5月11日)は日本の女優。本名は西山 都留子(にしやま つるこ)。芸名は「轟夕紀子」とも。宝塚少女歌劇団の娘役としても活躍。宝塚での愛称は本名の都留子より、トルコ。

12(1923)年9月、6歳の時関東大震災に会い、宇和島の叔父西山華葉(にしやま・かよう)を頼り両親とともに身を寄せていた。彼女は鶴城保育園に入園後、第一尋常小学校(明倫小学校の前身)に通学していたようだ。小学2年生の中途で宇和島を去り、父親が貿易商だった関係から兵庫県明石市、西宮市を経て京都市へ落ち着いた。15歳で宝塚音楽歌劇学校に入学。

宝塚少女歌劇団退団後は日活作品「宮本武蔵 地の巻」のお通役で映画デビュー。その後は日活、東宝、フリー、日活と所属を変えながらも活躍した。

出演作を手掛けた映画監督のマキノ雅弘、島耕二と結婚するも二度とも離婚。1967年に49歳の若さで亡くなった。

沖縄アクターズスクール校長 マキノ正幸は息子。牧野アンナ(元スーパーモンキーズ)は孫。

画像

1943年・「ハナ子さん」

1943年・「若き日の歓び」

1949年・「覗かれた足」

1949年・今日われ恋愛す

1950年・東京のヒロイン

1950年・東京のヒロイン

1953年・チャタレイ夫人は日本にもいた

1953年・チャタレイ夫人は日本にもいた

左上:1943年・続・姿三四郎
右上:1956年・陽のあたる坂道
下:1961年・あいつと私

サイン入りブロマイド

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