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誰が継ぐ?現在空位の落語界の大名跡まとめ

落語界において同亭号の中の最高位の名跡とされる「止め名」のまとめです

更新日: 2012年02月01日

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6代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1900年9月3日 - 1979年9月3日)は、大阪市西区出身の落語家、舞台俳優。本名:山﨑松尾。出囃子は「正札付」。

三遊派正統の伝承者と言われ、「落語」という芸の幅の広さと奥深さを実証した昭和の名人。100以上もの演目をすべてLP化するという驚異的な企画『圓生百席』で知られる。

5代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年(明治23年)6月28日 - 1973年(昭和48年)9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した落語家。20世紀を代表する名人に数えられる。本名、美濃部 孝蔵(みのべ こうぞう)。生前は落語協会所属。出囃子は『一丁入り』。

「天衣無縫」ともいわれる芸風は唯一無二のものであり、巧拙を超えた面白さは他の追随を許さず、また誰にも真似の出来ないものであった(後年、名人と呼ばれるようになった息子志ん朝は、「第二の文楽は出るかもしれないが、第二の志ん生は出ないでしょう」と語っている。

8代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、1905年12月15日 - 1959年10月8日)は、戦後活躍した東京の落語家。本名は島田勝巳。出囃子は『三下りカッコ』。

音曲師である4代目柳家枝太郎の子。温厚篤実な性格で、何を言われても「結構です。」と言うので「お結構の勝っちゃん」と呼ばれた。客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、それは平時のときであり、酒が入ると一変。酔うと(酒が入っていない時の物腰の柔らかさとは裏腹に)人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。

六代目笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1918年8月17日 - 1986年9月5日)は、上方噺家。大阪府大阪市出身。生前は上方落語協会会長。本名は竹内 日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」。

入門当時、消滅寸前だった上方落語の復興を目指し、3代目桂米朝らと奔走。埋もれていた演目を掘り起こし、また多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興を果たす。米朝、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治とで『上方落語界の四天王』と讃えられた。

5代目桂 文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 - 2005年3月12日)は上方の落語家。本名は長谷川 多持(はせがわ たもつ)。出囃子は「廓丹前」。

落語に「はめもの」と呼ばれる上方落語特有のお囃子による音曲を取り入れた演目や、女性を主人公とした演目を得意とし、華やかで陽気な語り口が多い。

5代目の総領弟子だった桂三枝が69歳の誕生日である2012年7月16日に襲名を予定している。

7代目(ただし自称5代目)立川 談志(1936年(昭和11年)1月2日 - 2011年(平成23年)11月21日)は、落語家、落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。出囃子は「木賊刈り」。

古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けていた。古典落語を現代的価値観・感性で表現しなおそうという野心的努力は高く評価され、天才と称されるがその荒唐無稽、破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語の他、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。

10代目桂 文治(かつら ぶんじ、1924年1月14日 - 2004年1月31日)は、東京都豊島区出身の落語家。本名は関口達雄。出囃子は『武蔵名物』。

江戸言葉に厳しかったことで有名で、例えば「やじうま(野次馬)」ではなく「やじんま」、「何を言やがるんでえ」ではなく「何をいやんでぇ」、また江戸の職人は「やかましいやい」ではなく「うるせいやい」、商人は「ありがとうございました」では縁が切れるから「ありがとうございます」というのが正しいんだ、という持論があった。

10代目門下の桂平治が2011年6月7日に11代目襲名を発表。2012年9月下席の新宿・末広亭を皮切りに襲名披露興行を行う予定。

初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう)、(天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年)8月11日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。

三遊派のみならず落語中興の祖として有名。『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』など多くの落語演目を創作した。圓朝による新作落語はほぼすべてが極めつきの名作といってよく、現代まで継承されている。圓朝は江戸時代以来の落語を大成したとされ、彼の作による落語は「古典落語」の代表とされる。

<おまけ>当代の大名跡

九代目 林家正蔵(はやしや しょうぞう、本名:海老名 泰孝〈えびな やすたか〉、1962年12月1日 - )は、東京都台東区根岸出身の落語家(落語協会常任理事)、タレント、声優、司会者、大学教員。出囃子は『あやめ浴衣』。前名は林家こぶ平。

初代林家三平と海老名香葉子の長男。実姉は、タレントの海老名美どりとシンガーソングライターの泰葉で、実弟は落語家2代目林家三平。祖父は7代目林家正蔵。親子3代にわたっての真打昇進は史上初。2003年3月、落語界の活性化のために春風亭小朝、笑福亭鶴瓶ら東西の落語家6人で「六人の会」を結成し、多くのイベントを開催した。

5代目桂 米團治(かつら よねだんじ、1958年12月20日 - )は、上方噺家。大阪府大阪市中央区出身。本名は中川 明(なかがわ あきら)。実父は落語家で人間国宝の3代目桂米朝。米朝事務所所属。上方落語協会会員。出囃子は「羯鼓」。前名は3代目桂小米朝。

米朝が得意とした「百年目」や先代(4代目)が創作した「代書屋」、2代目以降米團治が得意とした「たちぎれ線香」に力を入れている。なお襲名披露の発表の記者会見では米朝が「一文笛」、先代が「代書屋」と上方落語の歴史に残る名作を創作したこともあり自身も何か創作落語を作りたいと意気込みを語っている。

9代目三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1936年7月21日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の落語家。落語芸術協会に所属し、理事を務める。本名は石上吉男(いしがみ よしお)。出囃子は『勧進帳』。

昭和30年 八代目 三笑亭可楽に入門し、可津男 
昭和33年 二つ目昇進、可勇  
昭和44年 真打昇進 浮世亭写楽 
平成4年 九代目 三笑亭可楽襲名

6代目柳家 小さん(やなぎや こさん、本名:小堀 義弘(こほり よしひろ、旧姓:小林)、1947年7月21日 - )は、東京都出身の落語家。落語協会所属、同協会監事。出囃子は『楠公』。

父は人間国宝の5代目柳家小さん、甥(姉の息子)は元バレエダンサーで俳優小林十市、同じく落語家柳家花緑、妻は舞踊家花柳孝寿加。花緑とは親子3代落語会を共にしたが、実際は叔父と甥の関係である。父・5代目小さん没後、当初6代目小さんは兄弟子10代目柳家小三治が最有力だったが、小三治は小さんを継がないとしたため、6代目柳家小さんを襲名した。

4代目林家 染丸(はやしや そめまる、1949年(昭和24年)10月10日 - )は、大阪市出身の落語家。本名は木村 行志(きむら こうし)。出囃子は『正札付』。

三味線、日本舞踊の素養を活かして、お囃子の入った華やかな落語を得意とする。上方の林家一門を率いて落語の活動をするかたわら、寄席囃子の後継者の育成をしたり、また大学などで落語の授業をし、若い層に落語の楽しさを伝えるといった教育者の一面もある。

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